草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

試験というもの

2015年05月09日 10時46分05秒 | 
 おはようございます。竹の会の子どもたちはしっかりと勉強をしているでしょうか。
 明日は5月第2回目の指導日、日曜日ですので7時間指導です。5月、6月、7月そして8月、この期間で実質合格すべき人はそれなりのレベルに達している、と考えていいでしょう。
 実は、竹の会には、小6の9月から来て見事合格したという人が、2人います。一人は平成19年の9月に入会して桜修館に合格、もうひとりは平成24年9月入会で白鴎に合格しています。
 なぜ合格できたのか。20年合格の子は、私立中をめざして小4から小5にかけて一年ほど日能研に通っていたこと、知能も高かったという事情があります。25年合格の子の場合、漢検2級を持っていたことから分かるようにかなり向上心の高い子であったこと、入会後に急速に伸びたことなどの事情がありました。決して普段勉強とは縁のない子が、突然受検と言い出して塾に来たというわけではない。打てば響くほどに頭脳明晰であったということです。
 二人とも時を忘れて勉強に夢中になるほどに、集中力にすぐれていたということはあります。
 竹の会でオーソドックスに力をつけるには、小4の2月入会、小5の1年間を「割合」概念の訓練に明け暮れる、つまり思考力鍛錬に費やす、というのが理想と考えております。
 小6の10か月は、適性や作文対策という実践的な練習を繰り返すことでいいのかと思います。
 「落ちる」子というのは、絶対的に、勉強量が不足しています。まず、合格するには、一定の能力が前提になる。その上で合格に必要な勉強の絶対時間というものがあります。
 例えば、小6の5月から直前の1月まで、9か月ありますが、大雑把に、平日25日×8=200日、1日5時間勉強したとして、1000時間。土日4×8=32日 32×7時間=224時間、夏休み30日×7時間=210時間
 合計1434時間、つまり勉強できるのは1434時間以上です。このうち人は様々な理由で勉強しない日を作ります。ただだらだらしていただけの日、家族で旅行に出かけた日、習い事や稽古事で勉強できない日、スポーツで勉強しない日、誕生日、お盆、お正月などとにかく勉強しない日はかなりの時間に達するのが、凡人の一年です。
 こうして最大に勉強した人と様々な理由で勉強を後回しにしてきた人との差は天文学的な時間差になっているはずです。
 ことし桜修館に高得点で合格した女子などは、5月から1月の9か月でおそらく1500時間は勉強しているのではないか。
 まず彼女の家にはテレビがなくテレビで時間を潰すという概念はありません。また、彼女が小4の2月に入会して、学校行事は何回かありましたが、家族旅行、習い事、稽古事で休んだのは一度もありません。さらには彼女の提出してくる課題レジュメの量と質から判断して、塾のない日の勉強時間というのは、平日でも7時間いっていたのではないかと思われます。どんなに大量のの課題も決して乱雑な字で書き殴ることはなく、丁寧で読みやすい字でした。また、お盆、年末が特別ということは一切なく、家族が勉強最優先の生活をしていたのではないかと思いました。インフルエンザに罹って休んだとき、レジュメが遅れるのが心配で嘆いたと聞いております。
 それぞれに勉強の持ち時間というものは平等に与えられている。それを勉強にのみ使うか、様々な勉強以外のことに費やすのか、合否の差というのはそういう差が実は本当のところなのではないかと思います。
 旧司法試験の時代は、与えられた時間を勉強以外のことに使えば使うほど合格が遅れたのだと思います。
 試験が国家試験最難関ということで、どう勉強すべきか、何を使うべきか、といった方法論だけに時間を費やす人が多かった。また試験の難しさからか息抜きばかりする人も多かった。
 試験というのは、1年なら1年、勉強にのみ集中してやった人が受かるということです。簡単な理屈なんです。
 これからの9か月弱、さてみなさんはどれだけ勉強を最優先させた生活を送ることができるでしょうか。
 掲示板に番号をのせられるだけの勉強をしたという自信がありますか。
 もしないのであれば、掲示板に自分の番号を見つけられなくても嘆くことはありません。
 試験は特別の力が備わり、特別の力を発揮できて、受かる、というものではないのです。不勉強なものほど直前に予備校の対策やら予想問題やらに振り回され、たいして勉強してこなかったという不安がもたらす後悔に苛まれ、試験では舞い上がり、結局落ちて終わるものです。
 受検というのは、勉強をどう生活の中心にすえて、やりぬくか、ということが結局試されているのです。本番のその日の試験以前に試されているのはそれまでにいたる生活ということです。
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