7月24日正午。アナログテレビから番組は消え、「ご覧のアナログ放送の番組はきょう正午に終了しました」という画面に切り替わった。
58年間つづいたアナログテレビ放送が、「放送終了は延期してくれ!」という声を無視して、ついに強行された。
このための電波法改定がなされたのは2001年である。2011年7月24日にデジタル放送完全移行が決められた。「移行予定の1年前になったら、デジタル受像機の普及状況を調査し、その時点で移行するかどうか判断することにしたらどうか」(日本共産党の提案)は否決された。、
「デジタル元年」と宣伝しはじめたのは2003年である。東京・名古屋・大阪からはじまった。7年余経ったが、難視聴地域は解消されていない。ぼくの住む鎌倉も、(市役所の屋上や大船に中継用アンテナを立てたりしているが)谷戸(山と山の間)が多い地域がきちんとカバーされているかどうか定かではない。非課税世帯のみなさんがどうなっているのかも定かではない。デジタル化にともなっては、技術的に見れない地域があるだけではない、ジャーナリストの坂本衛さんは、「80歳以上のみ世帯250万の地デジ普及率が不明なままアナログ放送を打ち切った棄老政策は、政府と放送局の一大汚点だ」「当事者企業と政府がウソをつき、学者もメディアも黙認する点で、地デジ問題は福島第一原発問題とよく似ている」という。そのとおりである。
あちこちでテレビの話をさせられてきたが、その都度、冒頭に「地デジ問題」に触れた。
「テレビの歴史は 1953年の白黒テレビからはじまった。やがてカラーテレビに移行した。このときは 白黒の受像機でも番組をみることができた」「だが、デジタルにれば(従来の受像機では)見ることが出来ない」「難視聴地域が解消され、高齢者世帯、買い替えることができない(生活するだけで精一杯の)人たちが、後期高齢者医療制度がなくなり、賃金が上がり、そろそろ買い替えようかと思える時期まで延期すればいい」「このままで完全移行はムリだ」と言ってきた。「慌てて、ムリして買い替えなくていいね?」という質問に、「完全移行の条件は整っていない。テレビは、いまや生活の一部。見れない、買い替えできない人たちを見捨てるのは、文化の問題であり、民主主義の問題」と言い続けてきた。真実、そう思ってきた。いまもその考えに変わりはない。この、日本という国は、いったい誰のための国なのだろうか。ぼくは、テレビ技術の発達に「異」を唱えるものではない。
東北3県(岩手、宮城、福島)は、「来年3月まで(移行を)延期」したが、これに対して、日本民間放送連盟の広瀬道貞会長はこんなコメントを出している。「この時期に政府が被災3県のアナログ放送の延長を表明したことは極めて残念である」と。いったい 何を考えているのだろうか。被災地のみなさんの生活は、いまだに先行き不透明である。「3県延長したとしても、多くの人は広く各地に避難生活している。被災者のための延長なら全国一律に延長すればいいではないか」という人もいる。至極ごもっともな意見だと思う。
放送に関する研究は今後も進むだろう。新技術を取り込む受像機だってできてくるだろう。その場合、買い替えることができる人はどんどん替えればいい。
何度も言うが、完全デジタル化問題は、有無を言わさず「買い替えさせられる」ところにある。「買い替えないものは放っておけばいい」という政策に腹が立つ。まるでファシズムではないか。
これで、テレビに対する信頼度は、さらに低下することになるだろう。7月24日は、「悲しい日」として残ることになる。
58年間つづいたアナログテレビ放送が、「放送終了は延期してくれ!」という声を無視して、ついに強行された。
このための電波法改定がなされたのは2001年である。2011年7月24日にデジタル放送完全移行が決められた。「移行予定の1年前になったら、デジタル受像機の普及状況を調査し、その時点で移行するかどうか判断することにしたらどうか」(日本共産党の提案)は否決された。、
「デジタル元年」と宣伝しはじめたのは2003年である。東京・名古屋・大阪からはじまった。7年余経ったが、難視聴地域は解消されていない。ぼくの住む鎌倉も、(市役所の屋上や大船に中継用アンテナを立てたりしているが)谷戸(山と山の間)が多い地域がきちんとカバーされているかどうか定かではない。非課税世帯のみなさんがどうなっているのかも定かではない。デジタル化にともなっては、技術的に見れない地域があるだけではない、ジャーナリストの坂本衛さんは、「80歳以上のみ世帯250万の地デジ普及率が不明なままアナログ放送を打ち切った棄老政策は、政府と放送局の一大汚点だ」「当事者企業と政府がウソをつき、学者もメディアも黙認する点で、地デジ問題は福島第一原発問題とよく似ている」という。そのとおりである。
あちこちでテレビの話をさせられてきたが、その都度、冒頭に「地デジ問題」に触れた。
「テレビの歴史は 1953年の白黒テレビからはじまった。やがてカラーテレビに移行した。このときは 白黒の受像機でも番組をみることができた」「だが、デジタルにれば(従来の受像機では)見ることが出来ない」「難視聴地域が解消され、高齢者世帯、買い替えることができない(生活するだけで精一杯の)人たちが、後期高齢者医療制度がなくなり、賃金が上がり、そろそろ買い替えようかと思える時期まで延期すればいい」「このままで完全移行はムリだ」と言ってきた。「慌てて、ムリして買い替えなくていいね?」という質問に、「完全移行の条件は整っていない。テレビは、いまや生活の一部。見れない、買い替えできない人たちを見捨てるのは、文化の問題であり、民主主義の問題」と言い続けてきた。真実、そう思ってきた。いまもその考えに変わりはない。この、日本という国は、いったい誰のための国なのだろうか。ぼくは、テレビ技術の発達に「異」を唱えるものではない。
東北3県(岩手、宮城、福島)は、「来年3月まで(移行を)延期」したが、これに対して、日本民間放送連盟の広瀬道貞会長はこんなコメントを出している。「この時期に政府が被災3県のアナログ放送の延長を表明したことは極めて残念である」と。いったい 何を考えているのだろうか。被災地のみなさんの生活は、いまだに先行き不透明である。「3県延長したとしても、多くの人は広く各地に避難生活している。被災者のための延長なら全国一律に延長すればいいではないか」という人もいる。至極ごもっともな意見だと思う。
放送に関する研究は今後も進むだろう。新技術を取り込む受像機だってできてくるだろう。その場合、買い替えることができる人はどんどん替えればいい。
何度も言うが、完全デジタル化問題は、有無を言わさず「買い替えさせられる」ところにある。「買い替えないものは放っておけばいい」という政策に腹が立つ。まるでファシズムではないか。
これで、テレビに対する信頼度は、さらに低下することになるだろう。7月24日は、「悲しい日」として残ることになる。