寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

10月29日(水)のつぶやき

2014-10-30 01:32:03 | Weblog

小曽根真がガーシュウィンやってる!これは飲まねばなるまいのぉお~?


あ、なんかワクワクしてきた!面白いこと思いついて、作戦会議してるいたずらっ子な気分(笑)



10月21日(火)のつぶやき

2014-10-22 01:29:36 | Weblog

一日でいいので休日をください・・・。休日にならなくてもいいから、明日は一日フリーだな・・・って思える瞬間をください。結局それって気の持ち様なんじゃない?って言うのは無しでお願いしますm(_)m


風呂上り、まだまだ暑くて、すぐには長袖着る気にはなれなくて、半袖Tシャツ着たんだけど、やっぱり段々肌寒くなって、長袖上から着て、でも更に冷えてきたから、ちょっと暖まって寝るかと赤霧のお湯割り飲んでたらめちゃくちゃ暑くなって猛烈に汗かいてます←いまここ。さてここからどうするか?


ちょうどイイなんて、ホント瞬間の事で、すぐに過小か過大にぶれちゃうんだけど・・・(^_^;)。だからそれも気の持ち様だなんていうのは無しでお願いしますよ。



10月20日(月)のつぶやき

2014-10-21 01:30:30 | Weblog

夏野菜・・・ミニトマトとナス、ピーマンを僅かに残して引いてしまった。極早生の玉ねぎ、ちょっと遅くなっちゃったけど、キャベツ、白菜、青梗菜等の冬野菜の苗の植え付け、春菊・大根の種まき完了!明日は表の畑を耕して・・・こっちは切花用の花でも植えるかな(覚書としてアップ!)



10月19日(日)のつぶやき

2014-10-20 01:29:18 | Weblog

明日思いがけず法務が忙しくなったので、こんな夜中にいちじくジャムの仕上げをしてて、案の定焦がしてしまった(;_;) 深夜の廊下に漂う焦げた臭い・・・ハァァアァア・・・友達におすそ分けするつもりだったのに・・・余裕の無い時にやれば失敗率高いって経験沢山してるのにまたかよ・・の残念感


@akarikir いろいろと共感!ブログの件しかり、晩御飯は鍋物の件しかり!うちも今日は鍋だったわ。暑くてももう夏料理は飽きちゃったし、お鍋食べたい。大根がもう少し美味しくなったら・・・・ってシーズン初おでんのタイミング測ってる(´∀`*)



10月14日(火)のつぶやき

2014-10-15 01:30:41 | Weblog

夕飯に「きのう何食べた?」9巻のじゃがいものグラタンを作った!これが材料めっちゃシンプル&簡単うまい!牛乳+にんにくってこんなに美味しいんだ!残りは更にチーズを足してレンチンしてワインのつまみにヽ(*´з`*)ノあぁあああ~今夜も酔っ払い・・・・。


外出できない、人目に触れないから身なりに構わなくなる・・・・ってのは正確に言うと間違い。身なりに構わない本性みたいなのが、露呈してきてる・・・てのが真相なんだなきっと。



10月13日(月)のつぶやき

2014-10-14 01:32:33 | Weblog

10月に入って、やっと扇風機を片付けた。寝具や座布団等の入れ替えも段々に。それにしてもお参り先の仏間の座布団がやっと冬仕様になってきた。夏のあのイ草(?)のタイプ・・・見た目は涼しげでいいんだけど、足が痛いんだよね。軒数の多いときは拷問なのよ(^_^;)。冬座布団気持ちいいです!



本日、第二十五回「大経の会」でした

2014-10-10 00:53:52 | 

第25回「大経の会」

日時  10月9日 10時~15時

会所  当山

テキスト 「浄土三部経(上)」岩波文庫

 

前回は、四悪・五悪を読み、三毒五悪の段を終了 ~228P15行~ ここからは智慧を開く段落(開顕智慧段)となる。仏が阿難に見せたお浄土には、仏智を疑うか、疑わないかによって、胎生のものと仮生のものが居る。念仏一つですべての者が平等に救われるのに、何故このような差異が生まれるのか?佐藤正英の『歎異抄論註』から正機としての〈悪人〉・正因としての〈悪人〉を手がかりに考えてみた。法然は宗教的な救いの外にいるもの(=悪人)をこそ救うのが阿弥陀仏の本願(悪人こそ正機)であると言われた。ところが親鸞聖人は阿弥陀仏への信心もなく、煩悩盛んな我ら凡夫は往生の正因としての「悪人」たることは難しいと言われる。煩悩至上の我が身を内省・意識することがあったとして、更に悪人正機の教えに出会って、このような我が身こそ救われるのだと実感したとしても、あくまでそれは人間知で分かりえた次元での悪人であり、自分は「往生の正因としての悪人である」と勘違いしている善人なのである。善人は本願の『信』を得がたき身。阿弥陀仏の眼差しで我が身を見れば、現世の衆生のほとんど全ては、仏智疑惑の凡夫の善人である。普通の宗教なら、頑張って疑いを無くし、信じるようになっていくことが疑惑を超える道であるが、親鸞上人は仏の智慧をこちらから信じようとすることは難中の難であると言われ、自力を断念し、阿弥陀様の眼差しが自分の中に生まれることが(回向された)信心だとされた。胎生・化生の区別は仏を疑う罪によると説明されるが、それは本願から付けられた条件ではなくて、自分の実感として生み出す世界。親鸞聖人ご自身もまた、「信じられない者」であったからこそ大事な課題とされていたのであろう。 (講義より)

ずっと気になっていた
浄土の胎生・化土の二種についてちょっとすっきりした今回の学習会でした


久しぶりに・・・

2014-10-10 00:39:55 | Weblog

彼岸準備の頃から・・・いやお盆ごろからか
とりあえず明日までにやっつけなきゃ仕事がダラダラと続いていたんだが

今宵、久しぶりにMission completeな気分で
とりあえず明日までの仕事も無し

で、こんな時間だけど
飲んでます(^_^;)

晩ご飯の残りのポテトサラダはあるんだけど
どうしてもマカロニサラダが食べたくなって
日付が変わったってのに、一人台所でマカロニ茹でて
ポテサラとまぜ合わせて、味整えて・・・・食べてます

ここまでは焼酎のお湯割りの気分だったんだけど
どうもツマミがビール仕様なんだわ・・・。

つまりお湯割り一杯で止めるつもりが
自分的には順番逆なんだけどこれからビールです

明日仕事がないわけではないんだけど
たまには(いや、ホントだってば!)
いいよね

あ、そういえばパソコンからブログに書き込むのもホント久しぶりなんだなぁ~