草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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3月30日 久しぶりの快晴

2010年03月30日 09時46分05秒 | 
◎久しぶりの快晴に心も晴れる。ひとりで指導するのは大変といえば大変です。第三者から見れば神業に見えるかもしれない。ただ外観だけでは指導の実質はわからない。ひとりひとりのカルテが頭に入っているから, そのカルテを見ながら, 指示を出している。3年ほど前に, 母が急病になり, 急遽郷里の九州別府に飛んだとき. 妻や竹の会の卒業生などがピンチヒッターとして代わってくれた。細かい指導メニューやら仕事の手順を事細かに書いたものを渡していたものの妻から指導時間中に何度も細かい指示を求める電話が入った。私の仕事が繊細な神経をはりめぐらした実に神経細やかなものであるということをそのとき私の代わりをした人たちが知ったのだと思う。予め仕事の内容を教えておいてどうかなるという性質のものではないということは私は重々承知している。
 正直私の代わりをやれるはずはないのである。ひとりの子を指導するというのは, その子の能力のかたちというかハバというようなもの, 限界線みたいなものを冷静に弾き出した上での可能な指示の選択の問題であると思う。この子には少し無理かなという問題でもあえて課すということもある。その子の理解の限界線というのをいつも神経を尖らせて見すえていなければならない。そのうえで様々な指示を出す。私にとって具体的な指示は, その子の未開発な思考の部位にメスを入れるようなことだと思っている。だから私にはひとりひとりの理解の状況が, 事細かに記されたカルテがある。そのカルテは日々書きかえられる。理解の進んだ子には, 「この説明で」済むこともある。しかし, 理解領域の狭い子には「この説明」そのものが使えないということもある。特に普通の小4や小5の指導は理解領域の狭さからくる指導の難しさがある。日々メスで1ミリ単位で理解領域を広げてゆく毎日なのである。そういう時期に間が空くと途端に折角切り拓いた理解領域はまた元のように閉じられてしまう。そういうことはよくある。だから長期休暇などに塾を休めば, それまでの指導で切り拓いてきた苦労は水の泡となる。私は勉強の中断を嫌う。指導する立場でもそうだが, 勉強する子どもたちにとってもかなりのマイナスだと思う。
 おそらく十数人の子どもたちを私ひとりで指導しているのを他人が見たとき, 理解を示す者は神業と思うかもしれない。そして理解しない者は, 無謀と断じるかもしれない。
 竹の会の指導とは, ことばで説明することも難しいが, 親たちが見ていてもわかるものでもないと思っている。わかるのは子どもたち自身かもしれない。「わかる」という経験を積み重ねて, 次第に自信に満ちた目に変わっていく子どもたち自身が私の指導のよき理解者なのではないかと思っている。そういう中で信頼しあえる関係が築けていければと願っている。

◎連日の指導で実は時間に追われています。家に変えるとたいてい深夜まで明日のためのレジュメの調整に追われます。朝6時半には目覚めてまた残していたレジュメを仕上げます。出発時間ぎりぎりまで頑張ってそれから徒歩で教室に向かいます。それでも「草枕」は休まないようにしています。熱心な読者のみなさんを失望させたくはないし, 一日の報告を親御さんにする義務もあるかと思うからです。
 昨日は中3に都立の国語をテストしました。平成15年のものを使いました。出来は最低でした。漢字を書けない子がいることもわかりました。中3は漢検をほとんど受けないので, 漢字は自信があるということなのかなと思っていましたが, 実はほとんど書けないというこがわかりました。それにも増して, 読解力がかなり低いことも判明しました。またまた課題がでてきました。
 それにしても読解がこれほど悪かったとは驚きです。おそらく読書というものもやっていないのではないかと疑ってしまいます。毎日家で何を勉強しているのだろうか。
 
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