◎東北地震から11日目
~それでも私たちは生きていかねばならない
昨日は春分の日でした。あのこれまでに経験したこともない地震から11日目になりました。社会は, 福島原発の不安に包まれたままに, とにかく「日常」を取り戻す方向にと進み始めています。テレビの映像で伝えられる被災地・被災者の現実は, 過酷なものばかりです。すべてを失い途方にくれる被災者たち, 原発のため住むところを追われて逃げてきた人たちが映し出されます。
翻って考えて見ましょう。原発推進派と反対派が, 住民を二分し, 結局推進派が反対派を黙らせて, 政府のご意向を受け入れてきた歴史です。そのときこぞって賛成に回り, 票を投じてきた人たちの選択の結果, 危険な原発が日本各地に作られることとなったのです。
原発の危険性というものは, 一瞬にして日本民族を消滅させてしまうほどのものです。ありチェルノブイリは日本の40倍の広さがあります。その全土が死の土地となってしまったのです。
もちろんチェルノブイリとの単純比較が正確でないことは知っています。しかし, 日本の原発はすでに老朽化が進み, 安全というPRにかかわらず, 原発建設当時の想定しえた事情以上の問題が次々に出てきています。すでに福島原発については, 2008年にIAEAから, 耐震性に問題があることが通告されていました。東大や京大の第一線の学者は, 津波による外部電源の使用不能は「想定外」であったとしています。さらには, 津波の大きさも想定外というのです。日本の歴史上今度のような大地震は起こり得ないということが確信に近い前提にあったように思います。
そもそもが, 天変地異(自然の大変動)を予測しきれるのかということがあります。天変地異はいつも未曽有の天災ではなかったか。科学者たちは「想定外」と平気で言うが, それでは私たちは, 科学者たちが「想定した」範囲内の安全性をPRされただけになる。東電や政府が原発の安全性を喧伝するときは, あたかも絶対的な安全性であるかのように, 「想定の」という限定形容詞は, いつしか外されて, 絶対安全だけが独り歩きさせられてしまうのである。
私たちは, 電気というものを無尽蔵にあるものとして, 無駄の限りを尽くしてきた。夜は明々と電気が照らされ, 衛星写真では, 夜の日本列島だけが明々と輝いているというのである。お天道様が沈むと寝て, お天道様が上ると仕事を始めた江戸の人々
生活を笑うことはできないと思う。
電気があって当然という生活に慣らされてきた私たちはこれから原発のありかたという大きな問題に直面することになろう。
利権政治をくり返してきた自民党と官僚組織の状況化が末期症状を呈し, 残された様々な負の遺産を私たちはどうすればいいのか。国債を発行し続け膨れ上がった国家債務を先送りし, 巨大予算で必要もない国速道路や巨大大橋を作り, 郵貯は原野の道路やなんやらかんやらで使いはたして, 借金はもはや限界に達している。全国にハコモノといわれる巨大建物を建設し, 年金資金を使い果たし, 勉強会という名の豪華な食事会を連日のようにやり, 役人のための役人の組織である天下り法人をやたら作って, 税を注ぎこむ。高額な報酬をもらう天下り法人の理事たち。原発を監督するのが保安院ということであるが, 典型的な天下り法人であり, 保安官というのは, 2年ほど変わるど素人である。会見は, 東電に渡された原稿を棒読みである。突っ込んだ技術的質問がなされると必ずといって「データがないのでわからない」と答弁だけはさすがに東大出の模範解答である。
私たちはこのまま愚民であり続けてはいけない。
私たちの子どもの世代の生命の成否にかかわることまでを無思慮に政治家に預けてはならない。少なくとも生存にかかわる判断を損得の基準で決定してはならない。その選択の決定のつけは私たち自身の生命で払うことになるのだから。他の政策決定が, カネの問題であるのに対し, その失敗の代償は生命の危険であるのだから。
大震災から, 11日になった。その間, 私はいろいろ考えさせられた。国家が国民をこれほど危険にさらしたことがあったであろうか。国家破産とは違う生命の危険である。私は一介の塾の先生であり, およそ政治的な問題で何を主張して何をなそうというような身の程を超えたことを考えたことはない。ただ私は現在の政争に明け暮れる政治家と言われる人たちを軽蔑的に・批判的に見ながら憤り嘆くことしかできない。社会の理不尽に内心はいつも憤りに満ちている。
3月11日。恐ろしい地震。その地震が日本列島をかつて襲ったことのない未曽有の大地震であったことが次第に判明し, 人々を驚かせた。地震の日に福島原発の外部電源が壊滅したという情報は私にはもっともショックなことであった。新聞の片隅に小さく載った記事。政府の危機認識もそれくらいに小さかった。だが私はこの小さな報道が一番恐かった。やがてこの記事が日本を揺るがす事態になる。私ほどの人間に予測できたことが, 日本のトップ層で認識できなかった。企業論理に満ちた東電の現場判断などは信用できないはずなのに, 政府は第一次的に東電の判断を優先させた。
私は地震のときに東京にいた。幸いにして東京は直接の被害からは免れた。東北地方の被害の状況は目を覆うものがあった。私は地震の日から, 不安と憤りのなかで, ただ黙々と「日常」を生きている。それは「生きる」しかないから。
様々な不安の中で, 私は「それでも生きていかねばならない」。3年前に白血病で死んだ母のことをよく思う。余命1週間と宣告された母と過ごした2週間のことをよく思う。母が死んだとき, 私は「それでも生きていかねばならない」とただ黙々と日常の生活に埋没した。
母は, 生きたかった。もう生きられないと知ったときの母の思いを思うとき心が裂けそうになる。そのときの母の顔は忘れられない。母はただ「生きて」いたかったに違いない。
母はもういない。それでもそれでも私は生きていかねばならない。なにが望みというわけではない。ただ私は日常を生きるしかない。
今はみんなが大変な状況である。しかし, どんな状況であっても私たちは生きていかねばならない。確かに不安は尽きない。でもそれでも私たちは生きていかねばならない
~それでも私たちは生きていかねばならない
昨日は春分の日でした。あのこれまでに経験したこともない地震から11日目になりました。社会は, 福島原発の不安に包まれたままに, とにかく「日常」を取り戻す方向にと進み始めています。テレビの映像で伝えられる被災地・被災者の現実は, 過酷なものばかりです。すべてを失い途方にくれる被災者たち, 原発のため住むところを追われて逃げてきた人たちが映し出されます。
翻って考えて見ましょう。原発推進派と反対派が, 住民を二分し, 結局推進派が反対派を黙らせて, 政府のご意向を受け入れてきた歴史です。そのときこぞって賛成に回り, 票を投じてきた人たちの選択の結果, 危険な原発が日本各地に作られることとなったのです。
原発の危険性というものは, 一瞬にして日本民族を消滅させてしまうほどのものです。ありチェルノブイリは日本の40倍の広さがあります。その全土が死の土地となってしまったのです。
もちろんチェルノブイリとの単純比較が正確でないことは知っています。しかし, 日本の原発はすでに老朽化が進み, 安全というPRにかかわらず, 原発建設当時の想定しえた事情以上の問題が次々に出てきています。すでに福島原発については, 2008年にIAEAから, 耐震性に問題があることが通告されていました。東大や京大の第一線の学者は, 津波による外部電源の使用不能は「想定外」であったとしています。さらには, 津波の大きさも想定外というのです。日本の歴史上今度のような大地震は起こり得ないということが確信に近い前提にあったように思います。
そもそもが, 天変地異(自然の大変動)を予測しきれるのかということがあります。天変地異はいつも未曽有の天災ではなかったか。科学者たちは「想定外」と平気で言うが, それでは私たちは, 科学者たちが「想定した」範囲内の安全性をPRされただけになる。東電や政府が原発の安全性を喧伝するときは, あたかも絶対的な安全性であるかのように, 「想定の」という限定形容詞は, いつしか外されて, 絶対安全だけが独り歩きさせられてしまうのである。
私たちは, 電気というものを無尽蔵にあるものとして, 無駄の限りを尽くしてきた。夜は明々と電気が照らされ, 衛星写真では, 夜の日本列島だけが明々と輝いているというのである。お天道様が沈むと寝て, お天道様が上ると仕事を始めた江戸の人々
生活を笑うことはできないと思う。
電気があって当然という生活に慣らされてきた私たちはこれから原発のありかたという大きな問題に直面することになろう。
利権政治をくり返してきた自民党と官僚組織の状況化が末期症状を呈し, 残された様々な負の遺産を私たちはどうすればいいのか。国債を発行し続け膨れ上がった国家債務を先送りし, 巨大予算で必要もない国速道路や巨大大橋を作り, 郵貯は原野の道路やなんやらかんやらで使いはたして, 借金はもはや限界に達している。全国にハコモノといわれる巨大建物を建設し, 年金資金を使い果たし, 勉強会という名の豪華な食事会を連日のようにやり, 役人のための役人の組織である天下り法人をやたら作って, 税を注ぎこむ。高額な報酬をもらう天下り法人の理事たち。原発を監督するのが保安院ということであるが, 典型的な天下り法人であり, 保安官というのは, 2年ほど変わるど素人である。会見は, 東電に渡された原稿を棒読みである。突っ込んだ技術的質問がなされると必ずといって「データがないのでわからない」と答弁だけはさすがに東大出の模範解答である。
私たちはこのまま愚民であり続けてはいけない。
私たちの子どもの世代の生命の成否にかかわることまでを無思慮に政治家に預けてはならない。少なくとも生存にかかわる判断を損得の基準で決定してはならない。その選択の決定のつけは私たち自身の生命で払うことになるのだから。他の政策決定が, カネの問題であるのに対し, その失敗の代償は生命の危険であるのだから。
大震災から, 11日になった。その間, 私はいろいろ考えさせられた。国家が国民をこれほど危険にさらしたことがあったであろうか。国家破産とは違う生命の危険である。私は一介の塾の先生であり, およそ政治的な問題で何を主張して何をなそうというような身の程を超えたことを考えたことはない。ただ私は現在の政争に明け暮れる政治家と言われる人たちを軽蔑的に・批判的に見ながら憤り嘆くことしかできない。社会の理不尽に内心はいつも憤りに満ちている。
3月11日。恐ろしい地震。その地震が日本列島をかつて襲ったことのない未曽有の大地震であったことが次第に判明し, 人々を驚かせた。地震の日に福島原発の外部電源が壊滅したという情報は私にはもっともショックなことであった。新聞の片隅に小さく載った記事。政府の危機認識もそれくらいに小さかった。だが私はこの小さな報道が一番恐かった。やがてこの記事が日本を揺るがす事態になる。私ほどの人間に予測できたことが, 日本のトップ層で認識できなかった。企業論理に満ちた東電の現場判断などは信用できないはずなのに, 政府は第一次的に東電の判断を優先させた。
私は地震のときに東京にいた。幸いにして東京は直接の被害からは免れた。東北地方の被害の状況は目を覆うものがあった。私は地震の日から, 不安と憤りのなかで, ただ黙々と「日常」を生きている。それは「生きる」しかないから。
様々な不安の中で, 私は「それでも生きていかねばならない」。3年前に白血病で死んだ母のことをよく思う。余命1週間と宣告された母と過ごした2週間のことをよく思う。母が死んだとき, 私は「それでも生きていかねばならない」とただ黙々と日常の生活に埋没した。
母は, 生きたかった。もう生きられないと知ったときの母の思いを思うとき心が裂けそうになる。そのときの母の顔は忘れられない。母はただ「生きて」いたかったに違いない。
母はもういない。それでもそれでも私は生きていかねばならない。なにが望みというわけではない。ただ私は日常を生きるしかない。
今はみんなが大変な状況である。しかし, どんな状況であっても私たちは生きていかねばならない。確かに不安は尽きない。でもそれでも私たちは生きていかねばならない