寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

ことば

2013-10-22 10:53:21 | ちょっと感じたこと

お月忌参り・・・・
夫は、大抵、7時30分頃家を出る
あたしは朝のルーティンワークもあるので、その時間には難しい
頑張って8時出発

いつも住職がお参りに行ってるところに
イレギュラーに私が伺ったりすると
「今日は住職さんお忙しいんですか」って
8割ぐらい聞かれる
他意はないと思う

でも、
人によってはこの30分の時間差を「遅い」と感じることもあるみたい

そんな空気を感じるとき
先の言葉はちょっとプレッシャーになる

今朝も
いつもなら住職が8時前にはお参りしてるYさんち
私が行くと
「今日は住職さん忙しいやろね」・・・と
そしてその後
「女が朝早く出てくるのは、大変よの」とねぎらいの言葉をかけてくれた

何気ない言葉なんだけど
「判ってくれてるんだなぁ」って
なんか嬉しかった

そしたら流れで(・・・っていうのも変だけど、特別意識する事無く)
「母が家のことや留守番を引き受けてくれるから、出てこれるんですよ」なんて言葉が自然と出てきた

これでも
普通に嫁姑やってるので
いろいろな摩擦は当然ある
正直なところ、
いつ感謝の念に溢れている訳ではない

だけど
微かだけど感じている感謝の念
反発や意地から押し込めてる思い
もしかしたら微塵もないものかもしれんが
そういうものが言葉を口にすることによって
素直に自分の中に降りてくる
言霊マジック!
その言葉も
相手の言葉の力によって引き出されるっていうね

 

「菩薩は、身は本処を動かないであまねく十方世界に至り諸仏を供養し衆生を済度する。
言葉というものは
こういう働きや力を持っているのではないでしょうか」
・・・・・・・前回大経の会講義より


10月17日(木)のつぶやき

2013-10-18 01:42:22 | Weblog

@akarikir  NHKの朝ドラはだいたい主人公のキャラが苦手であまり見てません。杏は好きな女優さんなんだけどなぁ・・・。今期のドラマは錦戸君の陰陽師が思いのほか面白い。何が面白いって、法話ネタ満載・・・とうちの住職も申しておりました(笑)



10月16日(水)のつぶやき

2013-10-17 01:34:42 | Weblog

あまちゃん効果に引っ張られて、「ごちそうさん」見てるんだけど・・・オーバーアクションといい・・・主人公のキャラといい・・すれ違い加減といい・・仲良し3人組といい・・・同居設定といい・・・・もうね、少女マンガの王道ですな。このままワンクーは飽きちゃうな(^^;)



10月12日(土)のつぶやき

2013-10-13 01:38:45 | Weblog

夜はそろそろ肌寒くなってきたので、布団を冬使用にバージョンアップしたんだが、日中はまだまだ暑くてたまらない・・・・昨日の坊守学習会では冷房を入れてくれていたんだけど、体感温度的には何の違和感も無かった・・・もう10月の中旬だってのにね



明日の天気は?

2013-10-08 22:43:04 | 日々徒然

風がかなり出てきた

庭の柿の葉が吹き荒れる・・・・

 

明日は久しぶりにまとまった時間がとれそうだから
まだ真夏のまんまの箪笥の入れ替えしたり
ブックオフに送りつける要らない本を整理したり
溜まってる家の季節仕事やっちゃおうと思ってたのに

もしも・・・・明日・・・
台風一過でお天気になっちゃったら
庭の片付けで一日が終わってしまう!!

 

いやだぁああああああああああ~

明日一日、雨が残りますように


イライラ!

2013-10-05 11:45:22 | 日々徒然

両親の付き添い。



                 ※画像はイメージです!

病院での待ち時間はあまり苦痛には感じない。
どこでも睡眠補充できる体質だし、
読書にも専念できる。

ただしO病院だけはダメだ!

手際、段取り、システム、スタッフの対応すべてが「ユルイ」
意識とシステムを改善すれば確実に時短できるはず!

見知らぬ患者同士
「ここはホント時間かかるから・・・・何番ですか?」
「■■先生?あの先生は診察時間30分過ぎてからしか降りてこんから」
等、病院には言えない不満をぶちまけあっては
意気投合して盛り上がってる

会計窓口には不満顔の患者さんたちが待ちくたびれていて
それを知ってか知らずか
無駄に人だけはいる医事課のお姉さまたち
ユルユル談笑しながら、手が止まってるよ!!!

それでもみんな病院を代わらないのは
田舎の地域では中核を担う総合病院、しかも公共交通機関の利便性が一番高い病院だから・・・

 

もう一度言う
時間待ちは苦痛で無いが
トロトロ仕事を見てるとホントイライラする!
文句言いたいけど地元なので我慢する・・・
腹膨れて、体に悪いぜぇええ~ ・・・・ここ病院なのにね(^^;)


次回、大経の会ご案内

2013-10-05 11:08:42 | 

第19回「大経の会
以下のようにご案内申し上げます。繰り合わせてご参加ください

日時   10月15日 10時~15時
テキスト 「浄土三部経(上)」岩波文庫

※昼食代500円 を持ち下さい

     

前回は、テキスト194P10行目~。[四、浄土に往生せし者の得益]について、浄土論(天親)、浄土論註(曇鸞)資料をあわせ読みながら学びました。
 浄土に往生せし者は皆、一生補処を究竟すべし(・・・浄土に生まれた菩薩方は、皆必ず一生補処(この次ぎ生まれたら必ず仏になるということ)の菩薩になる)というこの部分について、親鸞聖人は「念仏者は補処の弥勒(菩薩)と同じである」と言われた。その故は、念仏者は念仏の信心を開くが故に、その生を終える時、すなわち煩悩から開放される時に悟りを開く、それが浄土に往生することであり、浄土往生すれば必ず仏になる(往生即成仏)。つまりこれは兜率天での修行を終えた弥勒菩薩が必ず仏になるのと同じであると。(聖典250P1行目~ 参照)
 更に~201Pまで、浄土に往生した者の利益、有様が述べられている。我々がつい望んでしまう、あるいは考える極楽浄土とは、この世の「苦」から逃れた「楽」な世界、我々が感じる苦しみの裏返しの欲望の世界。仏・浄土を求めるきっかけとしてはそれでも良いが、そこに留まってしまえば、叶えば物足りなくなる世界でしかない。その程度のものならば、それは真の願望では無さそうだ。親鸞は「浄土とは苦楽、善悪を超えた具象化できない仏の悟りのそのもの。浄土往生できなければ人間は迷い続けるしかない。往生すれば悟りが開け、苦しむものがあれば穢土に戻り救い遂げることが出来る(第22願の成就)、浄土とはそういう世界」と表現されている。 (講義より)

「浄土」とはわれわれ真宗門徒にとって、見失ってはならない大事なものであるが
では、浄土とは問われて、お聖経や先達の言葉で説明はされるものの
実感としては乏しい
われわれが頭や身で求める「浄土」にはどうも限界がある
さて、どうしましょうか・・・・(^^;)