韓国におけるスポーツ史にこんなエピソードがあります。
わりと知られている話で、外国の文物が入り出したいわゆる開化期の19世紀のことであります。
韓国にやってきた西洋人がテニスをしているのを見た韓国のエリート知識人の両班が「なぜあの者はあんなシンドイことを下の者にやらせずに自分でやっているのか?」と疑問を呈したといいます。
スポーツという概念が存在せず、手足や体を動かすことは卑しいことと思われていた伝統的な価値観(儒教的!)を皮肉った話である。
だからスポーツとか学校教育における体育というのは近代化の産物である。
それが韓国社会に定着するのは日本統治下でだが、とくにスポーツの中でひたすら走り続けるだけというマラソンなどは、スポーツという近代的発想がなければ決して存在もしなかっただろうし、広がらなかっただろう。
その意味で、開化期から半世紀以上後になるが、1936年(昭和11年)のベルリン・オリンピックで、日本選手として出場した韓国人の孫基禎選手がマラソンで優勝したのは奇跡的で革命的だった。
マラソンなどは儒教的肉体観からは決してうまれないものだったからだ。
ちなみに韓国人は1992年バルセロナ五輪でもマラソンで優勝している。
韓国はマラソン強国になったのだが、これは儒教的価値観からの脱出であってこそ可能だったということもできます。