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file .309 Ken GRIFFEY Jr.【ケン・グリフィー ジュニア】

2014-01-03 | GHI
【the KID】
Ken GRIFFEY Jr.


ビッグレッドマシーンの一員である
ケン・グリフィーを父に持つサラブレッドのジュニアは、
高校時代に2度の最優秀選手に輝くなど、
天賦の才を遺憾なく発揮。
シアトル・マリナーズから1位指名を受け入団する。
1989年、19才でメジャーに昇格したジュニアは、
打率.264 16本塁打 61打点で新人王投票3位に付ける活躍を見せ、
90年には打率.300 22本塁打 80打点でセンターのレギュラーに定着。
早々とブレークを果たす。

しなやかで美しいフォームから力強い打球を放ち、
走れば俊足、守れば広い守備範囲でスーパープレイを連発。
やんちゃなルックスと、天真爛漫かつ、華やかな佇まいも相まって
若くして当代きってのスーパースターの座に座る事となった。

また90年には現役を続けていた父がマリナーズに入団。
史上初となる親子でスタメン出場を果たし、
更に2者連続本塁打を記録、野球ファンに爽やかな感動を提供した。

91年には打率.327 22本塁打 100打点、
史上最小年齢での100打点をマークすると、
その後も着実にステップアップ。
93年、打率.309 45本塁打 109打点、
ストライキにより8月にシーズンが終了した94年は
打率.323 40本塁打 90打点で本塁打王を獲得、
ストライキが無かったら60本超えも夢では無かった。

フォトジェニックなグリフィーのトレードマークは、
練習中などに帽子を後ろ前に被るスタイルだ。
一部のお堅い関係者からは批判めいた発言もあったが、
グリフィーは、気にする事なく、逆に94年オールスターのホームラン競争で
帽子を後ろ前に被ったスタイルで優勝。
その実力をまざまざと見せつけ周囲を黙らせた。

スーパープレイの代償で左手首を骨折した95年は、
怪我の影響で打撃も鈍り打率.258と調子を落とすも
96年は打率.303 49本塁打 140打点と負傷前よりパワーアップ。
さらに翌97年は打率.304 56本塁打 147打点でチームを地区優勝に導き、
本塁打・打点の二冠王とシーズンMVPを獲得。
ジュニアは父を超え、メジャーリーグを代表する超一流のスーパースターに登り詰めた。

98年、56本塁打。99年、48本塁打と97年も合わせて3年連続で本塁打王に輝いたグリフィーだったが、
自らトレード志願し、2000年からかつて父が在籍したシンシナティ・レッズに入団。
マリナーズファンから脅迫めいた手紙が届くなど、大騒ぎとなった。

レッズ移籍後、30才になっていたグリフィーは、
長く人工芝の球場でプレーしていた所為か、足の故障に苦しめられ、
2000年こそ打率.270 40本塁打 118打点となんとか面目を保つが
01年、打率.286 22本塁打 65打点(111試合)。
02年に至っては、70試合の出場で打率.264 8本塁打 23打点と低迷する。

その後も故障で03、04年と二桁試合数にとどまり、かつての輝きを失ったジュニアは
05年、打率.301 35本塁打 92打点、
07年は、打率.277 30本塁打 93打点とややしばし成績を持ち直すも
足の状態は良くなる事はなく、
08年シーズン途中にホワイトソックスへ、
09年は古巣のマリナーズに戻り、
10年、現役を引退した。

マリナーズ時代は、11年連続オールスター出場に加え、
10年連続ゴールドグラブ賞を受賞。
華々しいキャリアのイメージは大半がマリナーズ時代のものである。
が、ジュニアが90年代最高のスーパースターだった事に異論を持つ者は皆無だろうし、
なんといってもステロイドをはじめとした薬物の噂とは無縁でクリーンだった事実が
グリフィーの価値を大いに高めている。

イチローをはじめとして、多くのメジャーリーガーの憧れの存在であり、
殿堂入り確実な、歴史に残る偉大なレジェンドである事に間違いない。

通算2671試合、打率.284 630本塁打 1836打点 184盗塁。

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