GUMBO

.

file.104 Robin YOUNT【ロビン・ヨーント】

2006-11-26 | YZ
【ミルウォーキーの英雄】
Robin YOUNT

ミルウォーキー・ブリュワーズ一筋20年、
球団きってのヒーローである。

ヨーントは1973年、ブリュワーズに入団、
74年には打率.250、3本塁打、26打点を記録し、
18才でショートのレギュラーを獲得。
以降、78年には打率.293、9本塁打、71打点をマークするなど
打撃面では、着々と成長を続けるが、
守備は荒く、つまらないエラーを連発した。
ここまでが自分の限界と思い込んだのか、
急にプロゴルファー転身宣言をするなど
ファンやマスコミをおおいに騒がせた。

が、80年ヨーントの打撃はいきなり開花する。
打率.293 23HR 87打点を打ち、初のオールスターにも出場、
79年のオフにウエイト・トレに勤しんだ結果が実を結んだのである。

82年には.331の高打率に加え、29HR、114打点と爆発し
210安打で最多安打、シーズンMVPを獲得、
守備面でも、エラーの多こそ変わらなかったが
しばしば見せる好守の印象が高かったのか
ゴールド・グラブを獲得するまでになった。

その後も、親友のポール・モリターと共に
破壊力抜群の1-2番コンビを形成するなど、
安定した打撃でチームを支えるが
84年の肩の手術の影響もあって、85年には外野にコンバート。
主にセンターを守る事になった。
コンバートは成功し、外野の守備を無難にこなすヨーント、
87年には、打率.312、21本塁打、103打点をマークし、
守備位置の変更による打撃への悪影響は皆無であった。

89年には打率.318 21HR 103打点、
チームは不振にあえいだが、ヨーントは2度目のMVPに輝き、
これで、ショートと外野の2ポジションでのMVP獲得、
メジャーリーグでは3人目の快挙であった。

93年、37才で現役を引退。

一時は、野球を投げ出そうとしたヨーントであったが
20年間で通算3142本のヒットを放ち、
251本塁打、1406打点、271盗塁。
6度の打率3割以上をマーク。

99年には、殿堂入りも果たした。

シーズンオフには皮ジャンに身を包み
ワイルドなレースを楽しむバイカーでもあった。

file.063 Carl YASTRZEMSKI 【カール・ヤストレムスキー】

2006-02-16 | YZ
【YAZ】
Carl YASTRZEMSKI

3419安打は歴代6位、塁打は5539で8位、
二塁打が646で7位、1844打点は11位、
選んだ四球は1845で6位、輝かしい記録の数々は、
歴代2位の3308試合をかけて積み重ねてきた数字である。
23年間の長きにわたり、チームの中心打者であった証しでもある。

『ヤズ』ことカール・ヤストレムスキーは、
二塁手として1958年にレッド・ソックスと契約した。
60年に外野へコンバートされると、
翌年、かの大打者テッド・ウィリアムスの後継者たる
レフトのレギュラーを与えられる。
63年には早くも打率.321で首位打者の栄冠に輝くが、
66年までの6年間、ホームラン20本台が65年の一度だけと、
いまひとつパワフルな打撃には欠けていた。
ヤズに転換期が訪れたのは67年、かねてからの
ウェイト・トレーニングが効を奏したのか
この年いきなりリーグトップとなる44本のホームランを放つ。
打率.326 打点121もリーグトップで
1966年のフランク・ロビンソンに続く三冠王に輝いた。
また、チームの21年ぶりの優勝の立て役者としてMVPも獲得、
結局は敗れたワールド・シリーズでも打率.400、3本塁打を打ち気を吐いた。

両リーグを通じて、圧倒的に投高打低68年には
リーグでただ一人、打率.300台(.301)を打ち、首位打者を獲得。
以後69年、40本塁打、111打点、
70年、打率.329、40本塁打、102打点と好成績を残し
いよいよテッドの後継者たる大打者への道を歩むかに見えた。

が、71年に15本塁打に終わると、
以後、ヤズの長打力は影を潜め、83年の引退まで13年間、
20本塁打以上が3度、80打点以上が5度に終わるなど、
元の中距離打者に戻ってしまう。
また3割以上の打率も74年の.301しか記録できず
三冠王の面影は無くなってしまっていた。
しかしながらヤズがレッド・ソックスの主砲及び、
精神的支柱であることには何の疑いもなかった。
事実、23年のキャリアにおいて、100安打以上が22度、
唯一、それを逃した81年はストライキで試合数が少なかった年である。
この安定感こそがヤズの最大の武器であった。
加えて、ヤズは打撃だけのプレーヤーでは無かった。
ゴールド・グラブは7回受賞し、最多捕殺も7回を記録している。

レッド・ソックスの監督を勤めたラルク・ホウクはこう言う
『殿堂入りしている強打の打者はたくさんいるが、ヤズはそれだけの選手ではなかった。
1塁の走者を3塁まで進めるバッティングや、必要とあらば盗塁もした。
ダブルプレーを阻止する果敢なスライディングだって出来た。
敵のチャンスを奪う強肩も見せた。彼は全てが素晴らしかった。』

1983年ヤズは引退を決意、その最後のゲーム、
セレモニーで自分の後継者ジム・ライスをしっかり抱き締めると
自身も試合で1安打を放ち、8回にベンチに下がった。
悲しみにくれるファンを喜ばせたのはライスの決勝の3ランホーマーだった。

試合後の記者会見、ヤズは明るい笑顔でこう語った。
『今、全てが終わって10歳は若返った気分だ。』

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/stats_historical/mlb_player_locator_results.jsp?playerLocator=YASTRZEMSKI

file020 Anthony YOUNG 【アンソニー・ヤング】

2005-09-24 | YZ
【5-35】
Anthony YOUNG


1試合で20もの三振を奪ったクレメンスやケリー・ウッド
84試合連続でセーブに成功したガニエ
59イニング連続無失点で押さえたハーシハイザー

ノーラン・ライアン......カールトン......ボブ・ギブソン.......

キラ星のごとく輝くメジャーリーグを彩った名投手達...。

そして通産14勝48敗、メッツのアンソニー・ヤングも
野球ファンに強烈な印象を残した名投手である。

92年レッズ戦に登板し6回5失点で敗戦投手になったヤングは
以降、先発で7連敗リリーフで7連敗、計14連敗でシーズン閉幕を迎える。
この年、2勝14敗、防御率4.17。
93年、開幕後リリーフで5連敗、先発で再出発し3連敗、
さらに1敗し、23連敗のメジャー記録に並ぶと、
7月24日まで27連敗、負けに負け続ける。
そして7月28日リリーフ登板したヤングはようやく勝利投手になったが、
その後も3敗し、結局93年は1勝のみで16敗、防御率3.77。
28日の勝利後は「ワールド・シリーズを制した気分だ」と宣ったヤング、
メッツでの成績5勝35敗18セーブ防御率3.82WHIP1.39。
巡り合わせや不運で35敗は喫したが、防御率やWHIPは決して悪い数字ではない。
そして、負け続けても腐らずに投げ続けた精神力こそ
ヤングがメジャーリーグの歴史に刻んだユニークな存在感なのではないだろうか。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=124685