GUMBO

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file .249 Oscar GAMBLE 【オスカー・ギャンブル】

2008-04-24 | GHI
【アフロ】
Oscar GAMBLE

三振の少ない、勝負強い打撃が持ち味の
メジャーリーグ史上、屈指のフォトジェニックな外野手である。

ギャンブルは若干19歳にして、
カブスでメジャーデビューを果たした。

レギュラーに定着したのは、73年、
チームはフィリーズを経て、インディアンズに変わっていた。
この年、打率.267、20本塁打をマーク。
トレードマークのアフロヘアもこの頃からデカくなりはじめている。

翌74年も打率.291、19本塁打、59打点と、
徐々に打撃に安定感が増して来たギャンブルだが、
ますますデカくなるアフロヘアとは対照的に
この後、2年間ほど、成績は伸び悩む。

77年、ホワイトソックスへ移籍、
ここに来て、ようやく打撃面での急成長が見られ、
打率.297、31本塁打、83打点をマーク。
アフロヘアも絶好調で、
いよいよスラッガーの仲間入りかと思われたのだが、
78年、パドレスへ移ると、7本塁打、47打点と
大きく成績を落とす事になる。

79年、レンジャーズ~ヤンキースで
計100試合に出場、
打率.358、19本塁打、64打点と、
今度はヒットマシーンの仲間入りかという好成績を残したギャンブル。
肝心のアフロヘアは、「俺、もう30だし」と思ったのか、
もしくは、ヒゲ+グラサン+小アフロの同僚、レジー・ジャクソンから
「俺より目立つんじゃねえ」と脅されたのか、
大分小さくまとまってしまったが、
この後、84年までヤンキースで活躍。
82年には108試合で打率.272、18本塁打、57打点をマークするなど
随所に勝負強さを発揮するも、
85年、ホワイトソックスで、現役を引退した。
引退時、アフロはもはや、アフロとは呼べないくらいに
小さく縮小していた。

通算打率.265、200本塁打、666打点。


file .248 Rollie FINGERS【ローリー・フィンガース】

2008-04-23 | DEF
【ひげ】
Rollie FINGERS

スライダーと速球を武器に持つ
メジャーリーグ史上、屈指のフォトジェニックな投手である。

フィンガースは、1968年、アスレチックスでメジャーデビューを果たす。
71年までは、先発、リリーフの両方で登板、
そこそこの結果は残したものの、ブレーク....とまでは行かなかった。

が、72年からリリーフに定着すると、結果が出始め、
この年、11勝21セーブ、防御率2.51、
守護神に定着し、チームをリーグ優勝に導くと、
レッズとのワールドシリーズでも6試合で1勝2セーブと活躍し
世界一に大きく貢献した。

その後も、
73年、7勝22セーブ、防御率1.92
74年、9勝18セーブ、防御率2.65...
キャット・フィッシュ・ハンターやヴァイダ・ブルーといった面々と共に、
安定した投球でチームを支え、
72年~74年のアスレチックス、3年連続の世界一に貢献。
74年は1勝2セーブで、ワールドシリーズMVPにも輝き、
黄金時代の立役者の一人として、おおいに、その力を発揮した。

75、76年も二桁勝利及び20セーブ以上をマークしたフィンガース、
77年、FAでパドレスへ移籍し
リーグが変わるも、そのピッチングに影響は見えず、
8勝35セーブの好成績。
78年も37セーブ、2年連続でリーグ最多セーブに輝き、
その地位を揺るぎないものにした。

81年、トレードで、
今度はブルワーズに移籍。
再び、アメリカンリーグでのプレーとなったが、
この年は、フィンガースにとって、
キャリア中、屈指のシーズンとなった。
6勝28セーブ、防御率1.04。
チームを地区優勝に導き、
サイ・ヤング賞とシーズンMVPのダブル受賞。
リリーフ投手としてはメジャー史上初の快挙である。

82年、29セーブ、防御率2.60。
83年は故障で棒に振ったが、
84年、華麗に復活、23セーブ、防御率1.96をマーク。
齢30台後半にして、翳りの見えない投球を見せていた
カイゼル髭のリリーバー、フィンガースであったが、
85年、17セーブをマークするも防御率5.04と成績を落とすと、
この年、38歳で現役を引退、
輝かしいキャリアにピリオドをうった。

通算114勝、341セーブ、防御率2.90

1992年に殿堂入りを果たしている。


file .247 Roy FACE【ロイ・フェイス】

2008-04-16 | DEF
【193SV】
Roy FACE

メジャーリーグの公式記録で、
タイトルの対象でもある『セーブ』。
この『セーブ』が制定されるに至るきっかけになった投手...と言われている。

フェイスは、1953年、パイレーツでメジャーデビューを果たした。
53~55年は先発とリリーフの掛け持ちであったが、
56年から、リリーフに専念(この年は3試合先発しているが)、
同年、68試合、12勝13敗、6セーブ、防御率3.52を記録する。

以降、必殺のフォークを武器に、
安定した投球内容でチームを支えたフェイスだったが、
59年は、リリーフ登板だけで18勝1敗、防御率2.70...と
とてつもない成績を残した。
MVP投票でも7位にランクされ、初のオールスターにも出場。
地味な役割であったリリーバーのフェイスの存在が、
一躍、クローズアップされる格好となり、
この事が、後の『セーブ』誕生に繋がるのである。

60年、10勝、24セーブ、防御率2.90と前年に引き続き好成績をマーク。
チームもリーグ優勝を果たし、
ビル・マゼロスキの優勝決定サヨナラ本塁打を生んだヤンキースとのワールドシリーズでも、3セーブ。
4試合に登板し、6失点と打たれはしたが、
先発のヴァーノン・ロー、ハービー・ハダックスと共に、
マントル、マリス、ベラ擁する強豪を相手に取り、
奇跡の優勝の立役者の一人として、
チームに大きな貢献を果たしたのであった。

その後も、
62年に28セーブするなど、
リーグ有数のリリーバーとして活躍を続けるが、
69年、3球団目のエクスポズを最後に
現役を引退した。

通算104勝、98敗、193セーブ、防御率3.48。

メジャーリーグが『セーブ』を正式な公式記録に認定したのは、
フェイスが現役を引退した1969年の事である。


file .246 Jesus ALOU 【ヘスス・アルー】

2008-04-14 | ABC
【三男】
Jesus ALOU

言わずと知れた、アルー三兄弟の末弟である。

1963年、二人の兄が在籍しているジャイアンツで
メジャーデビュー。
球団の期待度は、フェリペ、マッティより高かったという。
64年に115試合で、打率.274、3本塁打、28打点、
65年、打率.298、9本塁打、52打点をマーク、
外野のレギュラーを獲得した。

69年、アストロズへ移籍、
70年には打率.306、1本塁打、44打点と
初の打率3割以上を打つが、
非力で四球も少なく、
外野守備も平均レベル。
二人の兄のような華やかな活躍とは無縁であった。

その後、
アスレチックス、メッツとチームを変えるも、
100試合以上出場する事は出来ず、
79年、アストロズで現役を退いた。

通算打率は.280、32本塁打、377打点。

file .245 Matty ALOU【マッティ・アルー】

2008-04-13 | ABC
【次男】
Matty ALOU 

言わずと知れた、アルー三兄弟の次男である。

1960年、兄・フェリペが在籍しているジャイアンツでメジャーデビュー。
61年、81試合に出場し、打率.310をマークするも、
レギュラーには定着出来ず、
66年にパイレーツに移籍してから、
安打製造機としての才能を開花させた。
この年、141試合で打率.342の好成績で見事、首位打者に輝き、
打率.327の兄・フェリペとリーグ打率の1、2位を
兄弟で独占するという快挙を成し遂げた。

以降も66年~69年まで、
4年連続で打率.330以上をマーク。
2度の200安打以上を記録するなどヒットマシーンぶりを発揮。
また、右翼のロベルト・クレメンテの隣を守り、俊足を活かし好守を連発、
リーグ屈指の右中間を形成するなど、
攻・走・守、全ての面で、チームの勝利に貢献した。

71年、カージナルスへ移籍すると、
打率.315、7本塁打、74打点。
シーズン途中にアスレチックスへ移籍した72年も、
打率.307を打つなど、安定した打撃を披露、
チームも世界一に輝き、
マッティも勝利の美酒に酔いしれた。

その後、
ヤンキースやパドレスを経て、
74年、日本のライオンズに入団、
76年まで3年間プレーし、262試合で、258安打を放っている。

メジャー通算打率.307、1777安打、156盗塁。
オールスターには2度出場している。


file .244 Felipe ALOU【フェリペ・アルー】

2008-04-12 | ABC
【長男】
Felipe ALOU

言わずと知れた、アルー三兄弟の長男である。

メジャーデビューは1958年、
着々と成績を伸ばし、61年に外野のレギュラーに定着する。
当時のジャイアンツには大打者ウィリー・メイズが
チームの顔として君臨し、
さらにウィリー・マッコビーやオーランド・セペダら
若き、スター候補の台頭も著しかった。
アルーも、そんな若手有望株選手として期待を集め、
62年、打率.316、25本塁打、98打点と、
好成績をマークし、ブレークを果たす。
63年は打率.281、20本塁打、82打点、
又、この年の9月15日には、
途中出場の次男マティ、三男ヘススと共に
外野の3ポジションを兄弟三人で守った。

64年、トレードで、ミルウォーキー・ブレーブスへ移籍。
65年、打率.297、23本塁打、78打点、
66年、打率.327、31本塁打、74打点と、
好成績を残し、
ハンク・アーロンやジョー・トーレといった面々と並び、
チームの勝利に貢献した。

以降、長打力には翳りが見え始めるも、
勝負強い打撃で活躍を続け、
アスレチックス、ヤンキースとチームを変えながら、
68年には打率.317、11本塁打、57打点、
71年は打率.288、8本塁打、69打点をマーク。
74年、ブルワーズで3打席立っただけで現役を引退した。

通算打率.286、2101安打、206本塁打、852打点、107盗塁。

引退後は、エクスポズや、ジャイアンツで監督として
指揮を司り、2度の地区優勝に輝いている。

息子のモイセズ・アルーもメジャーリーガーである。


file .243 Ken BOYER 【ケン・ボイヤー】

2008-04-10 | ABC
【チームリーダー】
Ken BOYER

言わずと知れた、クリート・ボイヤーの兄であり、
メジャーリーグ史、屈指の名三塁手である。

投手としてプロの道に足を踏み入れたボイヤーだが、
その打撃力を買われ、三塁手として
1955年、メジャーデビューを果たした。
56年、打率.306、26本塁打、98打点をマーク、
その才能を開花させ、さらに好守を連発。
瞬く間にスタン・ミュージアルに次ぐ、チームの主力打者になる。
以後、58年には打率.307、28本塁打、90打点、
60年は打率.304、32本塁打、97打点、
61年は打率.329、24本塁打、95打点..と
58年~61年まで、4年連続で打率.300、20本塁打、90打点以上を打ち、
さらに、64年まで7年連続で20本塁打、90打点以上をマーク、
6年連続オールスター出場、
ゴールドグラブも3度受賞するなど、
リーグを代表する三塁手として、その名をおおいに馳せた。

64年、ボイヤーは打率.295、24本塁打、119打点で
打点王と、シーズンMVPを獲得。
弟のクリートが在籍するヤンキースとのワールドシリーズでは、
第4戦で、劇的な逆転満塁本塁打を放つなど、
2本塁打、6打点の活躍でチームの世界一に大きな貢献を果たした。

65年、打率.260、13本塁打、75打点に終わったボイヤー、
この年を境に衰えが見え始める。
66年にメッツに移籍し、チームトップの61打点を叩きだすが、
往年の活躍ぶりからは、ほど遠く、
69年、ドジャースで現役生活にピリオドを打った。

若かりし頃、チームの顔だったミュージアルから、
練習法や、野球に対する姿勢など、多くを学んだボイヤーは、
ミュージアル引退後、師の教えをティム・マッカーバーやルー・ブロックら、
多くの後輩たちに伝授した。

怪我をおしてプレーする事もしばしばで、
何故、その怪我で毎日プレー出来るのか...とチームメイトに聞かれたボイヤーは
こう答えたという。
「俺なんかに5万ドルもの年棒を払ってくれる職場が他にあるかい??」

引退後、コーチや監督を歴任するが、
81年、ガンのため、51歳の若さで死去。
通算打率.287、282本塁打、1141打点。
信じられない事に、未だ野球殿堂入りを果たしていない。