GUMBO

.

file .208 Phil NIEKRO【フィル・ニークロ】

2007-07-16 | MNO
【ナックル・兄】
Phil NIEKRO

必殺の魔球ナックルボールを武器に
実に48歳まで現役を続けた長寿投手。

ニークロの本格デビューは1965年、チームはミルウォーキー・ブレーブス。
この年、主にリリーフで41試合に出場し4勝をあげると、
67年、先発とリリーフ兼任で46試合に投げ
リーグ1位の防御率1.87をマークし、11勝をあげる。
68年も14勝と好成績を残したニークロは、
69年、23勝で最多勝を獲得。
一躍リーグを代表する投手となった。

以降も、腕に負担のかからないナックルボールを駆使し
安定した活躍を続けたニークロ。
73年にはパドレス戦でノーヒッターを達成、
74年も20勝をマークするなど、67年~80年まで、
14年連続で二桁勝利を記録。
打のハンク・アーロンと共にブレーブスの屋台骨を支えた。

79年、40歳にして21勝をマークし、
82年には44歳で17勝......と、
息の長い活躍を続けたニークロだったが、
84年ヤンキースヘ移籍。
45歳という年齢にも関わらず、
チームトップの16勝(防御率3.09)をあげるなど、
リーグが違っても、変わる事のない
ナックルボールの威力を見せつけた。

結局その後、インディアンズやブルージェイズを経て、
古巣ブレーブスで24年に渡る選手生活にピリオドを打った。
48歳であった。
歴代4位の226個ものワイルドピッチと、
歴代10位の3342奪三振を誇り、
通算318勝、防御率3.35の成績をメジャーの歴史に刻んだ。
また、同じくナックル・ボーラーの弟ジョー・ニークロの221勝と合わせての
兄弟539勝はメジャー記録。

87年の引退後、殿堂入りに時間がかかり
「318勝で殿堂入りを果たせないのであれば、
 今すぐにでも現役に復帰してさらに勝ち星を増やしてやるぜ」と豪語したが、
1997年、晴れて名誉の日を迎えたのであった。

file .207 Gaylord PERRY【ゲイロード・ペリー】

2007-07-15 | PQR
【違反の達人】
Gaylord PERRY

ある日、300勝投手ドン・サットンがゲイロード・ペリーに
「選手寿命を長く保つ秘訣は???」と質問を投げかけた。
ペリーはニヤッと微笑むとサットンにワセリンのビンを手渡す。
サットンは微笑みながらペリーと握手、
サットンが去った後、ペリーの右手には紙ヤスリが握られていた......。

ゲイロード・ペリーは1962年、サンフランシスコ・ジャイアンツでデビュー。
64年に12勝をマークし、ホアン・マリシャルに続く主力投手の地位を確率した。
以降、66年に21勝の好成績を残すと、71年まで6年連続で15勝以上を記録、
68年にはカージナルス戦でノーヒッターを達成。
70年には23勝(最多勝)。サイ・ヤング賞レースでは2位に終わったが、
リーグを代表する右腕投手として、安定した活躍を続けた。

ペリーといえば、何と言っても
『反則投球』であろう。
首筋に塗ったワセリンや、自分の唾、
後ろで守る同僚野手の唾まで借用していたというのだから恐れ入る。
又、ペリーはそういった違反行為を行いながら
ただの一度もシッポをつかませた事のない、
正真正銘の『達人』であった。

72年にインディアンズに移籍したペリーだったが、
その『投球』に狂いは無く、
その年キャリア・ハイの24勝(防御率1.92)をマーク、
最多勝とサイ・ヤング賞を獲得する大活躍を見せる。

翌73年は19勝、74年には21勝と、30代半ばを迎えても
衰えを知らないピッチングを披露したペリーだったが、
75年シーズン途中にレンジャーズへ移籍すると、
78年からはパドレスへ。
80年は再びレンジャースでスタートしたが
シーズン途中でヤンキースへ移籍。
81年ブレーブス、82年にはマリナーズ、
最後は83年、ロイヤルズでその現役生活を終えた。
引退時の年齢は44歳。
78年に39歳で21勝をあげ、最多勝とサイ・ヤング賞を受賞するなど
息の長い活躍ぶりを見せた。

通算314勝 防御率3.11 3534奪三振。
両リーグで100勝以上をマーク、
又、同じく両リーグでサイ・ヤング賞に輝き、
91年に殿堂入りを果たしている。

余談だが、83年ロイヤルズ在籍時、
ジョージ・ブレットの『パインタール事件』が発生。
証拠隠滅とばかりに、ブレットのバットをいち早くグランドから
持ち去ろうとした人物がいた............。
誰あろうゲイロード・ペリーである。