GUMBO

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file .242 Ron SWOBODA 【ロン・スウォボダ】

2008-03-04 | 1969/Miracle Mets
【ロッキー】
Ron SWOBODA

ロッキーのニックネームでファンに愛されたロン・スウォボダ、
そのキャリアは、9年と短く、
通算で、624安打、73本塁打、344打点、打率.242の数字を残している。

65年にメッツでメジャーデビューを果たしたスウォボダ、
この年、打率.228、19本塁打、50打点をマーク。
チームの外野のレギュラーに定着した。

67年、打率.281、13本塁打、53打点...と
好成績を残し、着実な成長を見せていたスウォボダであったが、
数字的にはこの年がピークで、
以後は、安定度、長打力、共に陰りを見せ始め、
出場機会は年々減っていく。

が、69年は、スウォボダにとっても
最高の年だったのではないだろうか、
弱小メッツがシーズン後半、奇跡の追い上げで
リーグ優勝、及び、ワールド・シリーズ制覇を果たした
いわゆる『ミラクル・メッツ』イヤーだったからだ。

スウォボダ自身は、主に、対左投手用として起用され、
通算成績こそ打率.235、9本塁打、52打点...と
平凡以下の結果に終わったが、
シーズン終盤の5週間ほどで、26打点を叩きだす働きをみせ、
メッツの逆転優勝に大きな貢献を果たした。

また、ワールドシリーズでも打率.400をマークした他、
好守を見せるなど、存分に暴れ回った。

その後、エキスポズやヤンキース...とチームを変え、
73年に現役を退いた。

さて、とある日、
先に紹介したスパーキー・ライルは、
クラブハウスに、ヤンキース球団から自分に届けられた
バースデー・ケーキを見て愕然とした。
普段から、多選手のケーキに尻型を残す奇行を働いていたライルだったが、
この日はやられた...。
自分のケーキには、尻型どころか、
本物の『ウ●コ』がトッピングされていたのである。

そう.....、まるで映画『ピンク・フラミンゴ』を地で行くような
品性のかけらも無い、お下劣合戦のもう一方の主役こそ、
ロン・スウォボダその人だったのである。

スウォボダは、自らが放ったキャッチャーフライが脳天に直撃したり、
バッティング・ケージに閉じ込められてしまったり、
試合中、自分の打席が回ってきた時に
のんびりトイレにいて代打を出されたり....と、
なかなかの天然ぶりを発揮したユニークな選手でもあった。

file.119 Jerry KOOSMAN 【ジェリー・クースマン】

2006-12-11 | 1969/Miracle Mets
【トムとジェリーin NY】
Jerry KOOSMAN

通算222勝をマークしたサウスポーで、
1969年の「ミラクル・メッツの立て役者」である。

メジャー昇格2年目の68年、防御率2.08、19勝の好成績をあげ
チームの左のエース格になったクースマン。

翌69年も25勝のトム・シーバーと両輪の大活躍で
17勝をマーク、メッツの初のリーグ優勝に大きく貢献した。

この年のワールド・シリーズでは、まず第2戦に先発、
8回を1失点の好投を披露し、
1戦目をシーバーで落としたチームに活気をもたらすと、
世界一を決めた5戦目では9回を3失点に抑え堂々の完投。
シリーズMVP級の活躍を見せた。

その後も、トム・シーバーと共に、
安定した活躍でチームを支える。
68年から76年の9年間は71年の6勝を除いて
全ての年で10勝以上をマーク、
二人がメッツでチームメイトだった67年から77年の10年間
シーバーが189勝、クースマンが137勝、
合わせて実に326もの勝利をチームにもたらした事になる。

76年に21勝でキャリア・ハイの成績をおさめたクースマンだが
77年に8勝20敗と調子を落とすと
翌78年は3勝15敗を喫し、ツインズに放出される。

が、地元のミネソタで復活、移籍1年目にして20勝をあげ
力が衰えていない事を示した。

その後、ホワイト・ソックス/フィリーズとチームを変え、
フィリーズ在籍の84年、41才ながら14勝をマークした。

殿堂入りの大投手トム・シーバーの影に隠れがちだが
ジェリー・クースマンも60、70年代のメッツを支えた
名投手である。

file.115 Bud HARRELSON 【バド・ハレルソン】

2006-12-06 | 1969/Miracle Mets
【ローズ対ハレルソン】
Bud HARRELSON

ミラクル・メッツの正遊撃手。

通算安打1120本、
通算打率.236、
16年のキャリアで放ったホームランは7本...
選球眼の良さは光るが、
打者としては力量不足だった感は否めない。
71年にゴールド・グラブを受賞するなど、
守備力には定評があった。

1973年、メッツ対レッズ、
ダブルプレーを成功させるべく
ジャンピング・スローを決めたハレルソンは、
一塁走者だったピート・ローズの上に着地した。
もちろん、故意のわけもない、不可抗力である。
が、ローズは怒り狂い、ハレルソンに殴りかかった、
セカンドベース付近で激しく殴り合う
ハレルソンとローズ。
両軍ベンチから選手達が一斉に飛び出し、
大乱闘となった。

騒ぎが収まり、レフトの守備についたローズを
今度はメッツファンの壮絶なる怒号と、投げ込まれるゴミが襲った。
しまいにはビールの瓶までがローズめがけて投げ込まれ、
ローズをはじめ、レッズの選手達は這う這うの体でベンチ裏へ逃げ帰った。

監督のヨギ・ベラ、クレオン・ジョーンズ、ラスティ・スタウブ、
トム・シーバー、そしてウィリー・メイズが、揃ってグラウンドに出て
怒り心頭のメッツファンをようやく静めたのであった。

file.051 Tom SEAVER 【トム・シーバー】

2006-01-08 | 1969/Miracle Mets
【主神オーデーン】
Tom SEAVER

1966年、ドラフト1位でブレーブスに指名されるも、
紆余曲折の末、新興球団のニューヨック・メッツに入団したシーバー。
決して大きくない体格をカバーするべく研究を重ね、
下半身に重きを置いたストライドの長いフォームを確立。
低い体勢から放たれた速球は打者の手元で浮き上がる.......。
いつからか『ライジング・ファースト・ボール』と呼ばれた
この速球を武器に大投手への道を駆け上り、
92年、98.8%という史上最高の得票率で
堂々、殿堂入りを果たす事になる。

シーバーが入団した1966年当時、
メッツは毎年100敗は確実の最弱球団であった。
「メッツの試合より酷い試合がある。メッツのダブル・ヘッダーだ。」
監督のケーシー・ステンゲルまでもが自虐のジョークを吐く程だった。

1969年、メッツの監督はギル・ホッジスに変わっていた。
シーバーも67、68年と連続して16勝をあげ防御率も2点台と、
弱小チームのエース的存在として孤軍奮闘していた。

そして69年メッツが奇蹟を起こした。

8月初旬の段階では、1位に9.5ゲームもの差をつけられていたが
中旬から怒濤の快進撃を見せ、
ついにはワールドチャンピオンにまで輝いた。
シーバーはシーズン後半戦10連勝を含む25勝、防御率2.21、
リーグ優勝決定戦、ワールドシリーズでも1勝づつをあげる大活躍。
左腕のジェリー・クースマンや
若きノーラン・ライアンらと共にチームを牽引した。
ミラクル・メッツの最優秀主演男優賞たるシーバーは
この年、最多勝とサイ・ヤング賞を受賞する。

70年、防御率2.81、18勝、
71年、防御率1.76、20勝、
72年、防御率2.92、21勝......と、活躍を続け、
73年は、防御率2.08、19勝で、チームのリーグ優勝に貢献した。

75年も防御率2.38、25勝と好成績をマーク、
結局メッツでは8年間で5回の最多奪三振、2度のサイ・ヤング賞
3度の最優秀防御率....と、その勢いは止まる事を知らなかった。

有名なスポーツライターのロジャー・エンジェルは
シーバーを評してこう書いている。
『メッツにとって、かけがえのない北欧神話の主神オーデーンのような存在だ』

また、ポップ・アートの巨匠、アンディ・ウォーホールも
自身のシルクスクリーン・アートで、シーバーを題材にした作品を製作している。

77年シーズン途中、フロントとの確執から
レッズにトレードされたシーバーだが
2チーム合計で21勝をマーク。
78年にはノーヒット・ノーランを達成するなど防御率2.88、16勝。
81年には防御率2.024、14勝で最多勝を獲得し
そのピッチングぶりは衰えを知らなかった。
83年以降は古巣メッツやホワイト・ソックス、
レッド・ソックスを渡り歩き
85年には齡40にして16勝を稼ぐ活躍を見せた。

86年、通算311勝、防御率2.86で引退したシーバー、
実は打撃も悪くなかった。
キャリアで12本のホームラン86打点をあげている。


http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=121961


file008 Tommie AGEE 【トミー・エイジー】

2005-07-13 | 1969/Miracle Mets
【The Catch 1969】
Tommie AGEE

ザ・キャッチ...といえば
大選手ウィリー・メイズの代名詞だが、
同じニューヨークのチーム、
メッツの同じセンターのポジションで、
さらに同じワールドシリーズの場面で、
ザ・キャッチに劣らぬファインプレーを演じた選手がいる...。

トミー・エイジー

通算安打は999本 本塁打は130本 打率は.250...
成績は一流に程遠いが、MLBで始めてナ・リーグ ア・リーグの
両リーグでゴールドグラブを受賞した選手である。

62年インディアンズでデビューしたエイジーは、
66年、ホワイト・ソックスで
打率.273、22本塁打、86打点をマークし新人王を獲得。
その後、68年にメッツに移籍するも67~68年の間は低迷。
1969年、打率.271、26本塁打の成績を残し復活
ミラクル・メッツの一翼を担った。

久々の好成績と、チームの奇蹟的なリーグ優勝にノったエイジーは
ワールドシリーズの第3戦で魅せた。
7回、若きノーラン・ライアンが招いたピンチ、2アウト満塁。
オリオールズのポール・ブレアが放った
センター右に飛んだヒット性の当りを好捕、
同じ試合で、ランナー2人をおいた状況で
左方向へ飛んだ打球も好捕しており
2度にわたり味方の大ピンチを救った。
エイジーはこの試合、ホームランも放つ大活躍で勝利に貢献し、
結局、メッツはワールドシリーズ初優勝を果たす。

殿堂入りするような選手ではない。
成績だけ見れば2流の選手かもしれない。
だが、エイジーが見せたこの試合のプレーは永遠の輝きを放っている。
http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=110084
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file006 Tug McGRAW 【タグ・マグロー】

2005-07-09 | 1969/Miracle Mets
【You gotta Believe】
Tug McGRAW

スクリューボールを武器に、
2度にわたり、チームの世界一に貢献した、名リリーバー。
ユーモアあふれる発言で、
ファンや他チームの選手からも愛された選手だった。

65年、メッツでメジャーデビューを果たしたマグロー。
数年の間、伸び悩んだが、
69年、防御率2.24、9勝、12セーブとブレーク。
『ミラクル・メッツ』の一員として、
チームの世界一に大きく貢献。

71年には防御率1.70、11勝、
72年は、8勝、27セーブと、
リーグを代表するリリーバーにの昇りつめた。

73年、チームも自身も不振にあえいでいたが、
自らが生み出した You gotta Believe ~信じることさ!!~ を合言葉に
シーズン最後の追い込み1ヶ月で4勝11セーブを荒稼ぎし、
メッツをリーグ優勝に導いた。

75年からはフィリーズに移籍。
80年には防御率1.46、5勝、20セーブで、
チームを世界一に導くなど、活躍。
フィリーズの5度の地区優勝に貢献した。

明るい人気者のマグローだが、私生活ではそういった華々しい活躍とは裏腹な面もあった。

マイナー時代の夏、恋におちた少女との間に生まれた男の子...。
結局、その少女とは結婚にいたらず、マグローはマイナスイメージになる事を恐れ
生まれた息子のことも15年以上無視し続けた....。

やがて自分にそっくりになった息子を見て、父と子の関係を築こうとする......。

息子、ティム・マグローはアメリカで人気カントリー歌手として大成功をおさめる。
結局タグを「父さん」とよぶ事はなかったという.....。

2004年タグ・マグローは脳腫瘍で、59歳の生涯を閉じることになるが、
離婚を重ねたためにほとんど無一文だったタグ、彼の約一年間の闘病生活を金銭面で支えたのは
一度も父を父と呼ばなかった息子ティム・マグローであった。

通算96勝、180セーブ、防御率は3.14。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=118724

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