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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

儒教は偉大な宗教・・・

2020-04-14 04:01:58 | 韓国旅行

 
儒教は偉大な宗教・・・
 
韓国人の性格やモノの考え方、価値観などについて儒教のことが出るのは、韓国の歴史で近代にいたるまで五百年続いた李朝時代(14~20世紀)のモノの考え方や価値観の基本が儒教だったからだ。
日本で江戸時代が現代日本、日本人に残した影響と似たところがあります。
 
あらためて儒教とは何かだが、それは宗教でもあるし、人びとの行動規範でもあり、モノの考え方のワク組みみたいなものでもあります。
「教」という字がついているが、必ずしも仏教やキリスト教みたいな宗教という感じではありません。
 
韓国人は日本人に比べると祖先崇拝の考えが強い。
いわゆる「チェサ(祭祀)」といって、命日に家族や親戚が集まって祖先を祀る家庭内行事をよく行ないます。
いわゆる盆暮れにあたる秋夕や「ソル」といわれる旧正月にも祖先を祀る。
しかし実際はそんな難しいものではなく、お膳に酒食をお供えし、紙の位牌や祖父くらいまでの写真を掲げ、一同、ひざまずいて頭を下げ、音はみんなで食事をするだけだ。
 
仏教でないから仏壇はないし、日本の法事みたいに僧侶が関係することもない。
儒教には重要なポイントとして祖先崇拝の教えがある。
韓国人が祖先を大事にし、そのための行事に熱心なのは儒教のせいだといわれます。
「チェサ(祭祀)」などの祖先崇拝行事は、今生きている人に対し、「死んでも子々孫々、このように忘れられずに記憶されますよ」ということを教えるものだ。
 
何百年にまで遡って、同性の一族の膨大な家系図が「族譜」という名で分厚い何巻もの書物になって維持されているのもそのせいである。
子々孫々、死んでもその存在(名前)が永久に人びとに記憶されるということは、人間にとっては大きな心の安心である。
その結果、死に対する不安や恐怖は和らぎます。
 
やはり儒教も間違いなく宗教なのです。

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韓国には意外に泳げない人が多い

2020-04-12 06:23:09 | 韓国旅行

 
韓国には意外に泳げない人が多い。
 
「セウォル号事故」のとき、海洋警察の職員に水泳ができない者が結構たくさんいるということが発覚した。
海難救助などの海の専門家が泳げないとは! と、びっくりした。
 
韓国は、学校や幼稚園で水泳を習うということはまずないし、そもそも学校にプールがない。
親が泳げないから海水浴に行っても子供は泳ぎをおぼえない。
日本人には実に意外である。
 
韓国の海水浴場には何度も行ったことがあるが、浜を出て泳ぎだしている人はほとんどいない。
浜辺でパチャパチャ水遊びをしている程度だ。
 
韓国人はなぜ泳ぎを知らないのか。
これが儒教と関係があるかもしれないと思うところがある。
韓国人は伝統的に人前での裸を嫌う。
裸つまり衣服をまとっていないということは動物と同じなのだ。
人間は動物と異なり「恥ずかしい」という秩序意識をもった存在にするという儒教においては、人間はいつも衣類をまとっていなければならない。
だから裸になって泳ぐ水泳などというものは、人間のすることではないのだ。
 
日本の武術には何々流といった水泳術(水練)さえもあります。
忍者など水に潜るのは必須科目だ。
さらに日本の時代劇では、“暴れん坊将軍“の吉宗は庭先で片肌脱ぎで弓の練習をするが、韓国のドラマで李舜臣将軍の片肌脱ぎは想像できないし、見たこともない。
 
日本の支配エリートのサムライたちはふんどし一丁、裸などまったくいとわなかったが、厳しい儒教試験の科挙を経た李舜臣はじめとする韓国の支配エリートは、決して裸にはならなかったのだ。

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韓国では「そんなことを知らないと韓国人ではない!」という時、以前はよく「간첩(間諜)」といった

2020-04-11 03:16:41 | 韓国旅行

 
昔に比べ年配者に席を譲らなくなった韓国だが、とくに地下鉄でそうなのだが、車両がいかに混んでいても若者は決してシルバーシートには座らない。
これは学生でもサラリーマンでもそうだ。
もし座っている若い男がいればそれは韓国人とモグリといっていい。
たとえば中国人の留学生だったりとか・・・。
 
韓国では「そんなことを知らないと韓国人ではない!」という時、以前はよく「간첩(間諜)」といった。
간첩は漢字では「間諜」でスパイのことである。
地下鉄でシルバーシートにほつんと座っている若者がいれば、それは「北朝鮮のスパイ」と思え?
 
若者がシルバーシートに座らないのはなぜか。
彼らはおそらくシルバーシートの空席を前に年寄りに配慮しているという意識はないに違いない。
どちらかというと我慢しているのだ。
座るのはカッコ悪いという意識である。
 
男としてカッコ悪い、学生としてカッコ悪いと思っているのだ。
だからこれは“見てくれ“である。
彼は突っ張っていて、見栄を張っているのかもしれない。
 
しかしこの「カッコをつける」とか「見栄を張る」ということは人間にとってきわめて重要なことなのだ。
カッコをつけるという「見栄」は、空席があっても我慢することだが、この「我慢」をするというのが秩序である。
なぜなら何事でもみんなが我慢なしに(欲望のまま!)行動すれば、われ先にとなって世の中は乱れるではないか。
 
欲望を抑えて我慢するということをやれるのは、人間だけであって動物はできない。
だから我慢することこそ“人間的“なのだ。
我慢することを教え、人間と動物とは違う人間的存在にしようとするのが儒教なのだ。
人はカッコをつけ見栄を張ってこそ人間であり、そこで世の中はまるく収まる! というわけだ。

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地下鉄の乗客の9割はスマホをのぞいている

2020-04-10 03:14:55 | 韓国旅行

 
韓国は世界市場を席巻した「サムスンのスマホ」でも分かるように「スマホ王国」です。
 
地下鉄の乗客の9割はスマホをのぞいている。
スマホを持つとみんな座ってうつむいているので周囲のことなど一切、目に入らない。
爺ちゃん婆ちゃんがよたよたと乗り込んできてもみんな知らん顔ができる!
儒教精神をうっとうしく感じている若い世代には恰好の“逃げ場“ができたのだ。
 
人間関係や社会の秩序を安定的に維持する儒教の教えである「長幼の序」は、端的にいえばどちらの年齢が上かを確認し合い、年上には無条件に従うべしというものだ。
 
だから韓国の街のケンカでは、激しくいいあいをしながら胸ぐらをつかんでもラチがあかないとなると、最期に出てくるのが「お前の年はいくつか?」「いや、お前こそいくつだ?」であり、本件そっちのけで最期は年齢争いになることが多かった。
争いでは結局、年長と確認された者が勝つ。
年下は引き下がらざるをえない。
周りも取り巻いたやじ馬もこれにはみんな納得する。
年長者には無条件で従い、年長者を敬い大事にするというこの「秩序の哲学」は、人間が生み出した素晴らしい知恵である。
動物にはそんなものはない。
これが儒教でいう「礼」である。
 
ところが最近は「年齢争い」も街ではあまり見かけなくなった。
年下が年上に平気で手を振り上げる風景も見られる。
年齢よりも「オレがオレが」が前に出るようになった。
今やそれが自由であり、民主的であり、人間平等じゃないかというわけだ。
 
先に酔っ払った年下が「昔の日本統治時代はよかった」とかなんとかいった老人にイチャモンをつけ、口げんかになって最期は老人が殴られて死んでしまったという事件があった。
以前はこんなことはありえなかった。
酔っ払ってもそんなことはなかった。
老人が「お前は大きな口をたたいていったいいくつなんだ!」といえばそれで相手はしっぽをまいて終わりだった。
 
それが年寄りとケンカになるなんて、「親日発言で殺人事件」などというより、こちらの意味のほうがあるかに重要であります。

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シルバーシートに見る日韓比較

2020-04-09 03:17:32 | 韓国旅行

シルバーシートに見る日韓比較
 
日本人が韓国にきて韓国人に感心するのは、地下鉄やバスで必ずといっていいほど老人に席を譲ることだ。
韓国でも地下鉄にはシルバーシート(弱者優先席)があるが決して若者は座らない。
こんな風景を見慣れた在韓日本人が日本に一時帰国して腹が立つのが、地下鉄や電車で若者がシルバーシートに平気でふんぞり返っていることだ。
 
この弱者への気遣い、とくに敬老精神を韓国で目撃した日本人は「韓国にはまだ儒教精神が残っている!」と感動したような気持ちになる。
年配者に対する尊敬、配慮つまり年齢を基準にした秩序意識である「長幼の序」こそ儒教精神だからだ。
 
しかし、実は韓国でも近年、この儒教精神の後退が目立っています。
実際に韓国の年配者たちの中にはこれ見よがしな者もいます。
ごくまれにシルバーシートに若者が座っていると、肩をたたいたりヒザをつついたりして立たせる。
それで険悪なムードになるということはない。
 
こうした年配者の威張った風景にも日本人は驚き「やっぱり韓国だ」と感心する。
年配者の方には儒教精神がまだたっぷり残っていて、その恩恵をしっかり維持しようとしているのだ。
 
しかし以前はドアのところに立って外を見ていても、離れたところからわざわざソデを引っ張って「座れ」といってくる若者が結構いたが、最近はそれがなくなったようだ。
シルバーシートには座ろうとしないが、座った席は譲ろうとしないのです。

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韓国人は政治が大好きであります

2020-04-08 03:25:26 | 韓国旅行

 
韓国人は政治が大好きであります。
 
世界の自由民主主義国の中で、新聞やテレビにあんなにたくさん政治関係のニュースや論評が出ている国も珍しいのではないでしょうか。
ネットだって政治ネタがいちばんの関心だ。
韓国では政治がエンタテインメントになっています。
 
したがってタクシーの運転手からバーのマダム、おネエさんまで、街の人はみんな政治評論家になっています。
外国人記者にとっては、政治動向をキャッチするのにこんな便利なところはないようです。
 
これは韓国においては「政治と国民」あるいは「権力と民衆」の距離がきわめて近いことを意味します。
人びとはみんな政治に手触り感がある。
 
だから韓国は必ずしも法治国家ではないかもしれないが、ものすごい民主主義社会であることは間違いないでしょう!
みんな政治に一家言を持っています。

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米韓従軍慰安婦の罪過を日本になすりつけた韓国

2020-04-07 03:29:43 | 韓国旅行

 
米韓従軍慰安婦の罪過を日本になすりつけた韓国
 
韓国は日本の常識では信じられない奇習や奇癖を持っています。
それが、自国がやった悪事を丸ごと他人になすりつける、180度逆転の「ウソ」である。
朝日新聞が火をつける前まで、従軍慰安婦といえば、朝鮮戦争の折に韓国の軍隊と政府が米兵用に作った「従軍慰安婦」の女性のことだった。
 
旧日本軍の「従軍慰安婦問題」は、朝鮮戦争時の「米韓順軍慰安婦制度」をそっくりすりかえたもので、軍の関与や韓国女性の性奴隷かも、旧日本軍ではなく韓国政府と韓国軍、在韓米軍がやったことである。
 
ソウル市警察局によると、1955年当時、米軍相手の慰安婦数は6万人以上で、NYタイムズのインタビュー記事によると、韓国当局者から「あなたはドルを得る愛国者だ」と賞賛された元慰安婦は「韓国政府は米軍のポン引きだった」と証言している。
声明書の「旧日本軍の慰安婦制度をまねて」というのは、話が逆である。
従軍慰安婦制度は、もともと韓国がつくったもので、それまでは存在していない。
 
ところが韓国は朝鮮戦争当時の米韓従軍慰安隊を旧日本軍の従軍慰安婦にあてつけて、世界中に宣伝する一方、韓国政府と韓国軍、駐韓米軍の三者がつくった「米軍専用慰安婦制度」を隠蔽したのである。
この悪質なプロパガンダにくわわったのが、朝日新聞でアメリカや韓国と共同戦線を組んで、旧日本軍が勧告女性を“性奴隷“にしたとキャンペーンを張った。
 
従軍慰安婦の誤報問題は、朝日新聞が詐話師・吉田清次の作り話になったなどという生やさしい話ではない。
朝日が記事にしたのは、吉田の話が日本と韓国の両方の調査でデタラメと判明した後のことで、従軍慰安婦問題の端諸となったのは、朝日が捏造したスクープ記事だった。
朝日新聞は「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。
 
この従軍慰安婦は、訴状に「親に40円でキーセンに売られた」と書いておきながら、日本政府を訴えた従軍慰安婦訴訟原告団の団長・金学順で、その後裁判費用を搾取した罪で逮捕されている。
 
金学順は、記事を書いた朝日新聞・植村隆記者の妻の母親である。
植村は、義母、金学順と結託して「日本軍の強制連行」という話を捏造して記事にしたのである。

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韓国の「モラル崩壊」を物語るのが、図抜けて多い強姦罪と暴行罪、偽証罪である

2020-04-06 03:57:21 | 韓国旅行

韓国に犯罪が多いのは、国家や国民が、「自然状態=無政府状態」にあるからである。
中国の犯罪発生率が韓国よりマシなのは、全体主義国家では、国家と国民のあいだに強制されたモラルが働いているからであろう。
韓国の「モラル崩壊」を物語るのが、図抜けて多い強姦罪と暴行罪、偽証罪である。
 
韓国では、男女関係や人間と人間との関係が暴力やウソで破壊されているのである。
法律専門団体の調査(2011年)では、10人に4人は、法律を守ると損をすると答え、「韓国社会で法律が守られていると思うか」という問いには、10人に8人が「そう思わない」と回答している。
 
モラルや遵法精神は、国家への信頼と国民への奉仕という相互的な関係から生じる。
国民が国家を信頼せず、国家が国民を守らない国では、あらゆるモラルが崩壊して犯罪がかぎりなく蔓延するのである。
 
日本に犯罪が少ないのは、国家と国民の紐帯がつよいからである。
国家と国民を結びつけているのは法や制度ではなくモラルである。
モラルの最高峰にあるのが国対国対である。
国対という文化構造から国家と国民が生まれる。
権力構造と軍隊・警察、憲法と群衆だけでは国家も国民も生まれない。
 
韓国では大統領が、偉大な国家指導者ではなく、私利私欲にまみれた両班の親分のような存在なのである。
 

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「二死満塁」を想定して、日米韓の監督はそれぞれどんな作戦を展開するかという話

2020-04-05 03:15:27 | 韓国旅行

 
野球を素材に「二死満塁」を想定して、日米韓の監督はそれぞれどんな作戦を展開するかという話。
 
まず日本人の監督ならとりあえず打者に「よくボールを見ていけ」というだろう。
できればみみっちく押し出しで点をとれれば一番いいが、そのためにもウェイティングのサインをだす。
いい球がくるまで打つな、それまでは待てだ。
ツースリーまでねばって最期に勝負というのが順当なところだろう。
 
日本人は慎重で、じっくり時間をかけて点を取ろうとする。
これが二死でなければスイングもありだ。
しかし二死だと最期まで粘って、投手と打者の息詰まるような駆け引きで勝負をつけることこそ、野球の醍醐味だと思っている。
 
アメリカ人の監督ならどうするか。
これは間違いなく最初から「打っていけ!」のピッティングのサインを出す。
果敢に打っていってこそ野球の面白みだ。
駆け引きなど必要ない。
したがって打者は初球からガンガン打っていくだろう。
 
では韓国人の監督はどうするか。
これがこの話の核心だが、正解は監督の支持など関係なしに「三塁走者が勝手にホームスチールを敢行する」である。
話は若干、極端になるのは仕方ない。
監督がホームスチールのサインを出すことも考えられるが、それよりも走者が自分の判断で勝手にホームに突入してこそ韓国人である。
 
ヒットを打つかどうか分からない打者(他人)などあてにならないし、待っておられない。
それより目の前にあるホーム突入が手っ取り早い。
監督の指示を待つチームプレーより、個人プレーの方が気分がいい。
独自の判断によるアッといわせるスタンドプレー。
大向こうを唸らせ、拍手喝采で一人脚光をあびる。
大胆かつ果敢なホームスチールは男らしい。
個人としての存在感、アピール効果は満点だ。
 
実際に韓国の野球でホームスチールが多いというわけではない。
ただ、おそらく三塁走者になればみんな虎視眈々、そんな心理じゃないだろうか。
韓国人論としてはそうに違いない。
ホームスチールとは野球におけるテロみたいなものである。
 
ある種の冗談話ではあるが、必ずしもそうだということではなく、いささか大げさに、面白おかしく語ってみせるもので、ユーモアの一種とも考えられる。

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韓国社会は「わたしのせい」よりやはり「あなたのせい」の方に流れていきました

2020-04-03 04:02:56 | 韓国旅行

 
日本人は個人も国家も「すみません」をいい過ぎます。
 
日本国内ではともかく、韓国(朝鮮半島)を含めアジア大陸に広がるこのあたりでは「すみません」だけでは「済まない」民族が多いのです。
中国など二十世紀の朝鮮戦争をはじめ*韓国侵略*の歴史は多いのに韓国に謝ったことなど一度もありません。
謝らないと知っているので韓国も要求しません。
 
ただ、この「わたしのせい」文化がないため、韓国人自身もお互いの人間関係がギスギスし、社会的にもいろんな不都合が生じていることを実感し、それを「困った」ものだとして世直し運動している人たちがいるから面白い。
ズバリ「わたしのせいです運動」
韓国語では「ネタシヨ運動」といっているが、カトリック系のキリスト教信者たちがやっているのもで時々、街で宣伝しています。
キリスト教だから一種の懺悔運動のようなものです。
 
韓国を震撼させた「セウォル号問題」は当初は、日ごろ規制や決まり、法律をちゃんと守らず、安全管理や危機対策をいいかげんにしてきたわれわれ社会全体に責任がある、として「国民総懺悔」の雰囲気だった。
 
これは文字通り「わたしのせい」運動だ。
ついにマスコミをはじめ国民全体が「国民意識改造運動」に乗り出したか!
 
しかしその後の事態の展開は期待外れでした。
いや予想通というか・・・。
韓国社会は「わたしのせい」よりやはり「あなたのせい」の方に流れていきました。
 
マスコミをはじめ社会的関心と追求の矛先は、海洋警察や海運当局など政府と、船会社およびそのオーナーに向かった。
野党勢力は「事故の原因と責任は無能な政権にある」といって、もっぱら政府・与党、大統領批判の政治攻勢に利用した。
安全無視の船会社が悪い、逃げまわっている悪徳オーナーが悪い、監督責任がある政府が悪い、監督責任がある政府が悪い、指導力を発揮しなかった大統領が悪い・・・・・・。
 
みんな「あなたのせい」である。
問題が政治問題化することによって「わたしのせい」などどこかへ吹っ飛んでしまいました。

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