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file.155 Orel HERSHISER【オーレル・ハーシハイザー】

2007-02-15 | GHI
【bulldog】
Orel HERSHISER

79年にドジャースに入団したハーシハイザーは、
84年、11勝をマークし、メジャー本格デビューを飾る。
85年には19勝3敗、防御率3.49の好成績を残し、
チームの主力投手の地位を確固たるものにした。

その闘争心剥き出しのピッチングスタイルで
いつしか『ブル・ドッグ』と呼ばれるようになったハーシハイザー。
が、実は、抜群の制球力を大きな武器に、
速球/シンカー/カーブ/チェンジアップを
内に外に投げ分ける、頭脳的な投球が持ち味であった。

86年、14勝......87年、16勝とコンスタントに
勝ち星を稼いだハーシハイザーだったが、
1988年は、キャリアで最高の年となった。
奇跡のような、59イニング連続無失点記録を樹立し
防御率2.26、23勝をマーク、チームを地区優勝に導き、
リーグチャンピオンシップでは4試合に登板し1勝1セーブ、
ワールドシリーズでも完封勝利を含む2完投で2勝、
チームの世界一に大きく貢献した。
プレーオフでMVP、ワールドシリーズでもMVP
さらにサイ・ヤング賞も受賞....と、
他に何も望めないようなシーズンを過ごしたのであった。

85年から5年間にわたり230イニング以上を投げたハーシハイザーは
その激投がたたったのか、90年、91年のほとんどを
怪我の治療に費やす事になる。
92年に10勝をあげ復活するが
以前のような圧倒的なピッチングは見られなかった。

95年、野茂英雄の入団の煽りを受け
インディアンズに移籍すると16勝をマークし
チームのリーグ優勝に貢献。
ワールド・シリーズでは、同じようなニック・ネームを持つ
グレッグ・マダックスと2度にわたり
白熱した投手戦を演じ、1勝1敗。
惜しくも世界一はならなかったが、
存在感を見せつけた。

以後、ジャイアンツ、メッツ等を渡り歩き、
2000年、通算204勝で現役を引退する。

以後は、コーチやテレビの解説など、
その理論を武器に精力的に活動している。