第21回「大経の会」
以下のようにご案内申し上げます。
今年最初の学習会です
繰り合わせてご参加ください
日時 1月29日 10時~15時
テキスト 「浄土三部経(上)」岩波文庫
※昼食代500円 を持ち下さい
テキスト202P~206P4行目 三毒五悪段(前段)。ここは善悪・倫理について釈尊が述べられている段で、講義でのキーワードは「善行善果、悪行悪果」「三不信」「浄土真宗に倫理はあるか?」。人は自分の煩悩によって自身の身が縛られている。そんなわたし達の在り方、欲の深さ、人間の争いごとの根本等について、釈尊が詳しく説かれ、悪行をいさめ、善行・功徳を積み、浄土を目指しなさいと勧める。具体的・倫理的である。一方、親鸞聖人の教えは徹底して倫理や善悪を問わない。人間がしたことは(因)必ず何かどこかに影響(果)が残っていくことは道理であるが、何が悪・善行で何が悪・善果であるのか、判断するのは難しく、また、単純な結果が来るわけではない。ましてそれを自分で浄土に制御するというのは人間には不可能。それ故に日常生活に教えが反映しにくく(具体的にこう有るべきと言う正解が判らない)、造悪無碍に走るものも出てきたりした(倫理的でない)が、その思想は決して人間不在の極論(絶対無限)ではない。「お念仏をありがたいと思えない」「三信も成り立たない」ような我々(凡夫)であることを課題とし、不実な我々の中に微かでも生まれる信心・・・「篤くはないし」「決定ではないし」「相続しがたい」けれどそういう三不の信心(三不信)。宗教に倫理が求められるとするならば、それは既成の倫理や、教義を無理やり大儀とするのではなく、苦悩する人々と共感できる心を三不信として大事にする所からはじまるのではないのではないだろうか? (講義より)