草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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「積み残し」でわかる子どもの能力のほど、合否の結果

2015年06月23日 10時14分06秒 | 
 おはようございます。昨日会員のお母さんにいただいたメールに「涼しい日が多くわりと過ごしやすい6月だった」とありまして、「そういえばそうだった」と改めて6月という季節を総括してしまいました。5月から6月にかけて蒸し暑い夏日が何日か続いたことがありましたが、それがずっと引き摺って結果的に凌ぎやすかった6月を素直に見れなくなっていました。
 今日も比較的涼しい一日になりそうです。このような気持ちのいい日をいただいた天に感謝したい気持ちでいっぱいです。
 さて、竹の会では今では子どもたちに指導日には課題レジュメが課されるのが必然になっております。子どもたちはその日に課されるレジュメを考えて答案を書き、わたしのところに持ってくる、するとわたしがそれを採点する、できていなければもう一度考えるように指示する、できていれば合格はんこを押して、次のレジュメを課す、そういう指導の流れが普通です。何回もやってきてできていないという子がいる。説明するか、解説を読めばわかる子には解説を渡す、はんこは「理解済みはんこ」だ。時には事件も発生する。式がないのに答えだけ合っているという不思議なことをやる子が出てくる。どこで正解を手に入れたのか、考えた結果でないことだけは確かだ。かつての例だと、たまたま周りに同じレジュメをやっている子がいてそれを見たとか、わたしが解答集を見るときに瞬間的に答えを見たとか、とにかくなんらかの経路で答えを手に入れてくる。ときには当てずっぽうというのもある。「式を書いてこい」と言うと1時間経っても2時間経っても出してこない。
 これは難しいな、というときは、解説レジュメを比較的早めに渡すこともあるし、これは解いてほしいとか、解かなければならない、というときは、解説レジュメは何度出してきても正解が出ない限り渡さない、ということもある。
 レジュメには、家庭でやってくるものもある。指導時間だけではこなしきれないから当然である。「新国語読解」とか、いろいろある。指導時間に終わりきれなかったレジュメも持ち帰りである。
 指導日に合格はんこがとれることが予定のレジュメをきちんと合格はんこをとっていけば問題ない。しかし、時には時間がかかりすぎて出せないこともある。そうなると次第に未処理のレジュメがたまっていく。家庭でなまければさらに次のレジュメもたまっていく。
 わたしの記憶には、平成19年に指導した男子が膨大な量のレジュメを未消化のままに本番を迎えた、悪夢の光景が今でも残っている。その子は頭は悪くはなかったはずだし、まじめで集中力もあったはずなのだ。ただ土日は少年野球チームに所属し12月まで続いたということだったらしい。彼はなかなか当時のレジュメを出し来ず、どっさりと百科事典の厚さほどにまでなった未消化レジュメをためこんだ。1月の過去問チェックでは白紙答案に近かった。当初は「できる」と期待された子であったのに。
 本年桜修館に合格した女子が後輩に残した言葉、「もらったレジュメをやりきること、それだけです、それが合格の秘訣です」という趣旨の言葉が耳に残る。
 そういえば、27年受検の子たちは件の女子を除いて、大量の未処理のレジュメを残したままに本番に突入した、といってもいい。
 「積み残し」を裏から見れば、能力の壁ということを考えなければ、勉強以外のことに時間を使いすぎたということではないか。
 様々な習い事、稽古事もさることながら、家族団らんの旅行、行事もあろう、さらには、特に何もないのに「勉強しない」、ゲームにのめり込む、テレビに流される、というのもあるであろうか。
 避けられぬ事件というのもある。学校行事はまず避けられない。突然の事件、病気などもそうだ。法事というのもあった。25年の夏、中国地方の実家に法事で1週間ほどというのもあった。夏は全回出席して9月に学校休んで沖縄地方に家族で出かけた、というのもあった。23年の夏には夏2週間オーストラリアにホームスティというのもあった。もうなんでもありだ。
 およそ合格することとは逆方向の行動を平気でやりながら、それでも「合格する」と思っているのか、ホームスティで事実上夏を捨てた女子は、「受検は止めた」と9月に退塾し、実は両国を受けていた。落ちた。
 「積み残し」の原因が、能力とは関係のない、もろもろの諸事情というのが悲しい。
 努力を惜しまずこつこつやる子が、「積み残す」というのとは事情がちがう。また努力をする子というのは、気がつけば「積み残し」もない、というのが真実である。
 「積み残し」と言っても、相対的なものである。わたしが予定して出すレジュメが子どもたちのこなす量を見計らってのことだから。そういう中で一回の指導で課すレジュメの量というものも自然定まってくるものでそうして定まった量を積み残していくのは紛れもなく「積み残し」である。
 今年桜修館に落ちた天才女子が「もっと勉強しておけばよかった」とつぶやいたそうですが、この言葉がすべてを物語っています。
 「積み残し」がひどければ、それはそれで能力の限界を疑ってもいいし、合否の結果は発表の日を待つまでもない。
 
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