李王朝の昔は、両班の子息だけが科挙を受験でき、合格して、運が良ければ(実際には多額の賄賂を使えば)官職を得られた。
しかし「日帝」が内政干渉により、そうした身分制度を破壊させてからは・・・・・・韓国人は、この点について、「日帝」に感謝したらどうなのかと思うのだが・・・・・・誰でも勉強して試験に合格すれば、公務員にも一流企業の社員にもなれるようになった。
上級公務員試験に受かること、財閥のホワイトカラー採用試験に受かること、それが「今日の両班」にのし上がるための登竜門だ。
世襲的身分制度の廃止までは「日帝」がしたことだ。
しかし、学歴崇拝と職業に対する病的な貴賤意識により、上にいくほど超鋭角のピラミッド型格差社会に仕上げたのは戦後の韓国人だ。
「今日の両班」にのし上がるための登竜門にたどり着くには「学歴・大卒」を手に入れなくてはならない。
韓国が、異様な進学熱に押し包まれたままでいる理由だ。
韓国の不幸は、年々の大卒者数の拡大に対して、高度な産業化の枠組みが、全く追いつけずにいることだ。
1970年代、韓国の大卒は、まさにエリートだった。
社会構成員の1割にも達していなかったろう。
ところが80年代中盤から大卒進学率は急騰した。
2008年には83.1%にも達した。
もう大卒者の半分しか、すぐに職に就けない。
めでたく就職できたとしても、その半分は非正規職だ。
5大財閥のホワイトカラーとブルーカラーを合わせた従業員数は、韓国の勤労者数の2%にすぎない。
状況は、李王朝の両班が、科挙に合格しても、ほとんどが官職につけなかったのと似ている。
両班は食べていけるだけの土地とを抱えていたが、今日の大卒浪人はそうではない。
ただ「自分は大卒者、昔で言えば両班」といったプライドだけは高いから、がするような仕事・・・・・・汗と油に塗れるような生産職には就こうとしない。
朝鮮半島の諺は言う。
「両班は溺れても犬掻きはしない」と。