【60sドジャースの打の顔】
Tommy DAVIS
60年代前半のドジャース。
ドライズデール/コーファックスがチームの象徴であったが、
モーリー・ウィリスと、フランク・ハワード、そして二人のデイヴィスも
チームの攻撃の要であった。
二人のデイヴィス.....、
一人はウィリー・デイヴィス、
そしてもう一人がトミー・デイヴィスである。
学生時代はバスケットボールでも鳴らしたデイヴィスだったが、
選んだ進路はベースボールだった。
1960年に、ドジャースの外野のレギュラーをつかみ取ると
打率.276、11本塁打、44打点をマーク。
新人王こそ同僚のフランク・ハワードに持っていかれるが、
その才能をまざまざと見せつける。
61年、打率.278、10本塁打、58打点のデイヴィスは、
翌62年、打率.346、230安打、27本塁打、153打点、18盗塁...、
首位打者、打点王の二冠に輝き、大ブレークを果たすと、
63年も打率.326、16本塁打、88打点、15盗塁....、
前年に続き、首位打者を獲得、
チームをリーグ優勝に導き、
ワールドシリーズでも打率.400の大活躍。
ドライスデール/コーファックス/ジョニー・ポドレスらと共に、
MM砲を擁するヤンキースを散々に打ち破った。
65年、怪我でシーズンの大半を棒にふったデイヴィスは、
66年のオフ、メッツへ放出され、打率.302、16本塁打、73打点。
勝負強い打撃は新天地でも変らず発揮された。
以降、73年まで、実に9度に渡りチームを変えたデイヴィスであったが、
69年は、アストロズとシアトル・パイロッツで80打点、
70年は、アストロズ/アスレチックス/カブスで73打点をマークするなど
クラッチな打撃は影を潜める事は無く、
73年、オリオールズで打率.306、7本塁打、89打点、
74年も打率.289、11本塁打、84打点...と
2年連続でチームの地区優勝に貢献。
30代半ばにして、その渋い打撃は、衰えを知らぬかのようであった。
76年、ロイヤルズでその現役生活に終止符を打ったデイヴィス、
通算1999試合、打率.294、2121安打、1052打点。
サンディ・コーファックスは語る。
「62~63年において、トミー・デイヴィスは、球界で最高の打者だった。
チームに最良の貢献をしてくれたよ。
ただ非常に残念な事に、それを認識しているファンは決して多くは無かったんだ」
Tommy DAVIS
60年代前半のドジャース。
ドライズデール/コーファックスがチームの象徴であったが、
モーリー・ウィリスと、フランク・ハワード、そして二人のデイヴィスも
チームの攻撃の要であった。
二人のデイヴィス.....、
一人はウィリー・デイヴィス、
そしてもう一人がトミー・デイヴィスである。
学生時代はバスケットボールでも鳴らしたデイヴィスだったが、
選んだ進路はベースボールだった。
1960年に、ドジャースの外野のレギュラーをつかみ取ると
打率.276、11本塁打、44打点をマーク。
新人王こそ同僚のフランク・ハワードに持っていかれるが、
その才能をまざまざと見せつける。
61年、打率.278、10本塁打、58打点のデイヴィスは、
翌62年、打率.346、230安打、27本塁打、153打点、18盗塁...、
首位打者、打点王の二冠に輝き、大ブレークを果たすと、
63年も打率.326、16本塁打、88打点、15盗塁....、
前年に続き、首位打者を獲得、
チームをリーグ優勝に導き、
ワールドシリーズでも打率.400の大活躍。
ドライスデール/コーファックス/ジョニー・ポドレスらと共に、
MM砲を擁するヤンキースを散々に打ち破った。
65年、怪我でシーズンの大半を棒にふったデイヴィスは、
66年のオフ、メッツへ放出され、打率.302、16本塁打、73打点。
勝負強い打撃は新天地でも変らず発揮された。
以降、73年まで、実に9度に渡りチームを変えたデイヴィスであったが、
69年は、アストロズとシアトル・パイロッツで80打点、
70年は、アストロズ/アスレチックス/カブスで73打点をマークするなど
クラッチな打撃は影を潜める事は無く、
73年、オリオールズで打率.306、7本塁打、89打点、
74年も打率.289、11本塁打、84打点...と
2年連続でチームの地区優勝に貢献。
30代半ばにして、その渋い打撃は、衰えを知らぬかのようであった。
76年、ロイヤルズでその現役生活に終止符を打ったデイヴィス、
通算1999試合、打率.294、2121安打、1052打点。
サンディ・コーファックスは語る。
「62~63年において、トミー・デイヴィスは、球界で最高の打者だった。
チームに最良の貢献をしてくれたよ。
ただ非常に残念な事に、それを認識しているファンは決して多くは無かったんだ」