おはようございます。ある日突然に真夏日となり熱帯夜になりました。梅雨明け宣言もないままにです。梅雨明けという言葉は単なる事後承認宣言でしたか。
公立の学校は今週までで来週からは夏休みに入ります。23区の公立の中には例年夏休みが終わり2学期が始まるのが8月の第4週からというところもありまして、竹の会では第4週を夏期の日程に組み込むことができなくなって久しいです。
小6は夏期中日光などに出かける子たちが多く、事実上の修学旅行かと思いますが、無事にこの夏を過ごせればと願うばかりです。
さて公的私的な行事の犇(ひし)めくこの夏休みにどれだけ勉強に時間を割けるのか、本人の意志もさることながら、家族の認識も試されることになります。
都立中高一貫校というのは、もともと新宿や駒場などのそれなりの都立高校よりも下位にあった都立に手を入れたものです。浮揚策でした。
10年目になって、その浮揚策の成否が出てきたといっていいのでしょう。明らかに浮揚に失敗したと疑われるほどに結果の出ていないところもあります。しかし、新宿、駒場越えに成功したところも出てきました。しかし、都立4強、青山、八王子東などのもともとの上位都立は強かったようです。ひとつには、私立6年型に相変わらず天才たちが集まる構図にはほとんど変化はなかったということがあります。この牙城はなかなか崩せないと思います。今後都立の伸び悩みはいずれ深刻化し、新たなるてこ入れが模索されることになるのでしょう。
都立は4強時代が、これから続いていくことになるのでしょう。
さて、「常識」の研究の第4回です。表題は「錬金術とまやかし」です。
錬金術というのは、いわば原始的な化学技術のことです。昔は、卑金属から金や銀をつくるというようなことをやったわけです。そんなことができるわけはなかったのですが、古代エジプト、アラビア、ヨーロッパへと錬金術は伝わったわけです。卑金属というのは、アルミニウムや鉄です。水分や二酸化炭素で容易に侵される類いです。
この錬金術というのは、まやかしに違いないのですが、とにかく様々な化学物質を取り扱う技術の発達には貢献したわけです。
現代の政権が、この錬金術のようなことをやっているではないか、という気がしてなりませんが、それはまたの機会に述べるとして、現代人は、どうも錬金術師にまやかされるがままにされているということを近頃富みに感じております。
わたしたちは、気がつかないうちに、わけのわからない法律で行動を制限されている。自民党と官僚がいいように法律を作り上げていてもだれも一向に文句を言わない。
この政権はいったい何をしようとしているのか。原発再稼働を積極的に進める政権である。国民のみなさんはそれでいいのか。
安倍という人は、徹底した反知性主義と思っていたけど、どうも最近はこの人は錬金術師なのではないかと思うようになった。
いずれにしても、「自分が欲するように世界を理解する」(佐藤優の言)、そういう人のようである。
この態度に対しては、「基礎教養が極めて弱い」人、だから「もともと最初から悩みが少ない」人という評価をする人たちもいます。
国会の答弁を見ていても、この人は、問いに答えていない、と思うのです。具体的な矛盾をつかれても、動じることもなく、原理原則を経文のように繰り返すだけです。また具体的例えを言うときもいかにも頭の悪い、そぐわないことを言うわけです。こういうのをまやかしというのでしょう。
原発再稼働を認めた規制委員会の委員長などの言も「まやかし」もいいとこです。
「自分が欲するように世界を理解する」態度の人というのは、実は、世の中の大人といわれる人たちはみんなそうなのかもしれません。
実証性、客観性というものがまるでなくて自分で「信じている」というだけで世界観を形成している人たちもたくさんいます。
あるいは、合理性ということをいう人たちもいますけど、合理性があれば、正しいという論理はないのです。新興宗教なんかは合理性のあることを言っていることもあるが、とにかく非科学的です。もちろん実証性もない。かなり主観的です。
安倍は錬金術をその反知性がゆえに平然とやっている。しかし、錬金術は結局まやかしです。まやかしはいつかばれる。
世の中にはこの錬金術師で満ちあふれていると言えなくもない。
テレビは何をしたときに賞賛してくれるのだろうか。人道的な行為なら手放しで美談として大げさに必要以上に賞賛してくれるには違いない。
テレビの報道番組に錬金術師のまやかしを暴露することを期待してもそれは無理である。テレビそのものが視聴率という錬金術に東奔西走しているのであってみれば。
テレビは、大切なことは報道しない、という不作為で、視聴者、国民を欺いて、政権に協力する機関として生まれただけのことであった。
わたしたちは、テレビを殺す術を実は知っている。だれもテレビを見なくなれば、テレビはそれだけで死ぬ。だから、テレビはB層をまやかすことに狂奔する。芸能界というB層殺しの番組を作り続ける。
「自分が欲するように世界を理解する」態度が、反知性主義と表裏となったなら、それは悲劇である。国会議員のレベルがあの程度なら、地方議員は推して知るべし。錬金術師が闊歩するまやかし社会がいつまで続くのか。
塾の世界も錬金術の世界であることに例外はない。偏差値20から東大に合格した、ビリギャルが慶應大合格など、それを成し遂げたと自称する講師が一般論、だれにでも通用する方法論として商売のタネにする。これに世の親たち、特に母親の反知性主義が火に油を注ぐ。
南多摩や立川あたりの都立一貫校に大量の合格者を出しているというエナなどにももう少し冷静に見てみる必要がある。
まず南多摩など南部の都立は結局10年経っても成果は出ていない。つまり天才たちが敬遠しているのである。そういうところではエナなどのなんでもいいから塾に行った子たちが受かるのも道理だが、落ちた子たちもみなエナに通っていたということにはならないか。23区の子どもたちがわざわざ南部に行くことは少ないでしょ。
大手の上げている合格数にもまやかしを感じている。昨今は模擬テストに解説講座をセットして、その合格者もカウントしているのが一般だからである。
竹の会で今年桜修館に合格した女子のクラスで5人桜修館を受けたが、大手に通う4人はみな落ちたと聞いている。どうも大手の上げる合格数にそぐわない現実がある。
早稲田進学会は塾であり、週1回3時間ほどどこかの会場を借りて大人数を相手に解説講座をやるらしいけれど、竹の会はそんなものは受けなくても、いきなりトップテンに名を連ねてきた。
今の世の中は「まやかし」との戦いであり、錬金術師のまやかしを見抜く深い思考が、知性が求められている。
竹の会は、知性を身につける塾としてありたいと思っている。
公立の学校は今週までで来週からは夏休みに入ります。23区の公立の中には例年夏休みが終わり2学期が始まるのが8月の第4週からというところもありまして、竹の会では第4週を夏期の日程に組み込むことができなくなって久しいです。
小6は夏期中日光などに出かける子たちが多く、事実上の修学旅行かと思いますが、無事にこの夏を過ごせればと願うばかりです。
さて公的私的な行事の犇(ひし)めくこの夏休みにどれだけ勉強に時間を割けるのか、本人の意志もさることながら、家族の認識も試されることになります。
都立中高一貫校というのは、もともと新宿や駒場などのそれなりの都立高校よりも下位にあった都立に手を入れたものです。浮揚策でした。
10年目になって、その浮揚策の成否が出てきたといっていいのでしょう。明らかに浮揚に失敗したと疑われるほどに結果の出ていないところもあります。しかし、新宿、駒場越えに成功したところも出てきました。しかし、都立4強、青山、八王子東などのもともとの上位都立は強かったようです。ひとつには、私立6年型に相変わらず天才たちが集まる構図にはほとんど変化はなかったということがあります。この牙城はなかなか崩せないと思います。今後都立の伸び悩みはいずれ深刻化し、新たなるてこ入れが模索されることになるのでしょう。
都立は4強時代が、これから続いていくことになるのでしょう。
さて、「常識」の研究の第4回です。表題は「錬金術とまやかし」です。
錬金術というのは、いわば原始的な化学技術のことです。昔は、卑金属から金や銀をつくるというようなことをやったわけです。そんなことができるわけはなかったのですが、古代エジプト、アラビア、ヨーロッパへと錬金術は伝わったわけです。卑金属というのは、アルミニウムや鉄です。水分や二酸化炭素で容易に侵される類いです。
この錬金術というのは、まやかしに違いないのですが、とにかく様々な化学物質を取り扱う技術の発達には貢献したわけです。
現代の政権が、この錬金術のようなことをやっているではないか、という気がしてなりませんが、それはまたの機会に述べるとして、現代人は、どうも錬金術師にまやかされるがままにされているということを近頃富みに感じております。
わたしたちは、気がつかないうちに、わけのわからない法律で行動を制限されている。自民党と官僚がいいように法律を作り上げていてもだれも一向に文句を言わない。
この政権はいったい何をしようとしているのか。原発再稼働を積極的に進める政権である。国民のみなさんはそれでいいのか。
安倍という人は、徹底した反知性主義と思っていたけど、どうも最近はこの人は錬金術師なのではないかと思うようになった。
いずれにしても、「自分が欲するように世界を理解する」(佐藤優の言)、そういう人のようである。
この態度に対しては、「基礎教養が極めて弱い」人、だから「もともと最初から悩みが少ない」人という評価をする人たちもいます。
国会の答弁を見ていても、この人は、問いに答えていない、と思うのです。具体的な矛盾をつかれても、動じることもなく、原理原則を経文のように繰り返すだけです。また具体的例えを言うときもいかにも頭の悪い、そぐわないことを言うわけです。こういうのをまやかしというのでしょう。
原発再稼働を認めた規制委員会の委員長などの言も「まやかし」もいいとこです。
「自分が欲するように世界を理解する」態度の人というのは、実は、世の中の大人といわれる人たちはみんなそうなのかもしれません。
実証性、客観性というものがまるでなくて自分で「信じている」というだけで世界観を形成している人たちもたくさんいます。
あるいは、合理性ということをいう人たちもいますけど、合理性があれば、正しいという論理はないのです。新興宗教なんかは合理性のあることを言っていることもあるが、とにかく非科学的です。もちろん実証性もない。かなり主観的です。
安倍は錬金術をその反知性がゆえに平然とやっている。しかし、錬金術は結局まやかしです。まやかしはいつかばれる。
世の中にはこの錬金術師で満ちあふれていると言えなくもない。
テレビは何をしたときに賞賛してくれるのだろうか。人道的な行為なら手放しで美談として大げさに必要以上に賞賛してくれるには違いない。
テレビの報道番組に錬金術師のまやかしを暴露することを期待してもそれは無理である。テレビそのものが視聴率という錬金術に東奔西走しているのであってみれば。
テレビは、大切なことは報道しない、という不作為で、視聴者、国民を欺いて、政権に協力する機関として生まれただけのことであった。
わたしたちは、テレビを殺す術を実は知っている。だれもテレビを見なくなれば、テレビはそれだけで死ぬ。だから、テレビはB層をまやかすことに狂奔する。芸能界というB層殺しの番組を作り続ける。
「自分が欲するように世界を理解する」態度が、反知性主義と表裏となったなら、それは悲劇である。国会議員のレベルがあの程度なら、地方議員は推して知るべし。錬金術師が闊歩するまやかし社会がいつまで続くのか。
塾の世界も錬金術の世界であることに例外はない。偏差値20から東大に合格した、ビリギャルが慶應大合格など、それを成し遂げたと自称する講師が一般論、だれにでも通用する方法論として商売のタネにする。これに世の親たち、特に母親の反知性主義が火に油を注ぐ。
南多摩や立川あたりの都立一貫校に大量の合格者を出しているというエナなどにももう少し冷静に見てみる必要がある。
まず南多摩など南部の都立は結局10年経っても成果は出ていない。つまり天才たちが敬遠しているのである。そういうところではエナなどのなんでもいいから塾に行った子たちが受かるのも道理だが、落ちた子たちもみなエナに通っていたということにはならないか。23区の子どもたちがわざわざ南部に行くことは少ないでしょ。
大手の上げている合格数にもまやかしを感じている。昨今は模擬テストに解説講座をセットして、その合格者もカウントしているのが一般だからである。
竹の会で今年桜修館に合格した女子のクラスで5人桜修館を受けたが、大手に通う4人はみな落ちたと聞いている。どうも大手の上げる合格数にそぐわない現実がある。
早稲田進学会は塾であり、週1回3時間ほどどこかの会場を借りて大人数を相手に解説講座をやるらしいけれど、竹の会はそんなものは受けなくても、いきなりトップテンに名を連ねてきた。
今の世の中は「まやかし」との戦いであり、錬金術師のまやかしを見抜く深い思考が、知性が求められている。
竹の会は、知性を身につける塾としてありたいと思っている。