草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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諸事雑感'11.7.25

2011年07月25日 10時03分30秒 | 
 お早うございます。本日はお休みです。先週は、6日間通しで頑張りましたので、かなり体力を消耗しました。教室までの往復約8キロを徒歩で通います。2,3日前からふくらはぎや太もものあたりが痙攣(けいれん)気味で夜はずっと湿布を貼って凌(しの)いできました。
 先週は、一部を除く小6の算数力がかなり「悪い」ことを実感しました。いつまでも出さないという状態が続いた結果、算数がまるで伸びないままに止まってしまったということです。なるべく思考問題を避けようとする意識が行動に表れます。わからなくても考えるというのはいいのですが、延々と出さないという状態が続けば結局自滅するしかないと思います。1週間も2週間も3週間も一度も算数のレジュメを出さないままにきた子もいます。これはいけません。算数のレジュメは少なくとも2通は1回の指導日に出すくらいでないとまず伸びません。いくら「自分で考える」と言ってもこれでは伸びるはずもないのです。私のレジュメは特に難しい問題ばかりを扱っているわけではありません。割合の基本に関する、ベタでない、本質を突く問題ばかりを拾い上げてきました。割合を本当に理解していなければ解けないが、本当に理解していれば決して難問ではなく「考えれば解ける」問題ばかりです。これから算数のレジュメは、シリーズを追うごとに、回を重ねるごとに「割合の本質をつく問題」が、姿を変えて、いかにも難解を装って出てくるでしょう。そのような見せかけの難解さに惑わされずに、落ち着いて処理して正解に達する能力が培われていった者のみが生き残ることになるでしょう。
 もう一度いいます。考えるといっても少なくとも現在出題しているレベルの問題に、何日もかけるほどの思考問題は含まれてはおりません。事実、過去の合格者は1日に何題も解いています。
 解けなければどうすればいいか。
 まず席を私の近くの席に移ること、そしてとにかく質問をすること、自分の考えのいたらなさをなんとか克服しようとする意思こそ大切です。この場合の「わからなければ訊く」というのは、学ぶために訊くのです。思考力を伸ばすために訊かないのではない、割合の本質的な理解が未熟なわけですから、まだひとりで考えて正解に達することはできない。いたるところに盲点がある、穴がある。それで全体としての思考のイメージができていない。実は唯一「1%」をクリアしていなかった女子を意図的に私の側の席に席替えして置きました。算数が遅れているので常に観察しやすいようにしたのです。その子が最近ようやくほぼ自分だけの力で「1%」をクリアしました。今「小学思考の素」に取り組んでいますが、まだまだ思考未熟ですから、私はいつも気をつけてそのようすを見ています。
 そういうわけですから、本当に「できるようになりたい」と思うのなら、嫌がらずに、あるいは遠慮せずに、私の監視眼のエリアの範囲にある近くの席を希望してほしいと思います。
 これまでのお話で私の指導に関する考え方が微妙に変わってきているということは正直に白状しなければならないのでしょう。
 「算数を私の指導のもとにひとりで進められる子」は問題ありません。「ひとりで進められる」と言っても、私の指導なしには「ひとりで進められる」わけではありません。ここでの「ひとりで進められる」という意味は、とにかくもひとりで考え、どうしてもわからなければヒントをもらい、それでもだめなら結局教えてもらいながらも、都合確率3題中2題は解いているというような状態かと思います。
 ところが、そういう状態にはない子というのがいます。5題中4題は「できない」子です。こういう子は、「ひとりで進める」ことはできない子です。5題中1題は解けるわけですから、まるでゼロではない。しかし、ひとりで進めることはまず不可能と断じていいでしょう。こういう子はやはりいちいち訊くしかない。なぜ訊くのか言えば、「基本の理解」「本質的な理解」を得るために訊くのです。だから、思考力を育てるとか、伸ばすために「考える」という指導法ではもちろんない。基本が不十分であるから、その基本のあちこちの壊れたところを補修していくために訊くしかないということなのです。すべての子どもが「ひとりで考える」ほどに基本を理解しうるDNAを持ち合わせているわけではない。
 私はそういう「ひとりで考え進める」ことのできない子どもの指導に関しては、逆に徹底して訊いてもいいのではないかと思います。それで確かに思考力はつかないし、伸びないでしょう。しかし、それは思考力の素となる基本イメージが完全である場合の議論です。基本の理解、本質の理解に至らない子に「考えろ」はないでしょう。そういう段階の子のあることを認めて、逆に今度は「基本の理解のために徹底して尋ねる」こともありと思うのです。

 
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