今日は大経の第18願!!
真宗で一番大切な願
念仏往生の願です
今日心に引っかかった言葉
この学習会は座談の時間をたーっぷりとっている
実質昼食タイムを含めて3時間が座談時間になっている
話しやすい雰囲気もあり
私にとって『自分の思いをまとめて言葉にして相手に伝える』練習の場になっています
脱線も多いですがとにかく楽しいんだって!
※会員の皆さんへ
今週はちょっと忙しいので
講義録のアップは来週以降になります
欠席された方もうしばらくお待ち下さい♪
次回は7月です
真宗で一番大切な願
念仏往生の願です
今日心に引っかかった言葉
宗教の聖典とは何気なく読めば何気ないもの 第18願についても さらっと読みすごしてしまえば、ああそうですか・・・というものだけど ただ聖典をそのままに素直に読んでいく、そういうのは現実の宗教の歴史ではない。 一つの言葉や文章に宗教心というものが引っかかって、そしてそれを掘り下げて、議論が生まれていく。そういう事を宗教の歴史はするわけですね。 なにか宗教の開祖が居れば宗教は完結してしまってるのではない。 後のものが宗教を作ってきたと言うそういう歴史が有るという事ですね なぜ称名なのか 『お念仏は耳で称えなさい』 言葉は自分の身から離れ、それを自分自身が聞く為に称える 又、人が称える言葉を聞けば自分が影響をうける 「お念仏を称える」という事が身につくのも、人が称えてるお念仏を聞いてきたから 自分が編み出した行ではない。 称える事で伝わる、繋がる、広がって行く 宗教は理屈から入っていく事は少ない 子供が大人の称える『南無阿弥陀仏』の声を通して意味を訊いていく どうして南無阿弥陀仏で無ければいけないかというのは『南無阿弥陀仏』と称える自分の問題として残る それは信仰の問題である 同朋会運動では 家の宗教から個の自覚の宗教という事が言われていますが O派は家の宗教と言うけど、家の宗教と言ったって 称えているお念仏はその人自身の口から出ている念仏だから、ほんとは家の宗教なんかじゃ無かった それを家の宗教とぐらいしか坊さんが思わないもんだから 『もう少し信心を与えないといけない』なんて思って同朋会運動で頑張ってたんだけど・・・・ 自分達僧侶は自覚の宗教を持ってるぐらいに思ってたんだろうけど 思い上がりだったんでは無いですかね by N野先生 ![]() |
この学習会は座談の時間をたーっぷりとっている
実質昼食タイムを含めて3時間が座談時間になっている
話しやすい雰囲気もあり
私にとって『自分の思いをまとめて言葉にして相手に伝える』練習の場になっています
脱線も多いですがとにかく楽しいんだって!
※会員の皆さんへ
今週はちょっと忙しいので
講義録のアップは来週以降になります
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