すんません!又案内がぎりぎりになってしまったぁぁああ~
なんで、おしりに火がつくまでやんないかなぁ・・・自分・・・
以下のようにご案内申し上げます。繰合わせてご参加ください。
日時 9月5日 10時~15時
会所 当山
講師 N先生
テキスト 「浄土三部経(上)」岩波文庫
※昼食代として、500円お持ち下さい
前回は186P、「十方恒沙~不可思議」第17願成就文と「諸有衆生~誹謗正法」第18願成就文について学ぶ。仏(諸仏)が仏(阿弥陀仏)の素晴らしさを褒め称える。仏(悟ったもの)が讃嘆したから、17願成就文として成立する。では、何故、諸仏は阿弥陀仏を讃嘆したのか?その故は18願成就文に述べられる。一般的な漢文の読み方であれば、「阿弥陀様の名を聞いて、心から喜び、今のこのときに至るまで、私が心やその善行を仏に差し向け、浄土に生まれたいと願うならば、絶対に浄土に往生することが出来、不退転に住することができるから」・・・と読み取ることができる。仏に心を振り向け、喜び願えば往生できる。これは特別な修行を要求してる訳ではない。→故にありがたい(讃嘆される)。しかし・・・・親鸞聖人の読み方では、「娑婆に暮らすものは信心歓喜の心をと保つことが出来るか?それは至難の技である。『ありがたい』『嬉しい』の心が起こらない(たとえば、歎異抄第9条)それでも、『如来は回向せしめたまえり』、『浄土に生まれたいと願じたので、すなわち往生を得る』」・・・・となる。 このような親鸞聖人の読み方、解釈の特異性、独自性は、浄土経の一般的な読み方や、言葉の解釈を知ることではっきりしてくる。次回は唯除から
今回の事後学習会は、夏の慰労会を兼ね、会所をお店に移して
・・・・と思っています。参加される方は事前に連絡いただけるとありがたいですが、当日参加でも結構です。詳細はhanakoまで