前回の学習会では
第22願(還相回向の願)について学びましたが
会員より
聞き足りない所が有る
もう少し先生にお聞きしてたいことがあるということで
お願いして
次回二月の学習会もこの22願についてもう少し時間をとっていただくことになりました。
前回配られた
法語カレンダー随想集 今日の言葉 2009より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a4/2741e4a7d2efef9b32753e2114e2d17a.jpg)
より
念仏に遇わせた縁は念仏に遇いえたあとも行き続ける。苦悩や欠乏感・不安感はおのずから安心や豊かさを希求するが、これが消えることは無い。それがあり続けるからこそ念仏も働き続ける。この法語の前の句は「無上涅槃を期すること」だが、わたしたちの切実な願望を否定してあるのではなかろう。もちろん延長線上にもない。ささやかだが切実な願望のその際(きわ)、瀬戸際か臨界、また願望の極まるその一寸先にある。
念仏ひとつの身になる(往相)ということは念仏へと背中を押した縁に、わずかでも是非を超えた確かな「すすめ」(還相)がいただかれるところに証がある。親鸞聖人は送られてきたお布施を「念仏のすすめのもの」といただいている。
念仏へと促した縁に向き直っての対面は迷いとの対面である。それは自分との出会いであり、ひととの出会いである。また格闘でもある。いずれにしても初めて草の根へ還っていける自由な道である。ただし、「すすめのもの」を本尊にしてしまうのはわたしたちのつねである。だから聖人は還相回向を浄土に還って来た時のことにしている。意味深いものがある。思慮を超えているが道筋はつけられてある。
これを手がかりに還相回向について学びます
それから
前回の講義録音
最近すっかり滞りがちですが
来週中には若坊守HPにアップしますので
もう一度お聞きになりたい方はアクセスしてください
ネットで聞けない方はCDにコピーも出来ますので連絡してください
第22願(還相回向の願)について学びましたが
会員より
聞き足りない所が有る
もう少し先生にお聞きしてたいことがあるということで
お願いして
次回二月の学習会もこの22願についてもう少し時間をとっていただくことになりました。
前回配られた
法語カレンダー随想集 今日の言葉 2009より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a4/2741e4a7d2efef9b32753e2114e2d17a.jpg)
より
念仏に遇わせた縁は念仏に遇いえたあとも行き続ける。苦悩や欠乏感・不安感はおのずから安心や豊かさを希求するが、これが消えることは無い。それがあり続けるからこそ念仏も働き続ける。この法語の前の句は「無上涅槃を期すること」だが、わたしたちの切実な願望を否定してあるのではなかろう。もちろん延長線上にもない。ささやかだが切実な願望のその際(きわ)、瀬戸際か臨界、また願望の極まるその一寸先にある。
念仏ひとつの身になる(往相)ということは念仏へと背中を押した縁に、わずかでも是非を超えた確かな「すすめ」(還相)がいただかれるところに証がある。親鸞聖人は送られてきたお布施を「念仏のすすめのもの」といただいている。
念仏へと促した縁に向き直っての対面は迷いとの対面である。それは自分との出会いであり、ひととの出会いである。また格闘でもある。いずれにしても初めて草の根へ還っていける自由な道である。ただし、「すすめのもの」を本尊にしてしまうのはわたしたちのつねである。だから聖人は還相回向を浄土に還って来た時のことにしている。意味深いものがある。思慮を超えているが道筋はつけられてある。
これを手がかりに還相回向について学びます
それから
前回の講義録音
最近すっかり滞りがちですが
来週中には若坊守HPにアップしますので
もう一度お聞きになりたい方はアクセスしてください
ネットで聞けない方はCDにコピーも出来ますので連絡してください