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file.260 Norm CASH 【ノーム・キャッシュ】

2008-08-23 | ABC
【Stormin' Norman】
Norm CASH

1973年、7月15日、デトロイト。
デトロイト・タイガースvs カリフォルニア・エンゼルス、
この日、エンゼルスの先発投手、ノーラン・ライアンは
9回2死までタイガースを無安打に抑える
快刀乱麻の投球を見せていた。
........あと一人でノーヒッター........
主砲のノーム・キャッシュが打席に立つと
ライアンは、その眼を疑った。
キャッシュの手に握られていたのは
バットではなく、テーブルの脚だったのだ。
「あんた、何やってんだ、馬鹿な事はやめろ」
審判のロン・ルチアーノはが注意するとキャッシュは真剣な面持ちで言い放った
「どうせ、打てないんだ。コイツだってバットだって一緒だろ!!」

NHLのベアーズからもドラフトされたというキャッシュ。
58年、ホワイトソックスでデビューするも成績は泣かず飛ばず、
ブレークを果たしたのは60年、タイガースへトレードされてからであった。
この年、打率.286、18本塁打、63打点をマークしたキャッシュは
翌61年、自慢のお手製コルクバットで豪打連発。
打率.361、41本塁打、132打点...と脅威の成績を残し
首位打者の栄冠に輝くが、この年は運悪くロジャー・マリスの『61』の年。
キャッシュが注目を浴びる事は殆ど無かった。

コルクバットを捨て、新たな気持ちで迎えた翌62年、
39本塁打を放ちパワーを見せつけたものの、
打率は.243まで降下し、打点も89。
前年に比べおおいに成績を下げた。

以降、63年は打率.270、26本塁打、79打点、
66年は打率.279、32本塁打、93打点と
主砲としては申し分無い働きを見せるキャッシュだったが
61年レベルの成績を残すのには至らなかった。

68年、打率.263、25本塁打、63打点、
物足りない数字ではあったがチームはリーグ優勝。
カージナルスとのワールド・シリーズでは、
打率.385、1本塁打、5打点と大暴れ。
タイガース22年ぶりの世界一に大きな貢献を果たした。

その後、74年までタイガースでプレーし現役を引退。
前述のライアンの一件でも分かる通り、
ユーモアのセンスに溢れ、ファンや他の選手たちに愛された。
ランナーで出て、1~2塁間で挟まれた際には
両手で『T』の字を作り、タイムを要求した事もあるという。

通算1820安打、377本塁打、1103打点、打率.271
一塁守備も名人級であった。

1986年、ボートの事故で死去。


file .259 Don NEWCOMBE【ドン・ニューカム】

2008-08-02 | MNO
【Newk】
Don NEWCOMBE

ニグロ・リーグのニューアーク・イーグルスで活躍していたニューカムが
ブルックリン・ドジャースと契約を交わしたのは1946年。
メジャーデビューを果たしたのは1949年。
3年間、待たされたフラストレーションを一気に爆発させたニューカムは、
この年、防御率3.17、17勝の大活躍。
チームをリーグ優勝に導き、
ワールドシリーズでは、2敗を喫するが、
ヤンキース相手に好投を見せ、その勇姿を選手やファンの心に焼き付けた。

翌50年、防御率3.70、19勝
51年には、防御率3.28、20勝、リーグトップの164奪三振.....と、
早くも、ドジャースのエースに君臨していたニューカムであったが、
52~53年は兵役のため、チームを離れた。

豪速球とカーブが武器のニューカム、
未だ、人種差別が幅をきかせていたこの時代、
白人打者相手に闘志むき出しの投球で、
相手を震え上がらせた。
敵軍コーチから、人種絡みの汚い野次を飛ばされた時には
打者に対して、頭部を狙ったかのようなピッチングで威嚇。
恐怖にかられた、その打者は
味方ベンチの、コーチに対し、
「てめえ黙りやがれ!! 俺が殺されるだろう!!」と
キレる始末であったという。

54年、兵役から戻っていたニューカムは、
身体のキレが戻らず、防御率4.55、9勝と調子を崩すが
翌55年は見事復活。
防御率3.20、20勝の好成績で
チームのワールドシリーズ進出に大きく貢献。
シリーズでは、1試合で6失点を喫し、
勝利投手にはなれなかったが、ドジャースは見事、優勝。
宿敵ヤンキースを倒しての世界一を果たし、
ニューカムも、大いに仲間と喜びを分かち合った。

56年は防御率3.06、27勝.....と大活躍、
MVPとサイ・ヤング勝のダブル受賞を果たしたが、
新人王、シーズンMVP、サイ・ヤング勝を全て獲得した選手は
今のところ、このニューカムのみである。

その後、ニューカムは
チームがブルックリンからLAに移ると、
大きく調子を崩し、58年シーズン途中でレッズへ移籍、
59年に防御率3.16、13勝をマークするなど奮闘したが
60年を最後にメジャーのチームで投げる事は無かった。

ちなみにメジャー時代から、野手顔負けの打撃力を見せつけていたニューカム。
通算打撃成績は、打率.271、15本塁打、108打点を誇り、
62年、外野手として日本のドラゴンズで活躍した際には、
81試合で打率.262、12本塁打、43打点をマークした。

メジャー通算149勝、防御率3.56、1129奪三振。