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file.163 Reggie JACKSON【レジー・ジャクソン】

2007-02-24 | JKL
【ミスター・オクトーバー】
Reggie JACKSON

強い自己顕示欲.....歯に衣着せぬ物言い、傲慢でエゴイスト.....。
長いメジャーリーグの歴史の中でも
一、二位を争う程の個性派プレーヤー、レジー・ジャクソン。
通算563本塁打に加え、
三振は歴代ワーストの通算2597を記録している。

ジャクソンは、66年にアスレチックスに入団。
68年に29本塁打を放ち、その実力を示すと、
翌69年には、47本塁打をマーク。
早くもチームの主砲として頭角を表した。

71年、32本塁打、80打点でチームを地区優勝に導くと、
73年、32本塁打、117打点で二冠王とMVPを獲得。
ワールドシリーズでも打率.310、6打点と活躍し
怪我で出場出来なかった72年のワールド・シリーズの鬱憤を晴らし
アスレチックスを2年連続の世界一に導いた。

74年もポスト・シーズン合計10打点を叩きだし、
3年連続ワールドシリーズ制覇に大きく貢献。
押しも押されぬチームの顔となったジャクソンは、
この頃から、傲慢な性格が顔を出すようになる。

この頃のアスレチックスのトレードマークであった
『ヒゲ』も、元々はジャクソンが発端。
当時はメジャーでは御法度だった『ヒゲ』も
今ではすっかり定着している。

アスレチックスで2度の本塁打王を獲得し、
球界を代表するスラッガーとなったジャクソンは、
76年のオリオールズを経て、77年、FAで高額契約し、ヤンキースへ移籍。
この年32本塁打、110打点をマークし、チームをリーグ優勝に導いたジャクソンは
ワールド・シリーズで空前絶後の大爆発。
第6戦は3打数連続の本塁打を叩き
前日の試合から4打数連続の本塁打をスタンドにブチ込んだ。
結局、このシリーズは5本塁打、8打点、打率.450の
ワンマンショーで、文句無しのシリーズMVPに輝いた。
シーズン中、イニング途中の守備交代を巡って、
ジャクソンと試合中にベンチで激しい口論を交わした監督のビリー・マーチンも
笑って認めざるをえないド派手な大活躍であった。
(マーチンとはその後も衝突を繰り返し、二人の関係はますます悪化する)

全国区のスーパースターとなったジャクソン、
その尊大な性質にはますます磨きがかかり、
『レジー・バー』なるピーナッツとキャラメルをチョコで包んだ
本人の濃いキャラクターそのもののお菓子が発売されたり、
「J・ロビンソン以降、一番重要な黒人選手は俺だ!」と
全く的外れな迷言を言い放ったり、チームのキャプテン、サーマン・マンソンを中傷したりと、
やりたい放題、言いたい放題で、絶える事なく話題を振りまいた。

以降も、豪快なスイングで2度の本塁打王を獲得したジャクソン、
78年は、ヤンキース2年連続の世界一に大きな貢献を果たし
82年から、エンゼルス、アスレチックスとチームを変え、
87年41歳で現役を引退した。

93年、殿堂入りを果たし、アスレチックス時代の『9』と
ヤンクス時代の『44』は、それぞれのチームで永久欠番となっている。