草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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塾考

2011年10月27日 09時29分48秒 | 
 職業柄よく他塾の話が耳に入る。いや実際に竹の会を訪れた人たちから他塾、しかも大手塾の実態を知ることも多い。かつて中3の夏休みに竹の会に救いを求めてきた生徒は、中1のときからいたというある大手塾で学力はガタガタに落ちていた。知能の高い子であったが、何日間かの体験学習の後、そのまま入塾したのだそうな。ずるずると成績が下がるままに通い続けて中3の7月にやっと新しい塾を探し始めたのだそうだ。竹の会では考えられない話だ。まず竹の会ではそういう「勉強しない」生徒、「成績の下がった」生徒は必ず退塾となっているはずでそのままずるずるということはありえない。さらに竹の会を何らかの理由で止めることとなった子たちというのは、他塾に行ってもまず英語の基本がみっちりできていることに驚くはずである。本人もそして他塾の先生も驚くはずである。逆に、大手塾などからそれなりに自信をもって転塾してきた子というのは、竹の会の英語レジュメがまるでできないことが普通である。それほど竹の会の指導の水準は高いと思っている。だが、悲しいかな、竹の会にいるときはそのことに気づくこともない。他塾に行って初めて知るのが竹の会の真実である。これは実際に他塾に転塾した子が再び竹の会に再入会したというレアケースで、その子の母親に聞いた話である。英語で有名という幡ヶ谷のU塾に中1の秋に転塾したその子は中3になって母親にともなわれて再入会を請うた。話では、数学は解答と問題集を渡されて自分で解いていき、わからないときは学生アルバイトが一人いてその人にきくシステムなのだそうだ。その子が恥を忍んで竹の会にやってきたのは実は理由があった。その子と同時期に竹の会にいた子たち5人が代々木中で数学5をとって、竹の会が話題になったのだ。あの当時の竹の会はすごかった。なにしろあちこちの中学でとにかく数学5をとってくる子ばかりだったのだ。
 実は、長男が学生のときに、ある大手塾の講師のバイトを6年間もさせていただいた。それでその塾の内部情報がよく入った。中には熱心な学生もいるやに感じた。少なくともうちの息子は自分で問題を編集し、大学入試の高校3年生を熱心に教えていた。だが、アルバイトの学生講師ばかりなのでいい加減な学生もいた。あるいは次男の通う慶應大の学生があちこちの塾で塾講師のバイトをしているという話を聞く。その学生たちの中に「うちの塾は詐欺だ。ひどい」という学生がかなりいる。千葉県にある塾は、とにかくいい加減な塾なのに生徒はたくさん集まっているのだという。世の中の親というのは、不思議な気がする。りっぱなビルの中にある、きれいなパンフレットに謳われる美辞麗句などで簡単に信用してしまう。
 私は竹の会の親御さんからかつて「阿部先生のような本物の塾の先生がいなくなり、世の中には偽物の先生ばかりだ」というメールをいただいたことがあるが、本物というのは、どういう意味合いで使われたのであろうか。子どもたちを指導するのに指導する側の水準がとにかく最高水準でなければ塾の先生などと言ってはいけないと思う。私は教科の達人というだけではだめで、子どもたちとのやりとりから子どもたちの心情、能力を看破し、その能力段階に機敏に反応し、また子どもの感情の機微を敏感にとらえての接触ができなければ講師としては失格と思っている。また、指導する人間は常に最高・最新の水準を維持するために努力する、勉強する人でなければならないと思っている。あるいは常に塾の良心は貫き通さねばならないと思っている。そうした私の信条が理解してもらえたということであろうか。そういう竹の会に理解を示してもらえる親御さんというのは、子どもさんが勉強熱心で確実着実に成果をあげているということはあるようです。
 さて、最近神奈川県在住の方が竹の会に見学に見えられた。そのとき、神奈川の大手塾の話を聞いてびっくりした。進路指導の講師に「難関私立の受験を相談したら」、ポンと問題集と解答をコピーしたものをどっさりと渡されて、やるように言われたというのである。その問題集コピーを見ると、新中学問題集と同じ体裁の問題がびっしり載った問題集であった。解答を読んでもおそらくわからないことが多いと思われる。これは対策を生徒に「丸投げ」したものでしょ。私はそんな滅茶苦茶なととにかく驚きました。それで高い月謝がとれるのか。いやいや考えてみれば、かつてサピックスに通っていた竹の会の中3が、どっさりと声の教育社の過去問集のコピーを渡されて家庭でやるように言われたという話を思い出した。解説も声の教育社のコピーであった。「そんなばかな」と思ったが事実である。あれほどの大手でも直前は生徒に「丸投げかよ」と思ったものである。その子は11月にサピックスを止めて竹の会の指導に専念して青学高等部に見事合格したあのTさんである。
 竹の会には、日能研や四谷大塚に行っていたという子もよくくる。そしてそういう経験者ほど竹の会の真の価値を「知る」ことが多いように思う。他塾を経験したことのない親子というのは、竹の会のことが実はわかってないことが多い。それで「大手でない」という理由で大手に転塾する子もたまにいるし、成績が伸びずにいや「勉強しなくなった」という理由で退塾、転塾する親子もときにはいます。私は、他塾を経験してその時に初めて竹の会の真価を知ることになると実は思っています。あるいは竹の会のような塾で「できない」子どもはどこの塾に行ってもだめなのだろうと確信してもいます。その辺が私の冷徹な判断なのであろうと思います。
 私は、もちろん受検に熱心な子どもたち、11歳か12歳そこらでこれほど熱心に「勉強する」子どもたちというのをその心情において尊敬というか敬愛しています。そういう子どもたちのために私は自分の生命を賭してもかまわないとさえ思っています。
 ただ一方では、私は冷徹・冷酷な受験のプロなのだと思うことがあります。子どもたちの能力、つまり知能、それから実力をこれほど冷静に観察する人間もいないのではないか。そして私は敬愛する子どもたちにプロの目から冷徹に残酷な結論を下している。子どもたちのいいところをそれは知り尽くしているからこそ、心の底で下している冷徹な客観的ではあるが残酷な判断に自分は「本物のプロ」なのかもしれないと悲しい気持ちになることがあります。
 私が、子どもたちに「勉強する」ことを強調する心の裏にあるのは、子どもたちに対して残酷な結論をしてしまう冷酷なプロの判断から、なんとか回避させたいと祈る思いなのかもしれない。
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