【bulldog】
Orel HERSHISER
79年にドジャースに入団したハーシハイザーは、
84年、11勝をマークし、メジャー本格デビューを飾る。
85年には19勝3敗、防御率3.49の好成績を残し、
チームの主力投手の地位を確固たるものにした。
その闘争心剥き出しのピッチングスタイルで
いつしか『ブル・ドッグ』と呼ばれるようになったハーシハイザー。
が、実は、抜群の制球力を大きな武器に、
速球/シンカー/カーブ/チェンジアップを
内に外に投げ分ける、頭脳的な投球が持ち味であった。
86年、14勝......87年、16勝とコンスタントに
勝ち星を稼いだハーシハイザーだったが、
1988年は、キャリアで最高の年となった。
奇跡のような、59イニング連続無失点記録を樹立し
防御率2.26、23勝をマーク、チームを地区優勝に導き、
リーグチャンピオンシップでは4試合に登板し1勝1セーブ、
ワールドシリーズでも完封勝利を含む2完投で2勝、
チームの世界一に大きく貢献した。
プレーオフでMVP、ワールドシリーズでもMVP
さらにサイ・ヤング賞も受賞....と、
他に何も望めないようなシーズンを過ごしたのであった。
85年から5年間にわたり230イニング以上を投げたハーシハイザーは
その激投がたたったのか、90年、91年のほとんどを
怪我の治療に費やす事になる。
92年に10勝をあげ復活するが
以前のような圧倒的なピッチングは見られなかった。
95年、野茂英雄の入団の煽りを受け
インディアンズに移籍すると16勝をマークし
チームのリーグ優勝に貢献。
ワールド・シリーズでは、同じようなニック・ネームを持つ
グレッグ・マダックスと2度にわたり
白熱した投手戦を演じ、1勝1敗。
惜しくも世界一はならなかったが、
存在感を見せつけた。
以後、ジャイアンツ、メッツ等を渡り歩き、
2000年、通算204勝で現役を引退する。
以後は、コーチやテレビの解説など、
その理論を武器に精力的に活動している。
Orel HERSHISER
79年にドジャースに入団したハーシハイザーは、
84年、11勝をマークし、メジャー本格デビューを飾る。
85年には19勝3敗、防御率3.49の好成績を残し、
チームの主力投手の地位を確固たるものにした。
その闘争心剥き出しのピッチングスタイルで
いつしか『ブル・ドッグ』と呼ばれるようになったハーシハイザー。
が、実は、抜群の制球力を大きな武器に、
速球/シンカー/カーブ/チェンジアップを
内に外に投げ分ける、頭脳的な投球が持ち味であった。
86年、14勝......87年、16勝とコンスタントに
勝ち星を稼いだハーシハイザーだったが、
1988年は、キャリアで最高の年となった。
奇跡のような、59イニング連続無失点記録を樹立し
防御率2.26、23勝をマーク、チームを地区優勝に導き、
リーグチャンピオンシップでは4試合に登板し1勝1セーブ、
ワールドシリーズでも完封勝利を含む2完投で2勝、
チームの世界一に大きく貢献した。
プレーオフでMVP、ワールドシリーズでもMVP
さらにサイ・ヤング賞も受賞....と、
他に何も望めないようなシーズンを過ごしたのであった。
85年から5年間にわたり230イニング以上を投げたハーシハイザーは
その激投がたたったのか、90年、91年のほとんどを
怪我の治療に費やす事になる。
92年に10勝をあげ復活するが
以前のような圧倒的なピッチングは見られなかった。
95年、野茂英雄の入団の煽りを受け
インディアンズに移籍すると16勝をマークし
チームのリーグ優勝に貢献。
ワールド・シリーズでは、同じようなニック・ネームを持つ
グレッグ・マダックスと2度にわたり
白熱した投手戦を演じ、1勝1敗。
惜しくも世界一はならなかったが、
存在感を見せつけた。
以後、ジャイアンツ、メッツ等を渡り歩き、
2000年、通算204勝で現役を引退する。
以後は、コーチやテレビの解説など、
その理論を武器に精力的に活動している。