相撲の八百長問題では、週刊誌と相撲協会が再三争い、相撲協会の連戦連勝であった。しかし、実際は八百長はあったわけであり、裁判官たちは嘘を見抜けなかったことになる。裁判官は訴訟対象である事実を証拠によって認定していくのだから、証拠がなければたとえ真実には八百長があったとしても認定はできない建前である。だから八百長はなかったと判断しても裁判官が無能だったと言いつのることもできまい。それに八百長訴訟は、純粋に損害賠償という私的紛争を解決する民事事件である。これから問題にする原発関連訴訟は、私企業である電力会社対反対派住民ということでは、私的紛争ではあろうが、原発推進が国策であること、電力会社は国の代理人にも等しい権力者であることなどを考えると、民事訴訟に名を借りた行政訴訟の様相があるように思える。
もし行政訴訟であるとすれば、国が勝つのが当然ということになる。私人が国と争って行政訴訟手続きをとったとしても勝てることはほとんどないというのが現実だからである。
私人が国と争っても勝てないしくみになっている。それは、地裁なら裁判官は3人の合議でやることになるが、たった3人の裁判官が、国会の多数派で形成された国策としての決定を覆すことが果たして民主主義原理に則って正しいといいうるのかという懐疑があるからである。政策の可否を争うのは、本来選挙でということである。個々の裁判官が国の帰趨を決めることなどおよそできるはずもないという思想が底流にある。仮に地裁の裁判官が原発反対派を勝たせたとしても、国策である以上高裁や最高裁が認めるはずがないという裁判官たちの先読みがある。かつて違憲判断(恵庭事件であったか)をした地裁の裁判長が佐渡島の支所に島流しにされたということを何かの本で読んだことがある。地裁の裁判官がそうした危険を冒すことはほとんど期待できまい。最高裁はまず原発推進派の勝ちとするのは間違いない。三権分立の建前からすれば、国会で決めた重要な政策決定を司法が覆すことは原則としてありえないからである。
それは証拠によって認定したからではない。国が決めたから国の勝ちなのである。浜岡原発訴訟では、中部電力側の証人として現原子力安全委員会の委員長である当時は東大教授の斑目春樹が立ち、「非常用発電機2台が同時に壊れる事態は想定していない。割り切りが必要だ」と言い切った。判決には、「停電時非常用ディーゼル発電機の2台同時起動失敗の複数同時故障を想定する必要はない」とあり、斑目の言ったことをそのまま判決文にしている。もんじゅ訴訟の一審では、現原子力委員会委員長、当時東大教授が動燃側証人として立ち、「技術立国を標榜している我が国は、正に技術の塊とも言うべき原子力、特に高速増殖炉の開発は、将来性を信じつつ、これを人類のために建設運転して使えるものとして示していくことが、我々の使命であると考えている」とまるで原子力工学とは関係のない希望論を述べている。東大には、東電などの電力会社から何億円もの研究費名目のカネが支払われている。この2人はいずれ原子力ムラで重要なポストが予定されていた。そして現にそういうポストに就いた。そういう人間がつまり予め買収されていたにも等しい人間が専門家だからといって証言台に立つのが八百長でなくていったい何であろうか。
結局、今度のような福島第1原発の事故が現実に起きるまで、裁判官たちは、原発は安全という国や電力会社の主張を認めてきたわけである。彼らは原発の本当の怖さを知らなかったとしか言いようがない。全くの素人であった。だから東大教授という肩書きをバックに愚にもつかない証言をした連中の証言をいとも簡単に証拠採用して認定に供しうる証拠と判断したのである。福島の原発事故で福島地裁の裁判官たちは今どういう思いか知りたいものである。自分たちの妻子が放射能に晒されている今同じように脳天気に被告(電力会社側)勝訴などと判決できるのか聞いてみたいものである。自己保身判決をしている裁判官たちはみな福島に集めればいい。そして原発事故がどういうものであるのか体験学習させたほうがいい。それから元東電副社長で、現東電顧問の加納時男(元参議院議員)は早く福島に移住するべきだ。「低線量の放射線はむしろ体によいという説は説得力がある」などと暴言を吐いたあの男である。妻子や孫も連れて行くがいい。東電顧問なら社員の健康のために東電本社を福島に移転することを進言することもやったほうがいいであろう。
もし行政訴訟であるとすれば、国が勝つのが当然ということになる。私人が国と争って行政訴訟手続きをとったとしても勝てることはほとんどないというのが現実だからである。
私人が国と争っても勝てないしくみになっている。それは、地裁なら裁判官は3人の合議でやることになるが、たった3人の裁判官が、国会の多数派で形成された国策としての決定を覆すことが果たして民主主義原理に則って正しいといいうるのかという懐疑があるからである。政策の可否を争うのは、本来選挙でということである。個々の裁判官が国の帰趨を決めることなどおよそできるはずもないという思想が底流にある。仮に地裁の裁判官が原発反対派を勝たせたとしても、国策である以上高裁や最高裁が認めるはずがないという裁判官たちの先読みがある。かつて違憲判断(恵庭事件であったか)をした地裁の裁判長が佐渡島の支所に島流しにされたということを何かの本で読んだことがある。地裁の裁判官がそうした危険を冒すことはほとんど期待できまい。最高裁はまず原発推進派の勝ちとするのは間違いない。三権分立の建前からすれば、国会で決めた重要な政策決定を司法が覆すことは原則としてありえないからである。
それは証拠によって認定したからではない。国が決めたから国の勝ちなのである。浜岡原発訴訟では、中部電力側の証人として現原子力安全委員会の委員長である当時は東大教授の斑目春樹が立ち、「非常用発電機2台が同時に壊れる事態は想定していない。割り切りが必要だ」と言い切った。判決には、「停電時非常用ディーゼル発電機の2台同時起動失敗の複数同時故障を想定する必要はない」とあり、斑目の言ったことをそのまま判決文にしている。もんじゅ訴訟の一審では、現原子力委員会委員長、当時東大教授が動燃側証人として立ち、「技術立国を標榜している我が国は、正に技術の塊とも言うべき原子力、特に高速増殖炉の開発は、将来性を信じつつ、これを人類のために建設運転して使えるものとして示していくことが、我々の使命であると考えている」とまるで原子力工学とは関係のない希望論を述べている。東大には、東電などの電力会社から何億円もの研究費名目のカネが支払われている。この2人はいずれ原子力ムラで重要なポストが予定されていた。そして現にそういうポストに就いた。そういう人間がつまり予め買収されていたにも等しい人間が専門家だからといって証言台に立つのが八百長でなくていったい何であろうか。
結局、今度のような福島第1原発の事故が現実に起きるまで、裁判官たちは、原発は安全という国や電力会社の主張を認めてきたわけである。彼らは原発の本当の怖さを知らなかったとしか言いようがない。全くの素人であった。だから東大教授という肩書きをバックに愚にもつかない証言をした連中の証言をいとも簡単に証拠採用して認定に供しうる証拠と判断したのである。福島の原発事故で福島地裁の裁判官たちは今どういう思いか知りたいものである。自分たちの妻子が放射能に晒されている今同じように脳天気に被告(電力会社側)勝訴などと判決できるのか聞いてみたいものである。自己保身判決をしている裁判官たちはみな福島に集めればいい。そして原発事故がどういうものであるのか体験学習させたほうがいい。それから元東電副社長で、現東電顧問の加納時男(元参議院議員)は早く福島に移住するべきだ。「低線量の放射線はむしろ体によいという説は説得力がある」などと暴言を吐いたあの男である。妻子や孫も連れて行くがいい。東電顧問なら社員の健康のために東電本社を福島に移転することを進言することもやったほうがいいであろう。