GUMBO

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file .252 Bobby DOERR【ボビー・ドーア】

2008-06-28 | DEF
【ベストフレンド】
Bobby DOERR

1935年、17歳でレッドソックスと契約を交わしたドーア。
マイナー時代からそのバット・コントロールと守備には定評があり、
若干19歳で37年にメジャーデビューを果たすと、
38年、145試合で打率.289、5本塁打、80打点、
無類の勝負強さを見せつけ、二塁手のレギュラーの座をつかんだ。

39年、打率.318、12本塁打、73打点。
同い年で、マイナー時代からの親友でもあるテッド・ウィリアムスも
この年にメジャーデビューを果たし、その天才ぶりを早くも発揮した。

40年、打率.291、22本塁打、105打点、
41年、打率.282、16本塁打、93打点.....と、
安定したクラッチヒッターぶりでチームの勝利に貢献したドーア。
42年から、6年連続でオールスタ-に出場するなど、
若きチームのスターとして台頭、
リーグを代表する二塁手にまで登り詰めた。

以降、メジャー実働14シーズンで
.290以上の打率6回、
100打点以上、6回をマーク。
46年には打率.271ながら、18本塁打、116打点で、
MVPレースでは3位に付ける大活躍。
敗れはしたものの、ワールドシリーズでも打率.409を打ち、
その勝負強さをフルに発揮。
自慢の二塁守備にも、ますます磨きがかかり、
チームメイトからの尊敬も厚かった。

48年、打率.285、27本塁打、111打点をマーク、
49年も109打点を叩きだすと、
50年、打率.294、27本塁打、120打点とキャリアハイの成績をおさめ、
30代に入っても、変わらぬ勝負強さを誇っていたドーアだったが、
51年、椎間板ヘルニアを煩い、この年限りで現役を引退。
最後のシーズンは、打率.289、13本塁打、73打点、
故障さえなければ、あと数年は元気にプレー出来たであろう。

引退後、テッド・ウィリアムスや、ドム・ディマジオ、ジョニー・ペスキーら、
チームメイト達と、変わらぬ友情を育み続け、
特に、テッドとは、お互い無類の釣り好きとあって、
多くの時間を共に過ごした。

テッドは、基本的には気の良い性格だったが、
気に食わない事があると、すぐカッとなり爆発する....
いわゆる『お子ちゃま』だった。
ドーアは、そんなテッドの相手を、現役時代、
一番多くつとめた男だったが、
そんな関係は引退後も続いたという.......。

通算1865試合、打率.288、223本塁打、1247打点。
1986年、ベテランズ委員会により野球殿堂入りを果たした。


file .251 Walt DROPO【ウォルト・ドローポ】

2008-06-14 | DEF
【1950】
Walt DROPO

NBA、NFLのチームからも契約の打診があったという、
スポーツの才能に恵まれたドローポは、
1947年、レッドソックスと契約を交わした。

49年に一塁手としてメジャーデビューを飾り、11試合に出場、
打率.146に終わったが、
翌50年、打率.322、34本塁打、144打点と大爆発。
ルーキーにしてオールスター出場を果たし、打点王に新人王も獲得。
チームメイトのテッド・ウィリアムスと並ぶ、主力打者として、
おおいに期待を抱かせる、ド派手な活躍ぶりを見せた。

が、51年、打率.239、11本塁打、
これまたド派手に成績を落とすと
52年、シーズン途中、タイガースへリリースされてしまった。
この年、新天地では、打率.279、23本塁打、70打点をマークし
元新人王の面目を保ったが、
53年は打率.248、13本塁打、96打点。
勝負強さは発揮したものの、
かつての栄光を考えると、地味と言わざるをえない成績に終わってしまう。

55年、ホワイトソックスへ移り、
打率.280、19本塁打、79打点をマークしたが、
その後はジリ貧。
レッズ、オリオールズとチームを変え、
61年、現役を引退した。

結局、30本塁打も100打点も
新人王を獲得した1950年しかクリア出来ず、
超一流選手にはなれなかったドローポだが、
12打席連続安打のメジャー記録保持者である。

通算1113安打、152本塁打、704打点。