昨年末から
報恩講
婆ちゃんの入院
除夜の鐘つき
修正会
そして次男・娘の受験に関わるあれこれ・・・・とプライベートな予定を入れにくい状況だったんだけど
それも1月後半からはひと段落!
まずは、本日「歩こう会」の新年会
久しぶりに美味しいお酒、楽しい会話に花が咲いてたんだけど
携帯に家からの着信
私「もしもし?どうかした?」
爺「早く帰ってこな!」
私「え?婆ちゃん具合が悪くなった?」
爺「そうやない!○(長男)と□(次男)が喧嘩して大変やけ、はよ、帰らな!」
そう、さっき兄ちゃん東京から帰ってきたのだ
受験生Pは遅すぎる反抗期の真っ只中でイライラ、トゲトゲしてて、
なにかきっかけがあれば喧嘩売ってやろうって勢いだし
兄ちゃんもPから売られた喧嘩は漏れなくお買い上げになる
二人の喧嘩激しいからなぁ・・・・・。
それに父さんじゃなくて、滅多に自分から電話なんてしない爺ちゃんがかけてきたってことは
きっと父さんは止めに入ってるんだな
こりゃ、帰った方がいいかな
・・・・って事で、タクシーで家まで帰る
「?」
静かだ・・・・・?
夫「どうした?早かったね?」
私「え?兄弟げんかどうなったン?」
夫「別に?二言三言口喧嘩してたかなぁ・・・・?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7f/93dd555ead38cc9a7fe110d5af96b0a2.gif)
は、謀られた・・・・・。
「多分、兄ちゃんが帰ってきた日に、母親が飲みに出かけるってのが
爺ちゃん的にはどうしても我慢ならんかったんだな」(by 夫)
まぁ、それは判る
私もこの日に両方が重なるってわかった時、一瞬どうしようか迷った
人数の少ない会だから、ドタキャンは気が引けたので、参加して早めに帰るつもりだった
で、そろそろ帰ろうかな?って思ってたところに電話だった
・・・だから、嵌められたと判ってもそんなに腹も立たなかったんんだけど
それにしても、さて、今回のようなわが身に降りかかる出来事をどんな風に受け止めるか
「だから同居は嫌なのよ」
「ちゃんと正確に伝えてくれればそれなりに納得して対応出来たのに」
「孫のこと案じればこその爺心・・・それはそれでありがたい」
・・・・・とまぁ、どう思うかはどれでも良しとして
実は今日の会で
「否定的な言葉で思考、発語するのを止める」ってのを今年の目標として宣言したのね
同じ事を表現するとして、否定語を遣わない
そうそう
「否定的な言葉で思考、発語するのを止める」ではなくて
「肯定的な言葉で思考・発語する」・・・・ってな具合ね
だから明日はちょっと文句ぐらい言うかもだけど
「騙して人を拘束するような事は止めて」・・・ではなく
「爺ちゃん、物事と言いたい事は正確に伝えてよね!」・・・・ってなとこかな?
追記
実はこの目標についてはもう少し考える所があって
去年このコメント欄でもちょっと指摘された事だし、最近常々気になっていたこと
「真宗ではそういう考え方はしません」という表現で
どれだけ人が死や死者と向き合う姿を否定してきたか
「唯念仏」ということがあきらかになったとしても
「唯念仏の人」にはなりきれない人の生き様を『肯定語』で考えていく
それが今年の・・・ちゅうか、これからの課題