草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

草枕の読者について

2007年09月16日 11時31分24秒 | 
 ここのところ忙しさと好きな読書に没頭することが多く草枕の執筆までなかなか手が回らないでいた。昨日は久しぶりに筆をとった。私の場合は, どうしても日々の指導実践の中から突き当たった悩みを書くケースが多い。私のブログを読んでくださる方が, 私の念頭においたような人ばかりでないことはうすうすわかっていた。私は竹の会の会員の父母の方はもちろんその他多くの子どもの教育に悩む父母の方たちを念頭に書いてる。そこで竹の会の指導の手の内を正直に開陳している。が, どうもあまりに竹の会の指導の内容をさらけ出すのはどうかと危惧することも多い。というのは必ずしも私の念頭に置いた方々ではなく, 中には同業者が熱心に読んでいる節があるからである。ときどき, 父母の方などにコメントをいただくことがあるが, それは竹の会という中での指導に関わる悩みを打ち明けられたり励ましのことばをいただいたりといった応援の類のもので私は誠意をもってお答えするようにしていた。父母の方のコメントは必ず自分が竹の会の関係者であることを断ってのコメントである。しかし, 自分が何者かも明かさず,いきなり勘違いの批判コメントが舞い込んできたのが昨夜のことであった。私の主張の根幹となる部分ではなくどうも都立の凋落ぶりを指摘したところが気に入らなかったようだ。都立中高一貫校が出てきたのは都立の凋落が前提認識なのにそのことには気がつかない風でどうも何やらの学校説明会などのパンフをそのままに書きならべている節があった。その後のしつこいコメント投稿からどうも他塾の関係者のように推測された。本当に読んでほしい方たちにのみ私の真意が伝わればいいことなので, またこうしたインターネットといった手段をとるしか零細な塾には伝達手段がないこともあってホームページに竹の会の主張を書くことにしている。しかしそうなるとどうしても読んでほしくない人間の目にもさらされることになる。ここのところ指導の準備に追われ寸暇を惜しんで教材の製作に没頭していた。匿名のつまりは責任の所在も明かさないコメントなどにいちいち馬鹿正直にとりあう時間はとても私にはない。相手は私が何者かしっているが,私は相手を全くしらないという状況で私が何かを言うのは闇に向かって叫ぶむなしさがある。かつて哲学者の故池田晶子さは同じような目にあったらしい。さすがに池田さんは「こんなコメントにいちいち説明する必要もないのだが,」と断りながら再コメントをした。その際,「私のコメントに対する反論は受けつけない」と言い切った。あのような著名な方だと一々再コメントしていたら時間の無駄もばかにならないであろう。貴重な時間をそういうことに割くのはいかにも空しい。私の大学時代の同級生I君は現在裁判官をしているが,その彼は在学中に司法試験に合格した。しかも確か55番ほどの成績であった。あるとき私は大学の図書館でばったりと彼に会い, 司法試験の話をした。彼は九州大学に2番の成績で合格し卒業の時も良が1つであとはすべて優という成績であった。九州大学の受験団体である松法会での成績は番外であったという。しかし彼は優秀な成績で合格した。実は私の級友には6番合格とか27番合格とかすごいのが結構いた。ひとしきり彼と話しこんだのだが,別れ際に彼がいったことばが私の耳から離れなかった。「無為な時を過ごしてしまった。」といった。彼にとっては, 友とおしゃべりする時間も惜しかったのだ。いつも知識の中に身を置いているときに安寧を感じたのであろう。
 私もかつて司法試験を志した。択一試験に初めて合格したとは, 私は3万人の中の3000人の中に入ったことに素直に感動した。しかし私は級友のI君のように勉強以外を「無為」とするだけの強固な意思に欠けていた。あるとき家庭教師をやっていた子が国立付属中に合格してしまった。このときから私の人生は方向違いの方へと走り始めてしまった。何にでも律儀に没頭してしまう性格からいつしか入試のプロみたいなことになってしまった。あのときボタンを掛け違えてしまったのか。よく思う。
 ここのところ読書にはまっている。夏の間, 読めなかった反動があったのか, ここ1週間でも文庫本23冊を読んだ。その他単行本も数冊読んだ。最近は, 公立中高一貫校の問題分析に明け暮れている。問題は一度レジュメ化して子どもたちに試行する。その上で選んであった他の過去問集を参考に作問する。この作問ということばは数年前に資格試験の予備校の司法書士試験の記述式問題の作成に関わったときに初めて知った。作問は問題を作るだけではだめで, 出所を明示しつつ詳細な解説を作成しなければならなかった。塾の合間に私は請け負った作問に追われた。私の問題は評価が高く通常より高い稿料をもらうことができた。私は作問に没頭すればするほど塾の仕事との間のジレンマに苦しむことになった。あるとき私は決断して作問の仕事をお断りすることにした。作問に当たっては作成した問題解説の著作権はすべて予備校にあることが契約されていたので私の作成した問題がその後どうなったか私は一切しらない。しかし, 作問という過酷な経験が私の現在のレジュメ作りに開花したと思う。あることの説明がつかないとき, 私は様々な文献を読み, 答えを根拠付きで見つけた。たった1つの命題でも説明がつかなければ没だった。司法試験などではなぜこの肢が出題されたのかということをとことん追求する。膨大な知識の中からなぜこの知識だけがえらばれたのか。私は過去問分析においてどうしても司法試験のような分析手法をとってしまう。出題の意図を徹底して分析するというのもその一貫だ。
 私はいつも現在の状況を反芻する。私立受験の何々さん, 何々君の顔を思い浮かべながら, 現在の実力状況を考える。次のことを考える。何をすべきかを考える。ひとりひとりの顔を思い浮かべながらその指導の方法を十人十色に工夫する。これは毎日の定期的な決まり仕事である。
 「無為な時を過ごすなかれ」といつかの級友の言葉を繰り返す。
この記事についてブログを書く
« 公立中は過疎の村 | トップ | 思考未熟という事態 »