草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

3月26日 曇り 

2010年03月26日 08時52分20秒 | 
◎昨日は指導準備でほとんど1日中パソコンに張り付いていました。特に新中3のための英語テキストのプリント・アウトには神経を使いました。106ページもあり, 裏表印刷でしかもカラーということで, けっこう大変なんです。プリンタは2台備えていますが, 印刷は主としてhp製を使います。アメリカ仕様は日本製とすべてが逆なので以前はよく失敗しました。3冊のテキストを完成させたところで, プリンタの調子が悪くなりました。今のhpは実は2代目で1代目は使い潰しました。同じものをネットで探してなんとか手に入れたものです。けっこうタフなのですが, トラブルもよくあります。以前の経験をたよりにヘッド・クリーニングなどいろいろやれることを試して, なんとか復帰させましたが, 2時間近くもかかりました。
 今はひとりひとり皆指導レジュメが違うため準備が大変です。スタート時点では, 同じレジュメが使えても, 1週間, 2週間と経つと, 理解力や実行力, その他で遅速の差が出てきます。5人いれば5人ともみな進む度合が違います。こうして指導レジュメは多種多様になってきます。これだけ人によって能力の違いがあるとするならば, 一斉授業というのは, やはりかなり乱暴なことをしているのだと思います。
 ところで, 指導していて, 伸びる子というのは, すぐにわかります。またこのまま指導しても「自ら思考できるようになることはない」という子も実はわかります。どういうことで, そのような判断ができるのかということですが, 伸びる子というのは, 私の注意をよく聞いています。たとえば, 算数などで式に単位をつけない子がよくいますが, 私は必ずその都度指摘します。そして単位をつけることの意義を説明します。単位当たり量の計算では単位をつけてこそ意味ある読み取りが可能なのです。自分ではわかっているつもりでも, 他人が読んだら, なんの式かは問題文と対照しないとわかりません。試験で単位をつけない式は減点の覚悟がいります。そして, 私が一度注意する。そしてすぐに改める。こういう子は伸びます。何度注意しても, 単位をつけ忘れると言う子はやはり伸びません。私は指導に際しては, 様々な改善のための指示を出します。その指示をきちんと理解して修正できる子が伸びる子です。算数でも数学でも, 決まりごとというのがあります。根号なら根号の計算ルールというものがあります。これはある定義から出発して, その定義に則して様々なルールが出てくるわけです。私は新しく約束事が出てくると必ず演習問題でその修得のために練習させます。ところが, 定義そのものを全く考えない, そしてそこから生まれる約束事をまったく理解しないという子も出てきます。それどころか自分で勝手にルールをつくってしまい, 計算するということをやってのけます。伸びる子というのは, 最初の約束事(定義)というものをいつも意識し, その定義にしたがって, さまざまなルールを理解しようと努める子です。ですから, 素直に私の注意を受けて修正できる子が伸びるわけです。以前に私のレジュメや説明が, 全く「わからない」という子が, いました。「読んでわからない」子というのは, ある意味悲劇でした。かつては中学生をたくさんとっていましたから, そういう子がたいてい1人や2人はいました。伸ばす指導というものが不可能なのです。いかにして教科書の基本事項のみをこなせるようにするかだけでした。当然自ら考えて新規問題に対応することなどできるはずもなく, こういう子というのはたいてい単願で偏差値の低い私立に拾われていくことになるのです。またそういう子に限ってなかなか勉強にスタンスを置いた生活というのができないものです。
 私が, 普通に「式には単位をつけなさい」「~円/gは1gあたり~円の意味です」「1%とは全体を100等分した1個分のことですよ」「ルートは簡単にすれば文字式と同じ思想が使えますよ」「分数は分母は何等分したかを表わし, 分子はその何等分かされたものの個数を表わしているんだよ」「感嘆文はいちばん感動した部分のみを文頭に出すだけなんだよ。ただ強調語のveryをHowかWhatに変えるけどね」「Howは形容詞か副詞1語のみを強調するときに使うんだよ」「命令文とは・・・」「否定命令とは・・・」「助動詞とは・・・」「小数の割り算では, 余りは最初の小数点からとるんだよ」「1分で30m歩く人は, 2分では, 2分×30m/分=60m 歩くよね。つまり, 時間×(1分あたりの道のり)=道のり だよね」「同じ20%でも全体の大きさが異なれば大きさは違うでしょ」「・・・」・・・, 私は指導に際してはそれはそれはどれだけの指導コメントを出しているかはわかりません。その私の指導コメントを一字一句も聞き逃さないで, 大事にとらえて吸収しようとする子が伸びるのです。同じことを何度も何度も注意されても改まらない子というのは, 結局伸びないのです。それどころかひとり立ちして思考する主体になれないままに終わる可能性が高いのです。一度注意されたら, すぐに改めるということが大切なのです。
 よく竹の会の集中した勉強風景を見て, 感動される見学の方がいますが, 私の指導の実質がどんなものかはまずお分かりにはならないでしょう。子どもたちが私に示されて実は抱え込んだ課題に苦しんでいるなどとは思いもしないでしょう。よく子どもたちが教室に入ってくると黙々と勉強始める光景を見て, 「みんなやることが決まっているのですか」「プリントをやるだけですか」「質問とかはできないのですか」「わからないとき教えてもらえるのですか」「公文みたいなものですね」などい言いたい放題ですが, いずれも塾というのは「教えるところ」で, 「わからないところを教えてもらうところ」で, 授業を受けるのはそのためであるという素朴な認識にたっての感想です。
 私のブログを読んでもらえばおわかりになると思いますが, 私の塾は「思考育成」する「場」です。それに見ただけでは何もわかりません。よく「特殊な指導をするところのようで, うちの子に合うかどうか心配だ」という方がいや実は少なからずいますが, 何も特殊なことはしていません。いやむしろ一斉授業で集団を「教える」ことのほうが特殊です。ひとりひとりにレジュメを渡して, その反応を見ながら, 次の指示を出す。そして何もしないというのは実はウソで, 子どもたちにとっては1日に1つか2つでも1月も経てば10, 20もの指示コメントが思考の隙をついて打ちこまれているのだということがすぐにわかるはずです。それが証拠に私の指導を受けた子たちが一様に目を光らせ, 「わかる」ということの意味を一喜一憂しながら「わかろう」ともがいています。2, 3年前のことでしたか, 学力不振の小5の子が竹の会の見学にやってきて, 帰り道「竹の会はすごいよ、あんな先生見たことない, あんな頭のいい先生見たことない」と興奮してしゃべるのをやめなかったとそのお母さんからメールをいただいたことがありました。いままで通っていた塾との違いを身をもって「知った」のだとそのお母さんは感動して私に感謝の長いメールをくれたのです。
 私は自慢話になるのが嫌であまり書かないのですが, 実はそれはそれは多くの成功者とその親御さんたちから最大級の感謝の言葉をいただいてきました。なによりも子どもたちが「竹の会に行くのが, 楽しくてしかたがない」とか, 「何がそんなに楽しいのか, 私が変わって出てみたい」とか, 「学校から帰ると竹の会めざしてかけていった」などとという言葉からは「竹の会をとても信頼してくださっているのだな」ととてもうれしく思ったものです。
 楽しいようで実は厳しいところなのだということを知るころには, 子どもたちは幼さからひとり立ちして大人の思考がとれるまでに成長しているのです。責任を弁えた成長した心には, 私は厳しい言葉を浴びせることでしょう。実は受験というものが, 冷酷で過酷なほどに厳しいものだということを私はいやというほど味をってきたのですから, そういう辛い思いを子どもたちに合わせたくないという強い思いから, あるとき私は過酷な指示を出すようになります。それさえも試験の冷酷さに比べればなんでもないはずなのですが・・・・。
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