一頃、KYという言葉が流行った。その場の空気を読めない人のことを言う。空気を読めない奴はダメな奴という共通の認識がある。それで空気を読めないからといって「笑う」。真剣にその場の空気を読もうと緊張する。ストレスとなる。それが現代人だとしたら、なんともあほらしい話である。本来人はそれぞれである。それぞれのはずであるが、人はなぜか集団の空気に従おうとする。集団の空気に従うことが、ストレスをもたらさないことを知っているからだ。その場を支配する空気が人の行動を決めるとしたら、実はこれほど恐ろしいことはない。いや、戦時の話である。 福島の事故のとき、東電の現場の人たちが一斉に避難を決めたことがあった。そのときの現場の空気というのはそういうものであったのだろう。恐ろしい話である。現場から逃げるということは、1号機から4号機、いや5号機も6号機も連鎖爆発するがままに放置するということである。日本そのものが消滅する決断である。菅総理が一喝したという。 以前大阪でジャンボ宝くじの売り場に人が殺到し、多数の人が怪我をしたという話しがあった。大人しく並んで順番を待っていたはずの群衆が「買えないかもしれない」という空気が支配した途端に暴走を始めた。怒号が飛び交い売り場に殺到する。おばさんもおじさんも若い人ももう止まらない。 テレビで芸能人が「いい」と言えば、若い人もおばさんも皆買いに走る。芸能人のファッションを追いかける。空気があっという間にゆきわたる。そういえば、あの小泉旋風も「なんかいいことやってくれそうな」空気に人々は支配された。3.11の津波ではどういう空気が流れたのか。「それほどでもない」という空気が流れたのなら人はその空気に逆らうことはあるまい。ラジオは「それほどでもない」津波の襲来を伝えていたという。ラジオが空気の醸成に一役買ったことになる。 危機に際して「みんながすることにしたがう」ことが、つまりその場の空気にしたがうことが、生死の分岐点となる。普段から危機を想定した「空気」に惑わされない、行動抑制、さらには戦時を想定したイメージ・トレーニングが必要だ。 ◯「不愉快」というやっかいな感情~内田樹「下流志向」 現代人は、「不愉快」な顔をする方が結局得をするということを知っている。内田樹の見解である。学校の先生にクレームを言えばそのほうが結局得をすることを知っているから、母親は担任に、校長にがなり立てる。子どもも知っている。幼いときから金の万能性を母親から父親から祖父から祖母から教えられてきたのだから。物質文明に毒された現代人という説明よりは、高級な説明のような気がする。内田は、万能のはずのお金が使えないのが、教育だという。では何で買うのか。「不愉快」という感情で買う。もちろん内田の意見である。もう少し内田の意見を聞いてみよう。 子どもが学校で教師の話を聞かないでおしゃべりをするのは、面白くもない(と未熟ゆえに思っている)授業を不愉快で買っている。だからこんな面白くもない勉強が「何の役に立つの?」と尋ねる。 不愉快はもちろん万能のお金にかわる新しい貨幣である。不愉快という貨幣で得られるのは、面白くもない(と未熟ゆえに思っている)授業である。子どもは面白くもない授業に不愉快という貨幣を支払う。 ここで内田は、教育はそもそも「買える」ものではないということを導く。「もの」を買うのとは、本質的に違う。どうして?「もの」と教育は違う。「もの」は不変だが、「教育」は発展的に可変である。時間とともに変化する。内田は「恋愛」と同じだという。すなわち金で買える不変の実体ではない。だから「買えない」のである。 「先生、数学は何かの役に立つの?」・・・答えはない。そういう問題もある。
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