前記事『ヤスクニ問題』にたまねぎ御殿さんからコメントを戴いて考えた
たまねぎ御殿さんは神社に嫁がれて神社のお嫁さんである
嫁ぐ前にどのような信仰をお持ちだったかはしらないけど
今は嫁ぎ先の信仰・・・神道信徒(と言う言い方でいいのかどうかしらないけど)なんだと思う
私の実家は浄土宗なんだけど
真宗寺院に嫁いで帰敬式を受けた真宗門徒である
さまざまな宗教の中から真宗を選び取った結果の真宗門徒では無い
宗教的な転機があって真宗門徒となった訳でもない
が、結婚すると同時に真宗門徒となった
それが嫁いだ家の宗教だったからである
私は只今真宗門徒として育てられている
私がそう望んでいるからなんだけど
そこでヤスクニ問題にもどる
ヤスクニ問題については真宗門徒として関わっていきたいと思っている
ゆえに反対派である
御殿さんの場合は神道信徒として賛成派ということになるんだろうか
まぁそんな簡単な事ではもちろんないんだろうけど
仮に私が神社や他宗派のお嫁さんになっていたら
どんな考え方をしていただろなぁ?
誰もが結婚と同時にその家の信仰を持つと言うわけではないだろうし
『だから僕と君の信仰とどっちが大事なの!?結婚するのしないの!?』って単純な話でもないだろう
義妹(浄土宗寺庭婦人)にその話をすると
『好きな人の信仰するものを信じたいと思う』
と言ってたなァ
そんな風に思えるならそれはそれでいいのかもしれないけど
私は夫の信仰するものを信じるという理由では納得できない
『そこまで好きな人で無くなった』か
『すでに信仰が自分自身の問題になったから』かは
あえて触れずにおこう・・・・・(^_^;)
あ、
ちょっと思い出したけど
私が結婚する時に『結婚する時にこれだと決め手になるものは何』って談義をしたことがあった
趣味や好きな事が一緒だとか
一緒に居て気を使わなくて良い事
だとかね
いろいろそりゃ出ましたよ
大抵、自分が結婚を決めた理由みたいな事になってましたけどね
私は『これだけは譲れない・・・って自分が大事にしてる信条が同じ事』
なんて生意気な事言ったような気がするけど
今思うのは
あの頃絶対だと思っていた人の信条だとか、決意だとか、あるいはこの人が好きだから
なんてものはそれ程当てになるもんじゃなくて
変わっていくものなんだという事
もし、真宗以外宗教に改宗したいという気持ちが起きたとき
真宗寺院の坊守はどうする
真宗門徒のフりをして坊守としてのお仕事を続けるか
坊守の呼称を返上して結婚生活は続けるか
あるいは離婚するのか
・・・・・って事で
以上のことをもう一度整理して
時代社会公開講座の発題テーマ『家の宗教と信心と坊守制度』としたいと思います
御殿さん、問題提起をしてくれてありがとね~