もうすぐお盆ですね。もう何年も母の墓にご無沙汰しています。2007年の夏、8月には確かに母と過ごしました。一年に一度一週間だけ母に会うために一人で九州の別府に帰りました。夏の終わり涙を流す母と別れてその年の12月に母は白血病で亡くなりました。夏に帰ったとき母はわたしに帰ってきて一緒に住んで欲しいと願いました。
胸を引き裂かれるように故郷の別府を去ったことを覚えています。
高校時代父との諍いは絶えず母はいつも泣いていました。高校2年の夏でしたか、高校を中退しようとしたとき、母は泣いて止めました。
学校はよく休みました。高校の担任がよく家を訪ねて来ました。
わたしはずっと父を憎んで生きてきました。
高校出たら家を出る、と心を決めていました。高校出るとすぐに大型免許を取りました。母が自動車学校に出してくれました。
東京に出る、後はどうなってもいい、いつも思い詰めていました。
中学のときはよく勉強しました。成績がいいと父は機嫌がよかった。幼い頃から辛く当たってきた父親には憎しみしかなかったけど、とにかく高校は進学校に行きました。
あれからですね。父親との衝突が絶えなかったのは。母はいつもわたしと父の間に入って、わたしを諭し、父を宥めたものでした。
中学の頃、なぜか「旧帝大に行きたい」と漠然と夢を抱くようになりました。
高校で落ちこぼれてもその思いは強くなることはあっても決して消えることはなかった。
だから高校のとき、数学でも英語でも勉強はしなかったけどそのときのことを考えて要所要所は理解しようと努めていました。
東京に出て、6トン車を運転しているときも、帝大の夢は消えることはなかった。
故郷に帰り、父に頭を下げて、勉強した、あのときわたしはもうこれで人生を終わらせようと思ったのでした。
あんなに勉強したことはなかった。父に何を言われても耐えました。感情を抑えて勉強をしました。
九州大学に合格したとき、祖母と母がどんなに喜んだことか。
祖母はその合格した年の夏、8月に突然帰らぬ人となりました。
それからわたしはいつも心の中で「ばぁちゃん、ごめんなさい」と謝り続けてきました。
母は、わたしの生きがいでした。心の支えでした。
わたしの心の中にはいつも母がいました。
毎年故郷を訪ねるのがわたしの心の癒やしでした。帰ると母は大喜びでしたが、別れが近づくと涙を流してばかりいました。
故郷を捨てて母を見てやれなかった思いがずっと心に重くのしかかったままでした。
その母のいなくなった故郷にもう何年も帰っていません。
母を思い出さない日はないというのに・・故郷はわたしの辛い、苦しい少年時代、悩んでどうしょうもなかった高校時代、故郷の山々をいつも一人泣きながら歩いた、夜家を飛び出し山に逃げた日、思い出すと、辛いですね。母はいつもいつもわたしのことを心配してくれました。いつも泣いて止めてくれました。
そんなわたしが塾の先生をしています。子どもたちを相手に偉そうなことを言っています。
母は塾の子たちのことをいつもいっしょになって喜んでくれました。
もうすぐお盆ですね。
いつか故郷に帰ったら母の墓の前で母を偲びたいですね。
お母さん、ただいま、と言いたいです。
今日はこの花を母に捧げます
胸を引き裂かれるように故郷の別府を去ったことを覚えています。
高校時代父との諍いは絶えず母はいつも泣いていました。高校2年の夏でしたか、高校を中退しようとしたとき、母は泣いて止めました。
学校はよく休みました。高校の担任がよく家を訪ねて来ました。
わたしはずっと父を憎んで生きてきました。
高校出たら家を出る、と心を決めていました。高校出るとすぐに大型免許を取りました。母が自動車学校に出してくれました。
東京に出る、後はどうなってもいい、いつも思い詰めていました。
中学のときはよく勉強しました。成績がいいと父は機嫌がよかった。幼い頃から辛く当たってきた父親には憎しみしかなかったけど、とにかく高校は進学校に行きました。
あれからですね。父親との衝突が絶えなかったのは。母はいつもわたしと父の間に入って、わたしを諭し、父を宥めたものでした。
中学の頃、なぜか「旧帝大に行きたい」と漠然と夢を抱くようになりました。
高校で落ちこぼれてもその思いは強くなることはあっても決して消えることはなかった。
だから高校のとき、数学でも英語でも勉強はしなかったけどそのときのことを考えて要所要所は理解しようと努めていました。
東京に出て、6トン車を運転しているときも、帝大の夢は消えることはなかった。
故郷に帰り、父に頭を下げて、勉強した、あのときわたしはもうこれで人生を終わらせようと思ったのでした。
あんなに勉強したことはなかった。父に何を言われても耐えました。感情を抑えて勉強をしました。
九州大学に合格したとき、祖母と母がどんなに喜んだことか。
祖母はその合格した年の夏、8月に突然帰らぬ人となりました。
それからわたしはいつも心の中で「ばぁちゃん、ごめんなさい」と謝り続けてきました。
母は、わたしの生きがいでした。心の支えでした。
わたしの心の中にはいつも母がいました。
毎年故郷を訪ねるのがわたしの心の癒やしでした。帰ると母は大喜びでしたが、別れが近づくと涙を流してばかりいました。
故郷を捨てて母を見てやれなかった思いがずっと心に重くのしかかったままでした。
その母のいなくなった故郷にもう何年も帰っていません。
母を思い出さない日はないというのに・・故郷はわたしの辛い、苦しい少年時代、悩んでどうしょうもなかった高校時代、故郷の山々をいつも一人泣きながら歩いた、夜家を飛び出し山に逃げた日、思い出すと、辛いですね。母はいつもいつもわたしのことを心配してくれました。いつも泣いて止めてくれました。
そんなわたしが塾の先生をしています。子どもたちを相手に偉そうなことを言っています。
母は塾の子たちのことをいつもいっしょになって喜んでくれました。
もうすぐお盆ですね。
いつか故郷に帰ったら母の墓の前で母を偲びたいですね。
お母さん、ただいま、と言いたいです。
今日はこの花を母に捧げます