【ベストフレンド】
Bobby DOERR
1935年、17歳でレッドソックスと契約を交わしたドーア。
マイナー時代からそのバット・コントロールと守備には定評があり、
若干19歳で37年にメジャーデビューを果たすと、
38年、145試合で打率.289、5本塁打、80打点、
無類の勝負強さを見せつけ、二塁手のレギュラーの座をつかんだ。
39年、打率.318、12本塁打、73打点。
同い年で、マイナー時代からの親友でもあるテッド・ウィリアムスも
この年にメジャーデビューを果たし、その天才ぶりを早くも発揮した。
40年、打率.291、22本塁打、105打点、
41年、打率.282、16本塁打、93打点.....と、
安定したクラッチヒッターぶりでチームの勝利に貢献したドーア。
42年から、6年連続でオールスタ-に出場するなど、
若きチームのスターとして台頭、
リーグを代表する二塁手にまで登り詰めた。
以降、メジャー実働14シーズンで
.290以上の打率6回、
100打点以上、6回をマーク。
46年には打率.271ながら、18本塁打、116打点で、
MVPレースでは3位に付ける大活躍。
敗れはしたものの、ワールドシリーズでも打率.409を打ち、
その勝負強さをフルに発揮。
自慢の二塁守備にも、ますます磨きがかかり、
チームメイトからの尊敬も厚かった。
48年、打率.285、27本塁打、111打点をマーク、
49年も109打点を叩きだすと、
50年、打率.294、27本塁打、120打点とキャリアハイの成績をおさめ、
30代に入っても、変わらぬ勝負強さを誇っていたドーアだったが、
51年、椎間板ヘルニアを煩い、この年限りで現役を引退。
最後のシーズンは、打率.289、13本塁打、73打点、
故障さえなければ、あと数年は元気にプレー出来たであろう。
引退後、テッド・ウィリアムスや、ドム・ディマジオ、ジョニー・ペスキーら、
チームメイト達と、変わらぬ友情を育み続け、
特に、テッドとは、お互い無類の釣り好きとあって、
多くの時間を共に過ごした。
テッドは、基本的には気の良い性格だったが、
気に食わない事があると、すぐカッとなり爆発する....
いわゆる『お子ちゃま』だった。
ドーアは、そんなテッドの相手を、現役時代、
一番多くつとめた男だったが、
そんな関係は引退後も続いたという.......。
通算1865試合、打率.288、223本塁打、1247打点。
1986年、ベテランズ委員会により野球殿堂入りを果たした。
Bobby DOERR
1935年、17歳でレッドソックスと契約を交わしたドーア。
マイナー時代からそのバット・コントロールと守備には定評があり、
若干19歳で37年にメジャーデビューを果たすと、
38年、145試合で打率.289、5本塁打、80打点、
無類の勝負強さを見せつけ、二塁手のレギュラーの座をつかんだ。
39年、打率.318、12本塁打、73打点。
同い年で、マイナー時代からの親友でもあるテッド・ウィリアムスも
この年にメジャーデビューを果たし、その天才ぶりを早くも発揮した。
40年、打率.291、22本塁打、105打点、
41年、打率.282、16本塁打、93打点.....と、
安定したクラッチヒッターぶりでチームの勝利に貢献したドーア。
42年から、6年連続でオールスタ-に出場するなど、
若きチームのスターとして台頭、
リーグを代表する二塁手にまで登り詰めた。
以降、メジャー実働14シーズンで
.290以上の打率6回、
100打点以上、6回をマーク。
46年には打率.271ながら、18本塁打、116打点で、
MVPレースでは3位に付ける大活躍。
敗れはしたものの、ワールドシリーズでも打率.409を打ち、
その勝負強さをフルに発揮。
自慢の二塁守備にも、ますます磨きがかかり、
チームメイトからの尊敬も厚かった。
48年、打率.285、27本塁打、111打点をマーク、
49年も109打点を叩きだすと、
50年、打率.294、27本塁打、120打点とキャリアハイの成績をおさめ、
30代に入っても、変わらぬ勝負強さを誇っていたドーアだったが、
51年、椎間板ヘルニアを煩い、この年限りで現役を引退。
最後のシーズンは、打率.289、13本塁打、73打点、
故障さえなければ、あと数年は元気にプレー出来たであろう。
引退後、テッド・ウィリアムスや、ドム・ディマジオ、ジョニー・ペスキーら、
チームメイト達と、変わらぬ友情を育み続け、
特に、テッドとは、お互い無類の釣り好きとあって、
多くの時間を共に過ごした。
テッドは、基本的には気の良い性格だったが、
気に食わない事があると、すぐカッとなり爆発する....
いわゆる『お子ちゃま』だった。
ドーアは、そんなテッドの相手を、現役時代、
一番多くつとめた男だったが、
そんな関係は引退後も続いたという.......。
通算1865試合、打率.288、223本塁打、1247打点。
1986年、ベテランズ委員会により野球殿堂入りを果たした。