「させていただきます」と「してさしあげます」
日本語の謙譲表現に、「させていただきます」があります。
「させて」は「仕事を辞めさせて下さい」というように、相手に許しを乞う意味の言葉です。
これが「下さい」ではなく「いただきます」となると、そこに感謝の心が入ってきます。
「させていただきます」といえば、具体的な相手としては「あなたに許可をお願いし、あなたが許可して下さったので、自分がこれこれをすることができます、そのことに感謝いたします」という、きわめて丁寧に感謝の気持ちを表す言葉となります。
「話させていただきます」「行かせていただきます」「助けさせていただきます」「(お金を)振り込まさせていただきます」など。
韓国人は、日本語が上手になってもなかなかこの言葉が出てきません。
それは単に、韓国語にはない言葉使いだから、韓国語の言い回しにはない表現だから、というだけではありません。
そういう気持ちになりたくないので、強い抵抗感が働くのです。
まず、話したり、行ったり、助けたり、振り込んだりするのに、わざわざ相手の許しを乞わなくてはならないことに強い抵抗感を覚えます。
そして、そんなことでなぜ自分を卑屈に貶めなくてはならないのかと感じます。
そのうえ、「頭を下げて目よりも高く捧げながら頂戴する(いただく)」ようにして感謝しなくてはならないとは、いったいどういうわけなのか、相手は神さまでもあるまいし、そんな気持ちになれるわけがないではないか、ということになのです。
たとえば、日本で講演の話し手が「話させていただきます」という場合、韓国ではどういうかというと、「話してさしあげます」となります。
韓国ではこれが最高の謙譲語となります。
「話してさしあげます」といわれると、日本ではかなり押しつけがましい感じを受けます。
「振り込んでさしあげます」となると、何を偉ぶっているのか、という感じになります。
そういう感じを相手に与えたくない、失礼だという感覚から、その場に応じて「話させて下さい」となり、さらには「話させていただきます」「教えさせていただきます」となるわけです。
韓国では日本とは逆に、押しつけがましく、居丈高に出ないと、自信の無い人、弱々しい人と見下されてしまいます。