は、念称是一という問題だそうです
次回学習会で取り上げていただけることになりました
是非、ご参加を!
第28回「大経の会」
以下のようにご案内申し上げます。
大経の学びもいよいよ最終回!(多分)
繰り合わせてご参加ください
3月4日(水)10時~15時
当山にて
テキスト 「浄土三部経(上)」岩波文庫
問題のご案内はこちら!
234P3行目~236P終は、読経や布施、寄進等の小功徳や罪福信(信心が不純)について、そのような者でも浄土(胎生とはいえ)に往生できるのだと、肯定的に説かれている。真宗では教義上、罪福信仰を否定するが、宗教(あるいは寺院)は、信仰の純粋性と罪福信仰(人間の欲望)の二面性を持っているのではないか?「それ」を親鸞の純粋な信仰心とは違うんだと否定するのではなく、なぜ罪福信なのか?望んだものが叶っても満足できないのはなぜか?願望のその先を考えてみることが大事。237Pからは大経の「結語」となる。法然上人より念仏の教えを受けた親鸞は、どうして上人が念仏一つというのか、その根拠を、この経文に求め、釈尊が、「お念仏を唱えることは大功徳であり、大きな利益を得る」と弥勒に託した教えを、法然上人は私達に伝えてくださっているのだと受け止めた。お念仏を「唱えること」の尊さをつき詰めれば、それは行の一念となる。お念仏を喜び、お念仏を唱えようと思い立つ心が起きるのは信の一念。行と信は別々のものではないが、唱えるお念仏が大事なのか?お念仏をありがたいと思う信心が大事なのか?お念仏の意味は?念仏の何を大事にするか?は、行信一念の具体的な問題。お念仏の利益は浄土に往生できることではない。それでは念仏は浄土往生の手段になる。浄土に行くことは自然の道理なのだから、お任せすればよい。ただ信心だけは任せることは出来ないから、お念仏の法を聞いて歓び、お念仏を称えられる人になりなさい。そのこと自体が利益・大功徳であり、目的の成就である。そういう信心(信の一念)を親鸞聖人は大事にされたのだ。 (講義より)
時には遠吠えしたくなるけれど、顔で笑って背中で泣く、そんな世知辛い浮世を生きるあなたを犬にたとえるなら、シベリアン・ハスキーです。【犬診断byいぬのきもち】 pet.benesse.ne.jp/dog_sh/ #いぬのきもち
@sakurako_kinako チワワ~?あたしはシベリアンハスキーだったよ!なんか妙に納得!
この時期にしては
穏やかで暖かく、よく晴れた土曜日の午後
所用があり
教区内の各組坊守会長さん15人に電話連絡をとることになった
午後3時
電話が通じた率100パーセント
坊守さんの在宅率80パーセント
当日中に連絡の取れた確率87パーセント
一両日中に連絡の取れた確率93パーセント
うん
上出来だ!
まぁ基本、
寺を留守にできない・・・という不文律がある前提で
(最近は電話転送の寺も増えてるけど)
住職は土日の午後は法事出かける、もしくはお寺で法事
会長年齢を考えると
若いもんは子供の行事
となると
坊守の在宅率は上がるはず
ビンゴ!
電話の無駄うち回避!
とかなんとか…一人盛り上がってるあたしは
相当な暇人である(笑)
本命彼女が居るのか居ないのか知らないけど、息子達にアマゾンさんでチョコレートを14日指定で送ったつもりだったのに・・・送り先を自宅のまんまにしてたんで、息子達には届かず我が家に配達される(泣)仕方ないから、最初から父さん用に頼んでた体でごまかしたけど、まぁばれますわよね(爆)
@ffoomi 大掃除したら、久しぶりの休息を!最近ホットドリンクにハマってます!図書館でレシピ本借りていろいろ試してる。アルコール、ノンアルどっちも・・・なんか癒されるよ。お試しあれ!おまけでハーブ&スパイスにも詳しくなった。今はネットですぐ買えるからありがたいね。