半年かけて準備した”上野の森に「広島・長崎の火」を灯しつづけて20年”「2011非核・平和をうたうつどい」
暑い最中でしたが、1700人を超える参加で 無事終了しました。
予定の2時間50分を「3分オーバー」しただけでしたよ。発言者が、時間をきちんと守ってくれたのが成功の第一の要因でしたね。みなさん ごくろうさまでした。
このイベントは 「JCJCAST](インターネット)で生中継されました。現在は録画されたものが放送されていますから、ゆっくりご覧下さい。
インターネット中継だけでなく、舞台の看板やスクリーン用の映像など裏方は「マスコミ九条の会」が手伝ったりしたのですよ。ま うまくいったと思いますね。
鎌倉から参加してくれた女性Uさんが、メールで感想を寄せてくれました。
「まず、初っぱな子どもたちが可愛くて・・・いい演出でした」と。
合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」のことです。これは、ぼくの演出と関係ないのです。長い間歌い続けて
きた成果なのです。もはや完璧の舞台といっていいでしょう。
子どもたちは、いつもすばらしいのです。
戦争中、各地の動物園では動物たちが次々に殺されました。そんな中、名古屋の東山動物園では象たちを必死で
守り抜きました。
「本物の象が見たい・・・」。そんな東京の子どもたちのために、特別仕立ての「象列車」が走ったのです。
実話にもとづいた合唱構成なのです。
「印象に残ったのは”灯”の主人公の山本達雄さんとお婆さん。何かそこら辺で見かける、近くにいる感じの人たちなのに、
歌が上手かったりして・・・感激しました」と。
カンタータ「この灯を永遠に」のことです。
作曲・指揮の安藤由布樹さんに、短かめのバージョンにしてもらいました。
福岡県星野村から出征した一兵士山本達雄さんが、広島から大事に持ち帰った「火」にまつわる物語です。
達雄さんにとっては「恨みの火」でしたが、やがて「平和を求める火」に変わっていきます。
このカンタータは、まだまだ進化していくでしょう。
達雄さんの息子の拓道さんと、八女市長(星野村は合併されました)の三田村統之さんが遠いところを参加して くれました。星野村の「火」は灯りつづけます。
いま、全国に45ヶ所 「火」は灯されています。ぼくの住む大船の「大船観音」にも灯っているのです。
「あと、残留孤児のみなさんの訴えも心に残りました。素晴らしい演出だと思いましたよ!」と。
ここにも演出なんて存在しないのです。中国残留日本人孤児のみなさんの 語る中身がよかったのです。
「中国では”日本人だ”と軽蔑され、日本に帰ったら”中国人だ”と軽蔑されてきた」そうです。それでも、
「私たちは日本人です」と。そして、「これから 日本のみなさんに恩返ししたい」と。
「ただ、残念ながら人の出入りや カメラマンがウルサかった。次回は後ろの出入り口とか、アナウンスした方がいいかも。
本当にお疲れ様でした。大盛況で良かった 〃 〃」とも。
舞台の合間に、客席の後ろで雰囲気を見ましたが、そんなこととは知りませんでしたね。観てくれている人の
立場で考えることは大事です。Uさん ありがとう。
合唱の合間に、福島県農民連事務局長・根本敬さんが「思い」を話してくれました。背景に「復旧・復興は 被災者が主役で」という大きな看板を下ろしました。この看板は この一瞬のためにつくったのです。
あえて「演出」というなら「看板」ですね。緞帳の上手の花道に「2011非核・平和をうたうつどい」という大きな看板を置きましたね。途中、あげたり下げたりしたのが 「上野の森に”広島・長崎の火”」(これは上手)「灯しつづけて20年」(これは下手)です。最後に下りてくるのが 「繰り返すまい!広島・長崎・福島 上野の森の灯を 日本の各地に そして世界に」です。インパクトがあったと思いますよ。(我田引水)
被爆者の代表と 「灯す会」の木村康子さんが 東照宮に灯されるまでの経緯を話してくれました。
前日おこなわれた「灯す会サミット」について山口義夫さんの報告があったり、被爆者、大空襲犠牲者、沖縄民間戦争被害者(弁護士の瑞慶山茂さんの「瑞」が「端」になっていました。古くからおつき合いしている瑞慶山さん。失礼いたしました)、中国残留日本人孤児。そして、若者代表で話してくれたのはプロボクシング元日本ウエルター級チャンピオン・小林秀一さん。
いまは街のお豆腐やさんをしながら「核廃絶」運動に取り組んでいます。彼の提起で21万羽の折鶴が取り組まれています。21万という数字は 広島・長崎で亡くなった人の数です。みなさんによって折られた鶴は 広島・長崎の平和大会に届けられます。この日 折られた鶴は800を超えたそうです。
被爆者、大空襲犠牲者の話の背景に 悲惨な状況が描かれた絵が映し出されます。「はじめて聞きました」というひともいましたね。それだけでも この日の「つどい」の意味があったと思いましね。
エンディングは、女性合唱で『一本の鉛筆』(美空ひばりさんが、第一回広島平和音楽祭で歌ったもの)、『原爆を許すまじ』、『青い空は』です。
『原爆を許すまじ』のところで、舞台中央に「ボッ」と火が燃えました。だれも知らないサプライズの趣向です。舞台の袖で思わず涙ぐんだのは どうしてでしょうかね。
この「火」は、日比谷公会堂の副館長・藤村恭一さんの協力によるものでした。ありがとうです。
司会は(都教祖の)古沢美代子さんでした。ゆっくりした司会ぶりは玄人はだしです。なにかの機会に またお願いしようと思っているのです。おつかれさまでした。
なにはともあれ、無事に終わってよかった。
参加された方々の胸に、平和の「火」が あらためて灯ってくれればうれしいですねえ。
また暑くなるようです。お互い 健康に留意していきましょうね。
暑い最中でしたが、1700人を超える参加で 無事終了しました。
予定の2時間50分を「3分オーバー」しただけでしたよ。発言者が、時間をきちんと守ってくれたのが成功の第一の要因でしたね。みなさん ごくろうさまでした。
このイベントは 「JCJCAST](インターネット)で生中継されました。現在は録画されたものが放送されていますから、ゆっくりご覧下さい。
インターネット中継だけでなく、舞台の看板やスクリーン用の映像など裏方は「マスコミ九条の会」が手伝ったりしたのですよ。ま うまくいったと思いますね。
鎌倉から参加してくれた女性Uさんが、メールで感想を寄せてくれました。
「まず、初っぱな子どもたちが可愛くて・・・いい演出でした」と。
合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」のことです。これは、ぼくの演出と関係ないのです。長い間歌い続けて
きた成果なのです。もはや完璧の舞台といっていいでしょう。
子どもたちは、いつもすばらしいのです。
戦争中、各地の動物園では動物たちが次々に殺されました。そんな中、名古屋の東山動物園では象たちを必死で
守り抜きました。
「本物の象が見たい・・・」。そんな東京の子どもたちのために、特別仕立ての「象列車」が走ったのです。
実話にもとづいた合唱構成なのです。
「印象に残ったのは”灯”の主人公の山本達雄さんとお婆さん。何かそこら辺で見かける、近くにいる感じの人たちなのに、
歌が上手かったりして・・・感激しました」と。
カンタータ「この灯を永遠に」のことです。
作曲・指揮の安藤由布樹さんに、短かめのバージョンにしてもらいました。
福岡県星野村から出征した一兵士山本達雄さんが、広島から大事に持ち帰った「火」にまつわる物語です。
達雄さんにとっては「恨みの火」でしたが、やがて「平和を求める火」に変わっていきます。
このカンタータは、まだまだ進化していくでしょう。
達雄さんの息子の拓道さんと、八女市長(星野村は合併されました)の三田村統之さんが遠いところを参加して くれました。星野村の「火」は灯りつづけます。
いま、全国に45ヶ所 「火」は灯されています。ぼくの住む大船の「大船観音」にも灯っているのです。
「あと、残留孤児のみなさんの訴えも心に残りました。素晴らしい演出だと思いましたよ!」と。
ここにも演出なんて存在しないのです。中国残留日本人孤児のみなさんの 語る中身がよかったのです。
「中国では”日本人だ”と軽蔑され、日本に帰ったら”中国人だ”と軽蔑されてきた」そうです。それでも、
「私たちは日本人です」と。そして、「これから 日本のみなさんに恩返ししたい」と。
「ただ、残念ながら人の出入りや カメラマンがウルサかった。次回は後ろの出入り口とか、アナウンスした方がいいかも。
本当にお疲れ様でした。大盛況で良かった 〃 〃」とも。
舞台の合間に、客席の後ろで雰囲気を見ましたが、そんなこととは知りませんでしたね。観てくれている人の
立場で考えることは大事です。Uさん ありがとう。
合唱の合間に、福島県農民連事務局長・根本敬さんが「思い」を話してくれました。背景に「復旧・復興は 被災者が主役で」という大きな看板を下ろしました。この看板は この一瞬のためにつくったのです。
あえて「演出」というなら「看板」ですね。緞帳の上手の花道に「2011非核・平和をうたうつどい」という大きな看板を置きましたね。途中、あげたり下げたりしたのが 「上野の森に”広島・長崎の火”」(これは上手)「灯しつづけて20年」(これは下手)です。最後に下りてくるのが 「繰り返すまい!広島・長崎・福島 上野の森の灯を 日本の各地に そして世界に」です。インパクトがあったと思いますよ。(我田引水)
被爆者の代表と 「灯す会」の木村康子さんが 東照宮に灯されるまでの経緯を話してくれました。
前日おこなわれた「灯す会サミット」について山口義夫さんの報告があったり、被爆者、大空襲犠牲者、沖縄民間戦争被害者(弁護士の瑞慶山茂さんの「瑞」が「端」になっていました。古くからおつき合いしている瑞慶山さん。失礼いたしました)、中国残留日本人孤児。そして、若者代表で話してくれたのはプロボクシング元日本ウエルター級チャンピオン・小林秀一さん。
いまは街のお豆腐やさんをしながら「核廃絶」運動に取り組んでいます。彼の提起で21万羽の折鶴が取り組まれています。21万という数字は 広島・長崎で亡くなった人の数です。みなさんによって折られた鶴は 広島・長崎の平和大会に届けられます。この日 折られた鶴は800を超えたそうです。
被爆者、大空襲犠牲者の話の背景に 悲惨な状況が描かれた絵が映し出されます。「はじめて聞きました」というひともいましたね。それだけでも この日の「つどい」の意味があったと思いましね。
エンディングは、女性合唱で『一本の鉛筆』(美空ひばりさんが、第一回広島平和音楽祭で歌ったもの)、『原爆を許すまじ』、『青い空は』です。
『原爆を許すまじ』のところで、舞台中央に「ボッ」と火が燃えました。だれも知らないサプライズの趣向です。舞台の袖で思わず涙ぐんだのは どうしてでしょうかね。
この「火」は、日比谷公会堂の副館長・藤村恭一さんの協力によるものでした。ありがとうです。
司会は(都教祖の)古沢美代子さんでした。ゆっくりした司会ぶりは玄人はだしです。なにかの機会に またお願いしようと思っているのです。おつかれさまでした。
なにはともあれ、無事に終わってよかった。
参加された方々の胸に、平和の「火」が あらためて灯ってくれればうれしいですねえ。
また暑くなるようです。お互い 健康に留意していきましょうね。