「有難い」を辞書で引くと、あり得ない事が有った、予期せぬ嬉しい事が有った、と書いてあります。しかし漢字だけを見ると難は災いとか、災難とか難しい事とかが有る成ってしまいます。「災いが有る」が有難い、何故か矛盾を感じませんか。天狗流に解釈しますと、人生山あり、谷ありで、山を登っている時(難問に直面している)は苦しくて何故自分だけこんなに苦しまなければ成らないのかと人生を諦め掛けるものです。しかしその山を乗り越えると今までない喜びを得れます。つまり難儀の後には必ず有難い喜びが来る、と云う事でしょうか。苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。
次は「しあわせ」を辞書で引くと「幸せ」と「仕合せ」と出てきます、何故違うのでしょうか。
「幸せ」つまり「幸」さちは海の幸、山の幸などと申しまして物質(食物、お金、地位、名誉等)から得られる恵みに対しての喜びを「幸せ」で表している。
「仕合せ」は仕える事に合わすと書きますので「自分の一生を仕える(捧げる)事の出来る人に合わす」と云う事に成るとの仏教用語だそうです。簡単に云うと素晴らしい人(教え、考え)に出会い人生が楽しい、と云う事だそうです。
漢字に深い意味があり、象形文字で表す自然の教えが詰まっています。「幸」は象形文字で表すと矢の先の矢じり「鏃」だそうです。古代の人が海の幸、山の幸を求めて矢で獲物を得ました。しかし余り幸を求めすぎると乱獲で獲物は絶えてしまいますので御用心、御用心。現代流で云うとマグロも乱獲で漁獲制限に成った、海の幸を求め過ぎた天罰でしょう。
今日のブログは難しかったでしょうか。