草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

諸事雑感'11.7.15

2011年07月15日 09時23分29秒 | 
 お早うございます。本日は指導日です。今日も炎天の夏日です。来週には夏期長時間指導に突入します。このところの指導ではいつも算数が不完全燃焼した感じが残り芳しくありません。過去問も大切ですが、算数が今のままではとてもダメだという気持ちが強く、夏に時間をかけなければもう時間をかけられる時はないと思っています。  さて、先日は、電波利権に関して通り一遍の感想を述べさせてもらいましたが、実は電波の配分というのはよくわからないことばかりです。きちんとわかるように整理された情報が少ないのです。テレビと新聞が結びついて、テレビは新聞の、そして新聞はテレビの悪口をお互いに書かないようになりました。何か不祥事があってもさらりとそれこそ通り一遍の事実を報道するだけです。  よく電波は有限であるからなどといわれても、たとえばBSデジタル放送の民放の番組などはどうでもいい番組ばかりで無駄に思えてしかたない。そもそもだれも見てもいないのではないか。最近は通販番組を一応形だけはデジタルで放送している始末です。BSデジタルと地上波が同じ番組を放送してもしかたないというのは東京の人の考えでしたが、もし全く同じ番組をBSで流したらどうなるか。これは実はすごいことになる。まず地方でいつでも東京のキィー5局の番組が見れる。地方のテレビ局はどこも東京のキィー5局のどこかに系列化してるから、たとえば大分ならTBSの番組だけ見れるといった具合であったのが、大分であろうが、沖縄であろうが、北海道の僻地であろうが、とにかくどこでもデジタル放送が見れることになる。しかし、これは絶対に政府やテレビ局は認めない。なぜって、もしそんなことをしたら、地方局はいらなくなってしまう。そもそも地方局は各県単位に電波がギリギリ各県内に届くようにして地元の放送をやるという建前になっているが、真実は、そうしたテレビ局を持っているのは、土地の有力者たちであり、これに密接に地元選出の国会議員たちがからんでいる。それでローカル・ニュースでは必ず政治家のお国入りや上京のようすが入ることになっている。地方局は東京のキィー5局のどれかに系列化され、番組を再放送する。キィー局は自己の番組を放送してもらえば見返りとしてネット料なるカネを払う。地方局は再放送の番組に地方のCMをつけてもうかるというしくみになっている。もし、BSデジタルで東京のキィー5局の番組が放送されれば、こうした枠組みは水泡に帰する。しかし、なんとも不合理な電波配分のしくみである。田舎にいくと東京の情報は極端に入らなくなる。テレビはどうでもいい田舎のできごとばかり放送しているからである。田舎も民放は1局だけというところも多い。こうしたしくみは、政治が田舎の人たちを洗脳するには都合がいい。もともと地方局というのは、1957年に始まる田中角栄の利権配分で始まった。あのデジタルにしても、キィー5局には、それぞれ3つずつ電波利用権が割り当てられていて、たとえば、フジテレビならそのうち1つを使い、他は他の企業に貸すということもできるらしい。しかし、そうなるとパナソニックなどの大企業の参入を招きまずいというのでだれにも貸さずに5局独占が続いている。  今BSデジタルは通販番組ばかり流しているが、なんとも無駄な話である。  こうした中で今デジタルをBSではなく、地上波で強行しようというのが政府の国策となっている。先に述べたようにBSでやれば、地方局はいらなくなるからである。それでこれからどれだけカネがかかるかわからない地上波デジタルを強行しようとしている。全国に鉄塔を建てるのに1兆円を要するという。それでも僻地など電波の届かないところはかなりある。その対策として、そういうところだけBSを使い東京5局の放送を流すらしい。  放送は免許制になっているから、国の、つまりは総務省の権限が絶大である。東京のキィー5局は総務省のいいなりである。そして各テレビ局は新聞社に系列化されており、新聞社は記者クラブ制度で政府のいいなりである。つまり、政府がメディアを完全に掌握するシステムの構築である。もちろん役人たちは、許認可権をてこにどうでもいい特殊法人をたくさん作り、天下りと税金の垂れ流しを自由にしかも国民にはわからないようにやることができるのである。なにしろ電波利権に関してだけは新聞もテレビも決して語らないからである。  日本というのは、利権ごとに政治家と官僚が群がり、税金を自分たちの懐に合法的に入れるということが見事に制度化された国である。これを壊そうとする政治家はたとえ総理であっても激しい抵抗に合う。昨今の日本の首相はころころ替わるので有名である。もともと総理に実権などはなく、党の思惑、官僚の思惑通りに総理が動けばそれでよっかったのであるが、それでは政治の現実は通らなくなっていることに古い体質のままの政党や官僚たちは気づいていない。いや認めたくない。いつでも総理が悪いからと国民に思わせて、首をすげ替える。悪いのは、党そのものなのに、総理の首のすげ替えだけですべてうまくいくと思わされている。自民党の末期はそうであった。だれが総理になろうが、自民党という古い体質の政策しか持ち合わせていない党ではどうにもならないことであった。 ところで、党の思惑通りに動かない総理はどうか。党にとっては不要なわけである。国民も洗脳されているから、悪いのは首相が悪いからだと短絡する。今の民主党がそうである。菅ひとりが悪いから被災地の復興が進まないのか。いや、そうではあるまい。経産省にしても、総務省にしても、官僚というのがまず自己の利権をにらんでしか動かない。それに民主党の体質も自民党とさほど変わらないことが次第に見えてきた。悪いのは、実は大集団である民主党や自民党の非協力である。国難に一丸となって協力するどころか、原発利権を守るのに必死になっている。とにかく政治に近い人間たちが、自分たちの利権をいかにして守るかしか考えていないのである。被災地の救済よりも自分たちの利権はどう保護されるのかが大切な人間たちなのである。原発の安全性よりも、これまで通りに自分たちの利権が守られるかどうかが一番の関心事なのである。「菅ではだめだ」の本意は、「菅では自分たちの利権が奪われてしまう」ということである。今の政治家たちに真剣に原発被災者や震災被災者のことを考えている人間などいないとみていい。  農水省は、セシウム牛の出荷を認めていたとしか思えない。福島の牛がどんどんと全国に出荷されている現実はどうとらえたらいいのか。今なお汚染が進んでいる福島の牛を私たちは農水省の言う安全を信じて食べていいのか。サンプル検査だけで何万頭もの牛を出荷していいのか。東京の店頭には、「黒毛和牛」とだけ書かれて産地を示さない肉屋がたくさんある。チェルノブイリのときも肉からの体内被曝がかなりあったことを農水省は知らないわけではあるまい。少なくとも今なお進行中の福島で牛を出荷するのはおかしい。
この記事についてブログを書く
« 地デジという国民搾取の騙し... | トップ | ご注意など »