【シニア】
Ken GRIFFEY
言わずと知れた『ジュニア』の父である。
1973年、23歳のグリフィーは、
レッズの外野手としてデビュー。
メジャー3年目の75年、132試合に出場し
打率.305、4本塁打、46打点、
チームのリーグ優勝、及び、
ワールドシリーズ制覇に貢献。
『ビッグ・レッド・マシーン』の一翼を担った。
翌76年は、打率.336(リーグ2位)、6本塁打、74打点、34盗塁....と
惜しくも首位打者こそ逃したが、
素晴らしい成績で、2年連続のワールド・シリーズ制覇に貢献。
チームに欠かせぬ選手の一人となった。
その後、レッズには81年まで在籍し、
77年に打率.318、79年は打率.316を打つなど安定感を見せ、
80年は打率.294、13本塁打、85打点と勝負強い打撃を披露。
安定した働きでチームを支えた。
82年、ヤンキースへ移籍、
レギュラー外野手として活躍。
以降、ブレーブスを経て、
88年、シーズン途中で古巣レッズへ舞い戻った。
90年、46試合で打率.206と低迷していたグリフィーを
レッズはシーズン途中でウェーバーにかけた。
獲得に名乗りをあげていたのはア・リーグの、とある球団。
メジャー2年目、若干20歳にしてチームの顔となった
グリフィーの息子『ジュニア』が在籍していたマリナーズである。
8月31日にマリナーズは
2番レフトシニア、3番センタージュニアの打線を組み、
ここに史上初の『同一チーム・同時在籍』親子メジャー・リーガーが誕生した。
この日、早速第一打席で親子仲良くセンター前ヒットを放つと、
9月14日には2者連続本塁打をカッ飛ばし、
球界をおおいに湧かせた。
シニアが取るはずのレフト・フライをジュニアがセンターの守備位置から
走ってきて捕球してしまうなど、微笑ましいプレーも見せた。
40歳のシニアは、移籍後、溌溂とプレーし、
この年、マリナーズでは21試合で打率.377、3本塁打、18打点を打った。
91年、現役を引退。
通算2143安打、200盗塁、打率.296。
単なる『シニア』ではない、名選手であった。
Ken GRIFFEY
言わずと知れた『ジュニア』の父である。
1973年、23歳のグリフィーは、
レッズの外野手としてデビュー。
メジャー3年目の75年、132試合に出場し
打率.305、4本塁打、46打点、
チームのリーグ優勝、及び、
ワールドシリーズ制覇に貢献。
『ビッグ・レッド・マシーン』の一翼を担った。
翌76年は、打率.336(リーグ2位)、6本塁打、74打点、34盗塁....と
惜しくも首位打者こそ逃したが、
素晴らしい成績で、2年連続のワールド・シリーズ制覇に貢献。
チームに欠かせぬ選手の一人となった。
その後、レッズには81年まで在籍し、
77年に打率.318、79年は打率.316を打つなど安定感を見せ、
80年は打率.294、13本塁打、85打点と勝負強い打撃を披露。
安定した働きでチームを支えた。
82年、ヤンキースへ移籍、
レギュラー外野手として活躍。
以降、ブレーブスを経て、
88年、シーズン途中で古巣レッズへ舞い戻った。
90年、46試合で打率.206と低迷していたグリフィーを
レッズはシーズン途中でウェーバーにかけた。
獲得に名乗りをあげていたのはア・リーグの、とある球団。
メジャー2年目、若干20歳にしてチームの顔となった
グリフィーの息子『ジュニア』が在籍していたマリナーズである。
8月31日にマリナーズは
2番レフトシニア、3番センタージュニアの打線を組み、
ここに史上初の『同一チーム・同時在籍』親子メジャー・リーガーが誕生した。
この日、早速第一打席で親子仲良くセンター前ヒットを放つと、
9月14日には2者連続本塁打をカッ飛ばし、
球界をおおいに湧かせた。
シニアが取るはずのレフト・フライをジュニアがセンターの守備位置から
走ってきて捕球してしまうなど、微笑ましいプレーも見せた。
40歳のシニアは、移籍後、溌溂とプレーし、
この年、マリナーズでは21試合で打率.377、3本塁打、18打点を打った。
91年、現役を引退。
通算2143安打、200盗塁、打率.296。
単なる『シニア』ではない、名選手であった。