平成9年前の話しですが, 4月に入会した中1の女子が, 秋には竹の会を止めて, 英語が評判のU塾に転塾したことがありました。
U塾は英語の塾だと聞いていましたが, 数学もやるのだそうです。この女子生徒は英語で評判のこの塾に移りました。その生徒及び親の誤算はその塾がまさに英語だけで評判だったことです。その女子生徒はその塾が「数学もやる」と聞いて, なおさらその塾に魅かれたのでしょう。
しかし, 数学の指導は, 事実上自習だったということでした。予め渡された問題集を勝手に解いていき, わからなければじっと座って控えている学生風の人に質問できるという体だったようです。
この子が止めた年の竹の会は, 数学でかなりに有名でした。なにしろ数学5が7~8人はいたと思いますから。
数学で有名といって, 決して, 英語が悪いということではありません。当時竹の会では私の著した「英語指導案3部作」が, 中心でしたが, 受験英語の指導では, 定評がありました。
こうして, 数学の成績がガタガタになってしまって, その子は, なんと中3になって, あまりにも竹の会の評判が高くなったのを聞き, またまた再入会を願ってきたのです。
彼女はU塾でいわゆるオーラル・イングリッシュを学んできたのですが, このとき竹の会育ちの子たちの受験英語力は彼女のはるか上をいっていました。
彼女の母親は再入会の際に, 「竹の会を止めて他塾に行ってみて, 初めて竹の会のよさがわかった」と言いましたが, 過去実は同じようなことばを私は何度となく聞いてきました。ちなみに, 中学で一旦止めて再入会を許可したのはこの子一人だけです。
私には, 大手などの他塾へ転塾した子たちの未来がほとんど予測できていたと思います。
きっと転塾した子たちの親(たいてい母親)は, 竹の会をマイナス評価したのでしょう。
よく見学や面接にきて, そういう判断をする親もいます。勉強している竹の会の子どもたちの光景を見て, 懐疑的になったのかもしれませんね。既成の塾というものに対する思いが強いのです。特に, 塾というものは, 同学年の子たちのクラスがあり, 先生が授業をするものだという固定観念に凝り固まっているように思えます。そういう目から, 竹の会でこのまま勉強していてもだめだと判断するのかもしれません。
よく, 問い合わせの電話の主が, 1年前, 2年前に一度面接にきたことのある人というのが結構あります。そのとき, 大手などの塾を選んで, 1年(聞いてみると, 半年くらいで止めて, 2, 3回塾を変えている人もいましたが), ないし2年と通い, 挙句に竹の会にまたまた電話してきたというわけです。
要するに, 塾選びに失敗を重ねているのです。子どもの学力はガタガタのようでした。
親の見識で塾を選び, 結果子どもが潰れていくという現実は私にはあまりにもありきたりのことです。
逆に, 縁あって, 竹の会に, 他所の塾から転塾してきた子, あるいは大手で失敗した子たちが, 竹の会にやってくるという例もかなりにありました。
そういう子たちが, 竹の会の私の英語レジュメや数学レジュメにほとんど壊滅的なくらいに対応できないというのも竹の会ではよくある話でした。
竹の会の中にいると, そのすごさがわからないのです。他所からきた子と比較したときに, わかるのです。学校では「できる」という子が, 竹の会の指導を受けてみて, ほとんど基礎のできていないことを露見するのもいつものことです。
たとえば, トラップに満ちた私の英語レジュメをミスなく合格するには, 会員なら, 何度も何度もトラップにはまりながら, 同じレジュメを十数回もやって, 用意周到さという注意力をつけていって初めて可能なことなのです。
小学生でも, 中学生でも, 塾できちんと訓練を受けた子とまるで塾経験のない子の差は, 余りにも歴然とした差です。かなりに知能が高いのに塾に行かなかった, あるいは行けなかった子というのは, 余りにもその損失が大きいと思います。
塾なら, どこでもいいわけではありません。小学生のときに, 塾に通っていたという子で, まるで割合を理解していないという子は夥しい数います。中学で「できない」子のほとんどは, この類でしょう。
いったいこの子は塾で何を習ってきたのかという思いは強い。いったいその通っていたという塾は何を教えてきたのかという「あきれた」気持ちが強い。確かに, 「教えてもどうにもならない」という子はいます。しかし, 少なくとも指導すればなんとかなったはずの普通の子たちが, 割合も理解しないままに中学生になるというのが信じられないのです。
できないという中学生に, 簡単な割合の質問をしてもほとんど答えられないという現実を知っていますか。親子共「小学生の頃, まじめに勉強しなかったから」と言いますが, 塾には通っていたのですから, なんともわけのわからない言い訳です。
塾で, テキストの単元を終わらせたら, マスターしたと考えている節もあります。授業があったから, 終わったというわけです。そういう母親が多いのです。問題は, 何を学び何を実際に使える知識として体得したかなのに, そこのところがわかっていません。形式的に, 教室に同学年の子たちが集まり, 横並び式に教え方のうまい先生に習い, テキストの単元を終わらせてゆくのが, 塾に通うことだと信じて疑わないのです。そういう観念から, 生まれるのが,テキストの 「予習」「復習」「宿題」というわけです。すべて既成の塾を前提とした観念です。
竹の会では, 予習という概念はないのかもしれません。復習のことはよく「解き直し」と言います。宿題は世間で言うところの宿題という概念はないと思います。あるとしたら「解き直し」が宿題になることがあります。
竹の会の「指導」の真実を知ることができるのは, 見識のある親御さんだけです。
U塾は英語の塾だと聞いていましたが, 数学もやるのだそうです。この女子生徒は英語で評判のこの塾に移りました。その生徒及び親の誤算はその塾がまさに英語だけで評判だったことです。その女子生徒はその塾が「数学もやる」と聞いて, なおさらその塾に魅かれたのでしょう。
しかし, 数学の指導は, 事実上自習だったということでした。予め渡された問題集を勝手に解いていき, わからなければじっと座って控えている学生風の人に質問できるという体だったようです。
この子が止めた年の竹の会は, 数学でかなりに有名でした。なにしろ数学5が7~8人はいたと思いますから。
数学で有名といって, 決して, 英語が悪いということではありません。当時竹の会では私の著した「英語指導案3部作」が, 中心でしたが, 受験英語の指導では, 定評がありました。
こうして, 数学の成績がガタガタになってしまって, その子は, なんと中3になって, あまりにも竹の会の評判が高くなったのを聞き, またまた再入会を願ってきたのです。
彼女はU塾でいわゆるオーラル・イングリッシュを学んできたのですが, このとき竹の会育ちの子たちの受験英語力は彼女のはるか上をいっていました。
彼女の母親は再入会の際に, 「竹の会を止めて他塾に行ってみて, 初めて竹の会のよさがわかった」と言いましたが, 過去実は同じようなことばを私は何度となく聞いてきました。ちなみに, 中学で一旦止めて再入会を許可したのはこの子一人だけです。
私には, 大手などの他塾へ転塾した子たちの未来がほとんど予測できていたと思います。
きっと転塾した子たちの親(たいてい母親)は, 竹の会をマイナス評価したのでしょう。
よく見学や面接にきて, そういう判断をする親もいます。勉強している竹の会の子どもたちの光景を見て, 懐疑的になったのかもしれませんね。既成の塾というものに対する思いが強いのです。特に, 塾というものは, 同学年の子たちのクラスがあり, 先生が授業をするものだという固定観念に凝り固まっているように思えます。そういう目から, 竹の会でこのまま勉強していてもだめだと判断するのかもしれません。
よく, 問い合わせの電話の主が, 1年前, 2年前に一度面接にきたことのある人というのが結構あります。そのとき, 大手などの塾を選んで, 1年(聞いてみると, 半年くらいで止めて, 2, 3回塾を変えている人もいましたが), ないし2年と通い, 挙句に竹の会にまたまた電話してきたというわけです。
要するに, 塾選びに失敗を重ねているのです。子どもの学力はガタガタのようでした。
親の見識で塾を選び, 結果子どもが潰れていくという現実は私にはあまりにもありきたりのことです。
逆に, 縁あって, 竹の会に, 他所の塾から転塾してきた子, あるいは大手で失敗した子たちが, 竹の会にやってくるという例もかなりにありました。
そういう子たちが, 竹の会の私の英語レジュメや数学レジュメにほとんど壊滅的なくらいに対応できないというのも竹の会ではよくある話でした。
竹の会の中にいると, そのすごさがわからないのです。他所からきた子と比較したときに, わかるのです。学校では「できる」という子が, 竹の会の指導を受けてみて, ほとんど基礎のできていないことを露見するのもいつものことです。
たとえば, トラップに満ちた私の英語レジュメをミスなく合格するには, 会員なら, 何度も何度もトラップにはまりながら, 同じレジュメを十数回もやって, 用意周到さという注意力をつけていって初めて可能なことなのです。
小学生でも, 中学生でも, 塾できちんと訓練を受けた子とまるで塾経験のない子の差は, 余りにも歴然とした差です。かなりに知能が高いのに塾に行かなかった, あるいは行けなかった子というのは, 余りにもその損失が大きいと思います。
塾なら, どこでもいいわけではありません。小学生のときに, 塾に通っていたという子で, まるで割合を理解していないという子は夥しい数います。中学で「できない」子のほとんどは, この類でしょう。
いったいこの子は塾で何を習ってきたのかという思いは強い。いったいその通っていたという塾は何を教えてきたのかという「あきれた」気持ちが強い。確かに, 「教えてもどうにもならない」という子はいます。しかし, 少なくとも指導すればなんとかなったはずの普通の子たちが, 割合も理解しないままに中学生になるというのが信じられないのです。
できないという中学生に, 簡単な割合の質問をしてもほとんど答えられないという現実を知っていますか。親子共「小学生の頃, まじめに勉強しなかったから」と言いますが, 塾には通っていたのですから, なんともわけのわからない言い訳です。
塾で, テキストの単元を終わらせたら, マスターしたと考えている節もあります。授業があったから, 終わったというわけです。そういう母親が多いのです。問題は, 何を学び何を実際に使える知識として体得したかなのに, そこのところがわかっていません。形式的に, 教室に同学年の子たちが集まり, 横並び式に教え方のうまい先生に習い, テキストの単元を終わらせてゆくのが, 塾に通うことだと信じて疑わないのです。そういう観念から, 生まれるのが,テキストの 「予習」「復習」「宿題」というわけです。すべて既成の塾を前提とした観念です。
竹の会では, 予習という概念はないのかもしれません。復習のことはよく「解き直し」と言います。宿題は世間で言うところの宿題という概念はないと思います。あるとしたら「解き直し」が宿題になることがあります。
竹の会の「指導」の真実を知ることができるのは, 見識のある親御さんだけです。