寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

枕勤め

2011-05-27 02:13:57 | 

5月25日 21時を過ぎた頃
一本の電話が入る

ご門徒のおばあちゃんが亡くなられた

22時過ぎには家に戻られるということだったので
衣に着替えて枕勤めに伺う

住職が不在のため、実は、坊守初めての枕勤め
住職が泊まりがけで不在なんて、1年に1度有るか無いかのことなのに・・・。

どうしても抜き差しならぬ事が起らない限り
法務で新しい事にチャレンジはしないんだけど
どうしてもの事が次々と起こる
葬儀のキン打ち、法事、そして枕経・・・・。
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そしておばあちゃんのお家へ到着

初めての空気、段取り、やり取り・・・・・

住職不在の時に枕が入るなんてそうそう無いだろう
とぼんやり思っていたので心の準備が出来てない

葬儀一連の作法、荘厳についても、
頭の中で理屈こねまくって
住職に「いちゃもん」ばかりつけてたくせに
現場の知識が殆ど無い

一応、『真宗の葬儀』みたいなアンチョコ携えてはきたものの
聞かれる事は

「送り団子の数はいくつにしたらいいのか」
「ご飯に箸は立てるのか?」
「神棚は白い紙で覆えばいいのか」

・・・・・みたいな
真宗の「教科書」には載っていないことばかりことばかり

「お尋ねになられたことは、真宗門徒の葬儀では必要ないのですよ」
答えるのは簡単だが
あの場で、伝えるのは難しい
一連の葬儀式は、
世間が大事にしている風習に対する真宗門徒としての立ち位置
そして僧侶としての対応が問われる、稀な現場なんだなぁ・・・・と・・・・。


言葉を慎重に選びながら対応したつもりだったけど
先ほど、ご本山御遠忌団体参拝から帰って来た住職に報告したら
「う・・・・・ん」となにやらご不満のようだした(汗)


BOSS

2011-05-25 15:49:34 | 日々徒然

今期すっかり「BOSS」にはまってしまって

レンタルショップに前作DVDを借りにいったんだけど
オール貸し出し中でした

だろうな・・・・・とは思ってたんだよ

 

ならば
「バーレスク」を・・・と思ったらこちらも全滅

「SP」借りればよかったかなぁ・・・

 

なんかスカッと気分が晴れる奴御存じないですか?

 

 


決行!

2011-05-22 23:21:04 | 子育て

朝方、決行に決定したものの

開会式ぐらいから再び雨が降り始め・・・

 

幾つものプログラムを短縮、削除しながら
中学最後の運動会が閉会しました

 

会がぬかるんだグラウンドの中で演技する子ども達
競技としては足元が悪すぎて、もはや勝負にならないので
パフォーマンスで勝負!

ゴールテープを切る瞬間にヘッドスライディングする子続出!
まるで、ガタリンピックの様

こういうのが結構、楽しかったみたい

私の運動会弁当作りもこれにて終了!

 

 


明日は・・・・

2011-05-22 01:00:53 | 子育て

明日は娘の運動会

22時過ぎたぐらいから結構強めの雨が降ってる

 

明日も午前中は曇り時々雨・・・・の予報
別に延期になっても構わないんだけど
決行か否かそこんとこ早めにはっきりしてもらいたい

 

とりあえずおにぎり用のご飯は朝様子を見てから炊く

 

 

 

 

 

 


半世紀ぶりに日の目を見た凄いもの!

2011-05-19 00:58:24 | 日々徒然

箪笥の引き出しに包装紙とか新聞紙とか敷いてたヤン?
これはそれ

発行日見てびっくり!

昭和29年6月3日付けの朝日新聞でした!
どひゃぁぁぁあああ~!

しかもしかも、この記事見て!

昭和29年の3月・・・・つまり発行日から3ヶ月前に
米国が実施したビキニ環礁での水爆実験で世界中に「死の灰」が撒き散らされていたわけで
これはその関連記事

なんかまるで今の新聞記事みたいでしょ?

更にこの部分

許容量に二つの虎の巻

もともとこんな危険な物質の製造国は世界でも限られている。従って我々も今のところ、、すべて原爆先進国のデーターを借用する外はない。ところが、ビキニの灰を作ったアメリカに、許容量に関する2つの虎の巻きがある。
一つはアメリカ標準局1953年3月20日発行の「人体内における放射性アイソトープの最高許容量および空気と水における最高許容濃度」というハンドブック。もう一つは米国原子力委員会1953年1月発行の「原子力委員会13回半年報」である・・・(中略)・・・・。問題はこの二つの虎の巻きの内容が大変に違うことだ。前者に比べると後者ははるかに寛容である。例えば・・・・・(中略)・・・・つまり、原子力委員会は標準局のソウソウたる学者の決めた詳しい限度よりも5万倍もアマくして大丈夫だというのである。・・・・(中略)・・・・恐怖をやわらげ、原爆の実験と製造を推進するためにこんなにアマクシ絵t発表したのではないか、との邪推も成立するわけだ



まさに半世紀経って、米に追い倣う日本・・・・みたいな?

学者も政府もやっぱ、なんか胡散臭さいのね


法衣箪笥

2011-05-18 23:48:27 | 日々徒然

法衣箪笥・・・・・というか
もともとは義父の母(つまり夫の婆ちゃん)の嫁入り道具だった箪笥

我が家でも日常使用頻度の高~いこの部屋に鎮座するこの箪笥
開けて見ると
白衣や肌着、そして曾婆ちゃんの衣服が殆どでした

そして、未使用の白衣がこんなにも・・・・・・。

 

そして更に凄いものが見つかったのです!・・・・・・続く


断捨離・・・・法衣箪笥編

2011-05-18 10:35:04 | 日々徒然

断捨離

実は順調に日々すすんでます

 

あれって、潔く初めて、一気にはやらずに、部分部分こつこつ、やってくのがいいみたい
というか私はそういうやり方が合ってる

 

で、

今日はいよいよ禁断の法衣箪笥に介入します

 

ほんとはさ、
法衣は住職本人にやってもらおうと思ってたのに
婆ちゃんが
「暑くなってきたから、(住職に)夏用の白衣を新調してやらな、
(衣の管理不行き届きは坊守の責任!)みっともない」
って言い出してさ

もちろん気がついた衣のほころびや汚れは手当てするし
サプライズに新しいのプレゼントしたりはするけどさ

法衣箪笥は住職のテリトリーやん?
「お道具」の日々の管理は住職がするものじゃない?
仕事に対する責任範囲だし
使う人本人が管理する方が合理的ですやん?

 

 

でも、まぁ、実際問題として
溜まりに溜まった白衣、肌着の整理やりたかったし
法務を全くやらなくなった爺ちゃんの分も、いくつか良いのを残して整理したかったし
Pの今年の盆参り用の衣も準備しときたかったんで
これから爺婆ひきつれて(さすがに勝手には出来ない)
法衣箪笥に着手してきます

絶対に以前あつらえたり、法事でいただいて、
そのままになってる新品白衣が数枚は箪笥に眠っているはず!

では~


久々飲み会~♪

2011-05-12 01:30:21 | 日々徒然

高校で3年間、某部門のPTA役員をした
同期役員5人

ラッキーなことに妙にウマが合って
そのうえ、みんな無類の酒好き飲兵衛ときたもんだ

 

受験~卒業~新学期にかけては、それぞれ忙しいだろうから・・・・
ってことで、
GWが明けて、ぼちぼち良かろうと集合した

最初に、それぞれの子どもと自分の近況報告を
どの家族にもドラマあり~の笑いあり~の心配あり~の 
・・・・そして子離れの決意を語る!

 

震災の事→仕事→お局さま→青少年の健全な男女交際について(爆)→何歳ぐらいの男性に萌えるか→亀甲縛り→ロウソク→・・・・・と、以下話はとめどなく続く・・・・。
多分、内容は何だっていいんだと思う

 

でね、ブンちゃんが「こんな心理テストあるんだけど」って

あなたは一人旅をしています
お供に馬・象・ライオン・猿・羊・牛と6匹の動物を連れています
最初に手放す動物と、最後まで共にする動物をそれぞれ選びなさい

 

 

 

 

これね

馬は仕事、象は親、ライオンはプライド、猿は子ども、羊は配偶者、牛はお金を表してるんだって

 

ちなみに私は
最初に手放すのは羊(配偶者)
最後まで一緒なのは馬(仕事)でした

心理テストがパーフェクトに深層心理を表しているとは思わないけど
何故、それの答えなのか・・・・ってのをワイワイ話してる中に
その人の考えかた、心理が垣間見えるもんだ
私が選んだ基準は一番役に立たなそうなものと
一番役に立つだろうと思うもの
つまり私の人生「役に立つか立たないか」が価値基準ってこと!?!?

う~ん・・・・・。

 

そんな一番に捨てちゃった配偶者と
今日は20回目の結婚記念日でした

まぁ、相方はいつものように、先に一人飲みして寝てしまったんで
これから一人でしみじみ20年を振り返ってみます

 

では~ ばいちゃ♪


「大経の会」始まる

2011-05-12 01:05:05 | 

若坊守学習会で学んでいた「大経」

同会を
ホントに若い若坊守さんの
ホントに若い若坊守さんによる
ホントに若い若坊守さんのための会
にするために

今はもう若くはないかつての若坊守は引退し
「大経」については、今後、自主学習会に移行します

・・・・ってことで第一回目が今日でした

宗教を伝えるというは
手段や内容を相手に合わせて変えるとか
わかっている人が、そうでない人に啓蒙するとかではなくて
案外、自らを直截的に語るということが有効なのかもしれない
そして、この無量寿経ではお釈迦様があるとき
光顔巍巍として阿難に方便ではなく、本当に語りたかったことを話す
・・・・・というストーリー』

『人間にできることは本当にわずかなこと
~しましょう、~しなければならないというのは
無意味な言葉
人ができる、僅かなことは共感すると言うこと
それすらも、相手にとってどう受け止められるかはわからない
ただ、「共感する」という感覚で確実に自分の世界は広がる

「共感」「誰かが居てくれる」という感覚
相手への敬意と自尊心を尊重するということ・・・
そこに生まれる人との繋がり
そこに宗教が果たす重要な役割の鍵があるのではないか』

今回やはり「震災」ということを通して
「宗教とは何か」
を根本的に問う話題が多かった気がします

 

座談で月忌参りをしている若い方からは
「被災地に出向いて、ボランティア供養、読経って一体なんなのか?
では供養や読経ってのはお金をとるもの・・・・・ってこと?
これってどうなの?」

「月忌参りやってて、
 誰も居ないお内仏で一人でお勤めして、置かれたお布施を戴いて帰る
自分なにやってるんだろう?って思う」

等の問いが

 

一日経って、今の思いがちょっとまとまった

現代社会の中で
「僧侶」も娑婆の中で生きていかざるを得ない
つまり
「僧侶」というも、娑婆の職業、生業の手段の一つであることには間違いない
やけど
僧侶に限らず人はそれぞれの生業に「わたしがここで生きる意味」を見つけようとする

例えばこんなセミナーの案内文を見つけた
教員の仕事とは何か
子どもたちのために教員として私たちができることは何か
私たちはどんな教員になりたいのか
「学校の先生」の仕事って何だろう
教師としての専門的な技能を超えて、教師という仕事の本質って何だ
って考えることって
「生業だ」と割り切っているつもりの人でも有ると思う

そういうのを具体的な生業をやりながら考えていく
生業を成立させるために関わる色んな出来事や、有縁の人
例えば、教師なら同業者や生徒、その保護者とぶつかりながら、いろんな事に気づいていく
理念と生活の共存

僧侶の仕事だってそうじゃないかな・・・って思う

その過程で、本人なりの答えを見つけたつもりで
また、先々で「ちょっと違うな」ってまた考える

そしてそんなものが有るのか、無いのかわからないけど
普遍的な答えが知りた~い!って思うんだな

 

う~ん・・・・・答えなんてあるのかな?
だけど、あれこれ談合する時間は決して不毛・・・・って訳でもない