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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

川柳で笑い飛ばして年越そう・その3

2024年12月09日 21時21分00秒 | 川柳・俳句・五七五

公益社団法人「全国有料老人ホーム協会」(有老協)が、2001年に、設立20周年を記念してスタートさせた「シルバー川柳公募」と「入選作品発表」。
毎年、その発表を楽しみにしている類で、今年、2024年は、第24回目だった。
これまで、第一回目から順次、その「入選作品」を、ブログでご紹介してきたが、
つい最近のこと、同協会制作のYouTubeが有ることを知り、改めてご紹介することにする。
2024年も残り少なくなり
  川柳で笑い飛ばして年越そう
今回は、2003年、第三回目の入選作品、
時事的なキーワードを詠み込んだ句、ユーモアたっぷりの定番加齢ネタ句、社会の変化へも戸惑いを読んだ句等、思わず吹き出してしまったり、頷いてしまう傑作ばかりである。

「OCNブログ人」で初めてブログを始めた2011年頃までは、「川柳」等にも、まるで興味も関心も知識も無かった爺さん、どちらかというと、ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、まるで面白みの無い人間、それまでイメージしていた「川柳」とは、程遠い存在だと思っていたが、ブログを開設して数年後のある時、新聞を読んでいて、「川柳人気急上昇」「初めての川柳」等という記事が、何故かふと目に止まり、「なんだか、簡単そう?、面白そう?・・・・」、「もしかしたら、頭の体操に、いいかも?」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、とりあえず、「五七五言葉並べ遊び」を始めたのだった。当然、「川柳」等と言えるものでなく、自己満足だけのものだった。
有老協の「シルバー川柳」を知ったのも、ちょうどその頃で、今にして思えば、「シルバー川柳」は、川柳の楽しさ、面白さを、教えてくれた一つ、火付け役の一つだった気がしている。


「有老協・シルバー川柳 第3回入選作 其の一」  (YouTubeから共有)

「有老協・シルバー川柳 第3回入選作 其の二」  (YouTubeから共有)

(ネットから拝借無料イラスト)


おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染めの袖

2024年12月09日 17時33分37秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その22

おほけなく うき世の民に おほふかな
わが立つ杣に 墨染めの袖

出典
千載集(巻十七)

歌番号
95

作者
前大僧正慈円

歌意
身の程も弁えずに、辛いこの世に生きる人々を
救いたいものだ。
私が住み始めることになった比叡山における
仏道修行によって。

注釈
「おほけなく」=「自分の身の程を弁えないで」「分不相応にも」の意。
「自分の力には及ばないことではあるが・・・」という
謙遜の気持ちを表している。
「うき世の民に」の「うき世」は、「憂き世」で、
仏教でいう「現世」の意。
「おほふかな」の「おほふ」は、「覆う」で、
「黒染の衣の袖を覆うこと」、
「仏の加護があるように祈念すること」
「僧として、世の人々を救うこと」の意。、
「わが立つ杣(そま)」の「杣」は、材木を切り出す杣山のことだが、
ここでは、比叡山を指す。
「黒染めの袖」=「黒く染めた法衣」と「住み初め」の掛詞。
「墨染めの袖を、おほふかな」と解釈する。(倒置法)

名門の出ながら、
幼少時から、天台宗の僧として、
厳しい修行を積んだ作者の若い頃の
純粋な仏教的信念、決意を表現した作品。


前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

関白藤原忠通の第6子、九条兼実の弟、
11歳で比叡山に入り、14歳で出家、
4回に渡って、天台座主(てんだいざす)(最高位の僧職)に
就任し、信望を集めた。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


偉人賢人先人の名言あれこれ・その3

2024年12月09日 10時15分39秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録している数多の方々のブログを拝見拝読するようになって久しいが、
この歳になっても尚、あらゆる物事に関して、無知振りを痛感している。

ふっと目に止まった言葉等にも、その都度、「へー!、そうだったのか」、
気付かされ、教えられること多しである。
現在は、ネット等で簡単に調べたり、確認出来る時代。
一つの物事から、さらに、派生的、芋蔓式に、
これまで全く知らなかったことも知ることが出来る時代。
便利で有難い世の中である。


偉人賢人先人の名言あれこれ・その3

「今日という日は、残りの人生の最初の日である」


「今日という日は、残りの人生の最初の日である」という言葉は、これまでも、折に触れ、見聞きし、知ってはいたが、それが、アメリカの薬物中毒者救済機関「Synanon(シナノン)」を設立したことで知られるチャールズ・ディードリッヒ(Charles Dederich)という人の言葉だったことを、最近、初めて知った。

英語では、「Today is the first day of the rest of your life」
1960年代のアメリカで流行った言葉なのだそうだ。

考えてみれば、当たり前の意味の言葉であるが、
老い先短い後期高齢者にとっては、
特に印象に残る言葉ではないかと思っている。

過去がどうであったではなく、
これから先、あと何日、あと何年生きるか分からない日々、
今日が、人生のスタートと考えれば、
まだまだ、新たに、知りたいこと、見たいこと、行きたいところ、してみたいこと、
いっぱい有るはず、
どんな些細なことでも、
出来る範囲で、中途半端でもいい、
挑戦してみる、
今日が、残りの人生の最初の日だと思えば・・・。


(ネットから拝借画像)