GUMBO

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file018 Bo JACKSON 【ボー・ジャクソン】

2005-08-04 | JKL
【Bo knows】
Bo JACKSON

長いメジャーの歴史の中にあって、
他のプロスポーツと野球の掛け持ちをした選手は
恐らく大勢いるのだろうが、
ボー・ジャクソンほどの
インパクトを残した選手はいないであろう。
85年、タンパベイ・バッカニアーズとの契約を蹴り、
カンザスシティ・ロイヤルズと契約、
86年にはメジャーへ昇格する。
87年、22本の本塁打を放つと、
オフにはNFLのロサンゼルス・レイダースと契約を交わした。
ここにMLBとNFLのスーパースター、ボー・ジャクソンが誕生する。

88年、打率.246、25本塁打、68打点。
89年は、打率.256、32本塁打、105打点、26盗塁と大活躍。
同年オールスターに出場し
先頭打者本塁打を含む2安打1盗塁をマーク、
ジャクソンは全世界にその実力を見せつける。
さらにこの年、NFLのオールスターにも出場、
「趣味」のフットボールでもスターの座を獲得するのである。

メジャーリーグのスーパースター達も
ジャクソンには脱帽状態で、
多くの選手から羨望の眼差しを浴びた。

ジャクソンの魅力はパワーとスピードだが、
守備面でもその2ツールを活かし、
華麗な超ファイン・プレーを時折魅せてくれた。

90年、NFLのプレーオフに出場したジャクソンは相手のタックルを受け、
臀部を手術しなければいけない程の重傷を負う。
これ以降、ジャクソンの成績は下降し、
94年、余力を残しながらも
カリフォルニア・エンゼルスで
その太く短いキャリアを終える。
31歳の若い引退であったが、
そのユニークな存在はMLB,NFL両方の歴史で光り輝いている。


http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=116446

file017 Maury WILLS 【モーリー・ウィルス】

2005-08-03 | VWX
【ドジャース戦法の要】
Maury WILLS

60年代、3度のリーグ優勝と、
2度のワールド・チャンピオンに輝いたドジャース。
投の要は間違い無く、ドン・ドライスデールと
サンディ・コーファックスの2人だが、
打の要はモーリー・ウィルスであろう。

メジャー2年目の60年、打率.295、50盗塁で
チームのリードオフマンに定着。
62年には打率.299、104盗塁の大活躍でシーズンMVPを獲得、
ドジャースのみならず、リーグを代表する選手となる。

65年は、打率.286で94盗塁を決め、本塁打0ながら
MVP投票では3位にランクされた。
チームは、ワールドシリーズを制覇し、
ウィルス自身もシリーズは絶好調、打率.367、3盗塁と
大活躍であった。

当時のドジャースには圧倒的な長距離打者が不在で、
ウィルスや、ウィリー・デービスら、
俊足好打の打者が出塁し、塁上をかきまわし、
ようやくもぎ取った最少得点を、
ドライスデールや、コーファックスといった投手陣が守り抜く...
というような機動力野球を展開していた。
そんな中、ウィルスは結局、60年から65年にかけて
6度の盗塁王に輝き、打線を牽引した。
ドジャースの打線はウイルスを中心に繋がっていたのである。
このドジャースの戦い方は「ドジャース戦法」と呼ばれ、
牧野 茂によってV9時代の読売ジャイアンツに導入された。
そしてウィルスは、こうした組織野球戦術には
欠かせない選手だったのである。

67年にパイレーツに移籍、68年には52盗塁を決めるなど
スピードに衰えは見られず、その後、エクスポズを経て
1972年、古巣ドジャースで現役を退いた。

80年、マリナーズの監督に就任したウィルスだったが、
こちらの分野では全く振るわず、
81年途中で解雇の憂き目にあっている。
また、息子のバンプもレンジャーズなどで6年間に渡りメジャーで活躍、
通算196盗塁を記録し、父親譲りの俊足を披露した。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=124371

file016 Harmon KILLEBREW 【ハーモン・キルブリュー】

2005-08-02 | JKL
【キラー】
Harmon KILLEBREW

ハーモン・キルブリューは
1954年、当時としては破格の
30000ドルという契約金で
セネターズに入団した。

マイナーを経ずにメジャーデビューするが、
全く打てず、以後は苦しむ事になるが
1959年、いきなり42本の本塁打を放ち、
本塁打王を獲得、三塁手のレギュラーに定着する。

以後、苦手な守備では
三塁/一塁/左翼とコンバートを繰り返すも打棒は絶好調、
61年、46本塁打、122打点の好成績を残すと、
62年には、48本塁打、126打点で2冠王に輝く。
63年、45本塁打.....64年、49本塁打で3年連続のホームラン王、
オールスターの常連になった。

1965年はワールドシリーズの舞台も体験するが
サンディー・コーファックスを擁する
ドジャースの前に3勝4敗で敗れている。

66年から71年の6年間は、怪我で
シーズンの後半を棒にふった68年以外、
全ての年で100打点以上をマーク。
67年、44本塁打、113打点で5度目の本塁打王に輝くと、
69年も、打率.276、49本塁打、140打点で、
二冠王と、シーズンMVPに輝く大活躍を見せ、
チームを地区優勝に導いた。

72年から、その打棒に衰えが見え始め、
75年、ロイヤルズでそのキャリアを終えた。

キルブリューが活躍した60年代、
ナショナル・リーグはブラック・パワーが席巻、
ウィリー・メイズ/オーランド・セペダ
/ハンク・アーロン/ウィリー・マッコビーらが
凌ぎを削って本塁打を量産した。
60年代に本塁打王に輝いた白人は、
ナショナル・リーグにおいては皆無である。
逆に黒人選手の門戸開放が遅れたアメリカン・リーグは
キルブリューとフランク・ハワードを中心に
白人が本塁打王をほぼ独占していた。

3割を打つ事は無かったが、
40本塁打8回、100打点9回........
相手投手からは“キラー”と恐れられた。

通算本塁打573本を放ち1984年には
殿堂入りを果たしたキルブリューも、
引退後は破産や離婚を経験、
私生活では“キラー”ぶりは発揮できなかった???

ちなみに現在のMLBロゴのシルエットは
キルブリューがモデルだという説がある。

http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/mlb/stats_historical/mlb_player_locator_results.jsp?playerLocator=killebrew

file015 Gary CARTER 【ゲーリー・カーター】

2005-08-01 | ABC
【エクスポズの至宝】
Gary CARTER

1974年、エクスポズでデビューしたカーターは、
その強打で77年には31本塁打を放ち、
レギュラーに定着する。
もともとは外野手だったが、
マイナーで捕手にコンバートし成功した。
75年に17本塁打、68打点の成績で
新人王レース2位にランクされる活躍を見せると
77年には31本塁打、84打点と攻撃力を見せつける。
80年には初の打点100以上となる101打点をマークし
加えて、ゴールドグラブ賞に輝くなど、
攻・守両面において、名実共にエクスポズの中心選手となった。
81年のオールスターでは2本の本塁打でMVP、
84年には、打率.294、27本塁打、106打点で、
シーズン打点王にも輝いた。
エクスポズが最も輝いていた時期の名捕手ではあったが、
ワールドシリーズには縁が無かった。

85年、大型トレードでメッツに移籍、
32本塁打、100打点をマークし、
変わらぬ強打のキャッチャーぶりを見せると、
24本塁打、105打点の活躍を見せた86年には
ついに念願のワールドシリーズに出場する。
ビル・バックナーの世紀の大エラーが出た事で有名なシリーズだったが、
カーターも第4戦に2本塁打を放つなど活躍し、
メッツをチャンピオンに導く。

以降は、ジャイアンツ、ドジャース、エクスポズを経て現役を引退する。

通算で2092安打、324本塁打、
ゴールドグラブ3回受賞に11度のオールスター出場.....と、
成績面では、文句のつけようの無い名選手だが、
現役中は目立ちたがり屋で、マスコミに対する発言など
スタンドプレーともとられる言動が多く、
チームメイトからは白い目で見られる事もあったという。

2003年、殿堂入りを果たすのだが、
殿堂入りする際に作るレリーフのカーターは、
栄光を極めたメッツの帽子ではなく、
今は無きエクスポズ時代の帽子をかぶっている。

「私はエクスポズの選手として殿堂入りしたい」

そしてそれはカーター自身が決めた事であった。


http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/stats/historical/individual_stats_player.jsp?c_id=mlb&playerID=112061