【史上最強の三塁手】
Mike SCHMIDT
1989年5月、一人の強打者がシーズン半ばにして引退を表明した。
フィラデルフィア・フィリーズのマイク・シュミットである。
シュミットは、71年ドラフト2位指名でフィリーズに入団する、
73年にはサードのポジションを与えられるが、
この年18本塁打を放ちながらも、打率.196の低打率に加え
136三振を喫し、屈辱のシーズンを過ごした。
メジャーの高いレベルを思い知らされたシュミットは
そのオフ、プエルトリコのウィンターリーグを戦い、
さらに猛練習を重ね、74年には完全に生まれ変わった姿を
プレーで、ファンに披露した。
前年とは打って変わって打率は.282、ホームランは倍増の38本を放ち
メジャー3年目にして本塁打王に輝いた。
この年は、アストロドームの天井に打球をブチ当てるという
脅威のシングルヒットを打ち、そのパワーを見せつけた。
シュミットは豪打だけの選手ではなかった。
75年-76年と連続で20盗塁を記録、俊足ぶりもみせつけ、
何より守備では堅実かつ華麗、軽快な動きで
10度のゴールド・グラブに輝いた。
パワフルな打撃だけが注目されがちだが
その三塁守備もブルックス・ロビンソンに比肩しうる程の
実力の持ち主である。
75年、打率.249、38本で本塁打王、
76年にも3打率.262、38本塁打で本塁打王に輝き、
この年のカブス戦では4打席連続ホームランと8打点を記録
その存在感をあらためて、全米に知らしめた。
74年と合わせて3年連続でホームランキングに輝いたシュミットだが、
プレーオフではシュミットの打撃は湿りがちになり
76年からフィリーズは3年連続でプレーオフ敗退を喫する。
が、80年シュミットは汚名返上とばかりに打ちまくり
ペナントレースでは打率.286、48本塁打、121打点の二冠、
ワールドシリーズでも打率.381、2本塁打、7打点の活躍で
チームをワールドチャンピオンに導き、
シーズンとシリーズ共に、MVPに輝いている。
翌81年も打率.316、31本塁打、91打点で二冠王&MVPに輝いたシュミットは
その後もメジャーを代表するスラッガーとして活躍を続け、
キャリア18年間で本塁打王8回、打点王4回、MVP3回に輝き、
メジャーでの地位を確固たるものにした。
86年、打率.290、37本塁打、119打点、
87年、打率.293、35本塁打、113打点...と
齢35を迎え、ますます安定したスラッガーぶりを発揮していたシュミットだが
1988年、打率.249、本塁打12の成績に終わると、
1989年も攻守共に衰えを隠す事は出来ず、
5月、涙の引退表明をするのである。
が、その攻守に渡る活躍に敬意を表したファンは、
この年のオールスターで、既に引退したシュミットを
ナ・リーグ三塁手として選出した。
試合には出場できなかったものの、
シュミットはファンの大歓声につつまれたのである。
80年の最高の年を共に戦ったピート・ローズを
「殿堂入りに相応しい選手だ」と何があろうと庇い続け、
テレビなどに出演した時には
ジェスチャーも交え陽気に話すシュミット。
ファンの心をつかんだのは、
そのプレーだけでは無いのもかもしれない。
Mike SCHMIDT
1989年5月、一人の強打者がシーズン半ばにして引退を表明した。
フィラデルフィア・フィリーズのマイク・シュミットである。
シュミットは、71年ドラフト2位指名でフィリーズに入団する、
73年にはサードのポジションを与えられるが、
この年18本塁打を放ちながらも、打率.196の低打率に加え
136三振を喫し、屈辱のシーズンを過ごした。
メジャーの高いレベルを思い知らされたシュミットは
そのオフ、プエルトリコのウィンターリーグを戦い、
さらに猛練習を重ね、74年には完全に生まれ変わった姿を
プレーで、ファンに披露した。
前年とは打って変わって打率は.282、ホームランは倍増の38本を放ち
メジャー3年目にして本塁打王に輝いた。
この年は、アストロドームの天井に打球をブチ当てるという
脅威のシングルヒットを打ち、そのパワーを見せつけた。
シュミットは豪打だけの選手ではなかった。
75年-76年と連続で20盗塁を記録、俊足ぶりもみせつけ、
何より守備では堅実かつ華麗、軽快な動きで
10度のゴールド・グラブに輝いた。
パワフルな打撃だけが注目されがちだが
その三塁守備もブルックス・ロビンソンに比肩しうる程の
実力の持ち主である。
75年、打率.249、38本で本塁打王、
76年にも3打率.262、38本塁打で本塁打王に輝き、
この年のカブス戦では4打席連続ホームランと8打点を記録
その存在感をあらためて、全米に知らしめた。
74年と合わせて3年連続でホームランキングに輝いたシュミットだが、
プレーオフではシュミットの打撃は湿りがちになり
76年からフィリーズは3年連続でプレーオフ敗退を喫する。
が、80年シュミットは汚名返上とばかりに打ちまくり
ペナントレースでは打率.286、48本塁打、121打点の二冠、
ワールドシリーズでも打率.381、2本塁打、7打点の活躍で
チームをワールドチャンピオンに導き、
シーズンとシリーズ共に、MVPに輝いている。
翌81年も打率.316、31本塁打、91打点で二冠王&MVPに輝いたシュミットは
その後もメジャーを代表するスラッガーとして活躍を続け、
キャリア18年間で本塁打王8回、打点王4回、MVP3回に輝き、
メジャーでの地位を確固たるものにした。
86年、打率.290、37本塁打、119打点、
87年、打率.293、35本塁打、113打点...と
齢35を迎え、ますます安定したスラッガーぶりを発揮していたシュミットだが
1988年、打率.249、本塁打12の成績に終わると、
1989年も攻守共に衰えを隠す事は出来ず、
5月、涙の引退表明をするのである。
が、その攻守に渡る活躍に敬意を表したファンは、
この年のオールスターで、既に引退したシュミットを
ナ・リーグ三塁手として選出した。
試合には出場できなかったものの、
シュミットはファンの大歓声につつまれたのである。
80年の最高の年を共に戦ったピート・ローズを
「殿堂入りに相応しい選手だ」と何があろうと庇い続け、
テレビなどに出演した時には
ジェスチャーも交え陽気に話すシュミット。
ファンの心をつかんだのは、
そのプレーだけでは無いのもかもしれない。