K小学校・高学年
『したきりすずめ』
ぶん/まつたにみよこ え/むらかみこういち
『舌切り雀』は「ももたろう」「さるかに」「花咲じい」「かちかち山」と並んで五大お伽噺のひとつといわれる有名な話だそうです
どの話にも悪者と善者が出てきて
悪者には結構残酷なしうちや結末が待っています
最近の絵本では残酷な部分を
めでたしめでたし・・・・という風に書き換えられたものが多いそうですが・・・・。
この本の
松谷みよ子さんのあとがきが素晴らしかったので
そのまま一部抜粋
この「したきりすずめ」のなかの、ばあさまの人間くささ、私は同じようなものが私の中に潜んでいることを認めないではいられません。じいさまの雀に対する無垢の愛に対し、ばあさまがおもしろくないふうだったり、同じ夫婦でありながら、爺様がもらってきたみやげものでは納得せず、自分でもらいにいくばあさま、まことに婆様の面目躍如たり、というところです。ですからじいさまが雀をたずねていく途中で、がっぷがっぷと飲み干す馬の洗いじるや牛の洗いじるを、同じようにばあさまが飲み干しても、内容はまったくちがうのです。雀をたずねていく、そのことひとつでも、雪と墨ほどに心持ちがちがい、たとえ同じ言葉をとなえても意味が違う、その違いがこのくらい明確に語られている話はそう沢山無いのではないかと思います。私達の日常にも、このような事はどのくらいたくさんころがっているでしょうか。それを見抜ける目があれば、人生はもっとくっきりと、真実のひだをあらわしてくるのではないでしょうか。
ですから私は、この話を単に勧善懲悪の話とみては、やはりつまらないと思います。舌を切ったばあさまの、砂をかむようなかなしい心は、ばあさまひとりが責めを負わなくてはならないのでしょうか。そんなことも私は考えたりします。
しかし、ここでひとつ面白いのは、近世になって出た赤本などでは、この話がいじいさまととなりの意地悪なばあさまの話になっている点です。そして馬の洗いじるのくだりもありません。こうしてみると、本になった話の方がずっとつまらないと私は思います。「となりのじい」という話は民話におおいのですが、『舌切り雀」の場合、同一家族の中でおこった葛藤の方が、私はより人生の真実を語っているように思われます。まして現象と本質の問題をくっきりと描いた馬の洗いじるのくだりを省いてしまったことは、話をひどくつまらないものにしています。・・・・・・
心に強烈に残る話
幼い日、よくわからないまま素通りしてしまったその話の中のある真実が、おとなになってキラリと光ることがある、それでいのではないでしょうか・・・・・後略
このあとがき読んでから
改めて舌切り雀を読んでみると
いじわるばあさんが自分の顔に見えてくるから不思議だ
『したきりすずめ』
ぶん/まつたにみよこ え/むらかみこういち
『舌切り雀』は「ももたろう」「さるかに」「花咲じい」「かちかち山」と並んで五大お伽噺のひとつといわれる有名な話だそうです
どの話にも悪者と善者が出てきて
悪者には結構残酷なしうちや結末が待っています
最近の絵本では残酷な部分を
めでたしめでたし・・・・という風に書き換えられたものが多いそうですが・・・・。
この本の
松谷みよ子さんのあとがきが素晴らしかったので
そのまま一部抜粋
この「したきりすずめ」のなかの、ばあさまの人間くささ、私は同じようなものが私の中に潜んでいることを認めないではいられません。じいさまの雀に対する無垢の愛に対し、ばあさまがおもしろくないふうだったり、同じ夫婦でありながら、爺様がもらってきたみやげものでは納得せず、自分でもらいにいくばあさま、まことに婆様の面目躍如たり、というところです。ですからじいさまが雀をたずねていく途中で、がっぷがっぷと飲み干す馬の洗いじるや牛の洗いじるを、同じようにばあさまが飲み干しても、内容はまったくちがうのです。雀をたずねていく、そのことひとつでも、雪と墨ほどに心持ちがちがい、たとえ同じ言葉をとなえても意味が違う、その違いがこのくらい明確に語られている話はそう沢山無いのではないかと思います。私達の日常にも、このような事はどのくらいたくさんころがっているでしょうか。それを見抜ける目があれば、人生はもっとくっきりと、真実のひだをあらわしてくるのではないでしょうか。
ですから私は、この話を単に勧善懲悪の話とみては、やはりつまらないと思います。舌を切ったばあさまの、砂をかむようなかなしい心は、ばあさまひとりが責めを負わなくてはならないのでしょうか。そんなことも私は考えたりします。
しかし、ここでひとつ面白いのは、近世になって出た赤本などでは、この話がいじいさまととなりの意地悪なばあさまの話になっている点です。そして馬の洗いじるのくだりもありません。こうしてみると、本になった話の方がずっとつまらないと私は思います。「となりのじい」という話は民話におおいのですが、『舌切り雀」の場合、同一家族の中でおこった葛藤の方が、私はより人生の真実を語っているように思われます。まして現象と本質の問題をくっきりと描いた馬の洗いじるのくだりを省いてしまったことは、話をひどくつまらないものにしています。・・・・・・
心に強烈に残る話
幼い日、よくわからないまま素通りしてしまったその話の中のある真実が、おとなになってキラリと光ることがある、それでいのではないでしょうか・・・・・後略
このあとがき読んでから
改めて舌切り雀を読んでみると
いじわるばあさんが自分の顔に見えてくるから不思議だ
実は、大人になってびっくりした経験があります。
「かにむかし」や「かちかち山」を仇討という現代ではあまり歓迎されない行為のお話として嫌う方もいらっしゃるのですが、私は結構好きです。
仇討が好きなわけでもないのですが、悪いことをしたら仕返しをくらうんだぞ!ということをもっとわかった方がいいと思う時があります。
だって・・・最近の子って、何をしてもいいんだと思ってるような感じがするんですもん。
「舌切雀」に限らず・・・・意地悪ばあさんが出てくると、にんまりしてしまうのは、やっぱり自分と重ねるところがあるからかもしれませんね。
もっとえげつないシーンもあるみたいよ
最近の昔話は表現をかなりソフトにしてるようで
そのことで面白みがなくなっていると松谷みよこさんは言われてますね
私も勧善懲悪、よいこの絵本みたいなものより、人間くささとか悲しみ痛みみたいなのが感じられる昔話みたいなものに魅力を感じます
ただ、その場合は子どもの状態をよく見て、一人一人適切な年齢で本に出逢うということも大切かもしれませんね
舌きり雀のおばあさん
なんか気持ちはわかるのよ
子育て忙しい時はろくに関わりもしなかったくせに
な~にが可愛い雀のチョンやチョンだよ!
ってね