草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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諸事雑感'11.7.28

2011年07月28日 10時02分38秒 | 
 お早うございます。本日は指導日です。昨日は、小6の子たちに目を光らせて算数の指導にかかりきりでした。今週はずっと曇りがちということです。我が家では、昨日午前中に届いた「らんちゅう」三尾が今朝覗くと元気に泳ぎ回っていました。私が覗き込むとみな隅に固まり息をひそめています。
 さて、今日の指導も算数中心とします。昨日は算数の進まない小6の男子・女子についてかなり注意して観察しながら指導しました。既に何度かやったことのある問題ができないとか、一当たり思考がわかっていないとか、割合の基本が実は不十分なままだったとか、いろいろ見て取れました。「小学思考の素」を終わっても、次のレジュメ・シリーズへは進めないでしょう。これまでやったレジュメから「できなかった問題」をピックアップして「解き直し」をしていくことになるかと思います。
 話は変わりますが、私は、人間の心の支配されやすい弱さということについて長らく関心をもってきました。試験というのは、未知の問題、これまで見たことも考えたこともないような問題がまず出ると考えた方が無難です。よくどこそこの大手塾がやるような「そっくり問題」などを朝から晩まで練習するのは非常にまずいと思うのです。未知に対処する術というものを学んでおかないとても怖い。
 「予め」やるのが、類似の問題では意味がないと思うのです。「予め」やらなければならないのは、未知の遭遇に対処する術だと思うのです。これに関しては、よくプロのスポーツ選手などが、イメージ・トレーニングというものをやると聞いたことがあります。これは実はかなり有効なのではないかと思います。試験でいえば、もし見たこともない問題が出たときは、どうするこうするなどと予めイメージして対処の方法を考えておくということです。私は試験勉強というのは実はこういうことなのではないかと思っています。ところが多くの人は、というか多くの大手塾や予備校の教師というのは、予想問題やら類似問題がすべてと考えているところがあります。これが出たら困る、あれが出たら困る、ということで問題の予想ばかりやっている。当たればいいが、たいていは当たらない。中には、自分の塾で予想した問題がこんにも出たと宣伝しているところも結構見かける。多くの受検生もこれが出たら困る、あれが出たら困ると知識ばかりを追いかける。いや、そうではないとだれも気がつかない。大切なのは、未知の問題があたりまえのこととして、その未知に対する自らの思考する手順を予め練習しておく、それが試験勉強なのだということである。
 さて、内田樹の本で、内田は、次のように述べている。
 引用;バイクに乗る人はわかると思うのですが、コーナリングするときは、「コーナーを抜け終えた状態」をイメージしておいて、「コーナーのあちら側」から引っ張られるように運転する。もうコーナーは「抜け終えた」ことにしておくと、コーナーリングの最中に身体の動かし方の微調整ができるんです。これが今、リアルタイムでコーナーにこちらから突っ込んでゆくといふうに考えると、身体ががちがちに緊張して柔らかい動きができなくなる。

 プロスポーツ選手のやるイメージ・トレーニングというものもおそらくそういうことなのではないかと思います。予め下絵を描いておくとかえって自由に描ける。下絵をたどりながら途中で自由に変化を楽しむこともできる。私は、今算数ができないで悩んでいる子たちというのは、実は割合なら割合の下絵というものが描けてないのではないかと思うのです。新しい問題に対するたびにリアルタイムで突っ込んでいっているのではないか。それで思考はがちがちに堅くなり柔らかい思考の動きがとれないのではないか。普段から割合というものの基本概念の下絵を描いておくということが実は普段の勉強ということなのではないか。とすればこれまでに失敗した問題レジュメを振り返り、下絵を描き直す練習をするのが一番いい未知との遭遇に対する対処法の練習なのではないか。先へ進んでいく子にばかり気をとられて問題の本質、自己の今置かれた状況というものを見失ってはなるまいと思う。
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