寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

幸せってなんだっけ、なんだっけ・・・

2015-08-27 19:52:16 | Weblog

座談の中で
虚しい人生・・・という事が話題になった

昔、長男坊に言われた
「こんな田舎で、寺の嫁してて、母さんは幸せなのか?」って
言葉を思い出した

それまでの私が幸せに見えなかったのか
それとも
都会志向で生産的、クリエイティブな仕事に憧れる長男坊にとって
田舎や、寺の仕事が長男坊にとって幸せな事に思えなかったのか

その時は
返事に詰まって
何も伝えられなかった
盆明けに東京へ帰る息子を駅に送る車中だったと
結構、鮮明に覚えている

不幸せかと問われれば
それは「違う」という思いと、願いが自分の中にある


では「幸せ」とはなにか?

結婚して10年ぐらい立った頃
私は私の人生を生きているのだろうか?と悩んでいた
意見をいうことも、考えを反映する所もなく
女は黙っとれ
お寺や我が家はこういう風にすることになっているのだから
屁理屈こねないで黙ってやれ
・・という空気の中
私らしく生きるというのはどういうことなんだろうというのが自分の課題だった

着る服さえ姑に与えられ
このアタシが地ピンクの花がらを散りばめたキュロットスーツを着るなんてね(^_^;)
何処がアタシだ!って思ってた

だけど
そんな中
シカオちゃんの詩に出会った
「僕が歩いてきた日々と道のりを
 ほんとはジブンっていうらしい」(Progress)

今一瞬一瞬が自分が選択した生き方
今いるこの場所で、自由にならなければ,他所にジブンらしい生き方なんてない
それは縛られているという自分自身の呪縛から解放されるということ・・多分

はからずも
今月の言葉(真宗カレンダー)とオーバーラップする

 

聞法し
日々念佛して
いただいた今の生活をありがたいと思えることが幸せだ
・・・・と有る念仏者は言うかもしれない
でも、
それでは何か違うと思うんだよな

ウレシイとか、悲しいとか、辛いとか、充足感とか、虚しいとか
そういう瞬時も定まらない感情を
全部認めたうえで
日々暮らしている

幸せかどうかなんて問題にならない
そんな毎日を必死に生きている
その大切さや、凄さを
いつか息子に伝えられたらいいなと今思うんである
 


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