おはようございます。9月6日となりました。本日は指導日です。朝の外気温は23℃と涼しげです。ほんとうにこのまま秋になってしまうのでしょうか。
竹の会の中1、中2は定期試験前で、試験勉強中です。中3は、13日にはV模擬がありますね。中2がW合格模擬を受けることになっていますが、中2で中3と競い合うというのも、竹の会ならではのことかもしれません。竹の会というのは、学年の境などない、とにかく前へ進められるならどんどん前へ進めればいい、という考えですから。他塾のように「中1用テキスト」とか、「中2用テキスト」などというものもない。例えば、数学なら単元ごとにレジュメがあり、そのレジュメをこなしていけばその単元は終わり、そういうことです。例えば、「文字式」のレジュメは、中1と中2で習う文字式を統一して扱っている、特に分ける必要もないから。いいのはレジュメを終わればほぼ完璧になっているほどに仕上がっていることかな。中3の「2次関数」のレジュメは、教科書で扱う基本を踏まえながら、標準的な入試問題で解いていく構成になっているから、完成すれば一気に高校入試の標準の問題はクリアしたことになる。高校受験の数学というのは、大まかに、「2次関数」、「円、2次関数と三平方の定理」、「円と相似」だけで6割とれる構成になっている。私立の数学はこれだけマスターすれば、60%はとれる、と単純に考えていい。都立共通だと、大問1番に8問ほどの小問があり、基本的なものばかりでで、サービス問題になっているから、まず40点はもらえる構成になっている。都立の数学も基本的な攻め口は変わらない。ただ私立とはちがう都立特有の、勘所というものはある。
都立でも独自問題となると、面倒くさいという難しさがある。私立難関の難しさはマニアックな難しさだが、独自問題は、時間内に解き終われるか、とにかく式は立つが計算するのに時間がかかりミスをしやすいというおまけ付きの難しさだ。
世の中には確かに驚くほどのできるヤツがいるものである。しかし、努力の人である、あなたたちの敵は実はあなたたちの心の中にいる。
本番で失敗する人には、舞い上がる、上がるという心理的蟻地獄に陥った人も多いかと思う。
が、もっとも多いのは、「焦り」でまともに思考できなかった、それで思いつきで答案をうめてきた、という人ではないか。
焦るというのは、みんなが努力しない時期に努力しなかった人の心理の行き着くところといえなくもない。夏まで部活、合宿、旅行などと勉強に身を入れてこなかった人たちというのは、傾向として、直前にもがくことが多い。親もなぜか直前に一緒になってジタバタする親が多い。夏は子どもとのんびり旅行したりする親にその傾向がある。
こういう力不足からくる焦りは、それでも「受かりたい」という心理の表れであり、そんな虫のいい話はないので勝手に焦って落ちればいいだけのことである。
問題なのは、がんばって勉強してきたのに、という子である。 夏に学校の自由研究に時間を費やして勉強できなかった、というのは、勉強してきた子ではない。勉強不足では変わりない。
力があるのに、焦る、という心理が、思考停止を招き、結局時間に追われて、思いつきの答えを書いてきてしまう、という落ちパターンとなる。
思いつきで受かれば世話はない。
藤沢周平の短編に、こけし職人が、藩に献上するこけしを競い合うとき、彩り鮮やかな、すばらしいこけし彫りをするライバルのあまりにもの見事な出来映えに心で負けて悩む場面がある。
このとき名人気質の亡き父親の遺した、地味なこけしをそのまま彫ることに迷いがあった。
が、さまざまな葛藤を経て、ある考えに目覚めるのである。
それが冒頭の言葉である。
「素朴は素朴なりで十分の力を出してみようと・・」思うようになっていた。
これである。
難しい問題を全部解かなければならない、合格するためには解かなければならない、そういう枷(かせ)をはめてしまう。
そうなると、もうとにかく「解かなければならない」が先行して、いろいろと問題文を虚心坦懐に、素直に読んで、事に即して「考える」ということが、できなくなる。事態を冷静に読み解いていなければ時間は矢のように過ぎ去る。もう、時間がない、ということになる。
そうではなかろう。今ある自分の力を最大限使い切り、それで解けなければ、それは自分の力が及ばなかっただけのことだから、潔くあきらめる、そういう心理ではないか。
わたしはそのような経験をしたことがある。
大学を出た年の司法試験であった。短答式のある前日に1か月続いた39℃前後の熱がようやく下がった、ということがあった。1か月以上勉強どころか、体力まで衰えての本番であった。おかゆも喉に通らない、そういう体調であった。わたしは3万人が受けるという、この試験に結局何もしないで、巣の力で臨むことになった。そもそも勉強不十分なので焦るということはなかったけれど、勉強できなかったという悔しさ、口惜しさは胸の底に燻った。この年はこれまでにない難問ばかりだったのが幸いしたのかもしれない。あのときわたしは、「どうせ勉強できなかったのだから、一問一問をじっくりと今ある力で考えて解いていこう」と決めていた。だから解ききれない問題が10問前後残った。これで終わったと思った。合格者は3千人ほど。
1か月後、とっくにあきらめて来年のために準備を始めていたわたしの家に、法務省から合格通知が届いた。母が騒いでいたのを今も覚えている。
焦りというのは、自分の思い上がりが作る、心の中の魔物です。 あなたの素朴を認めない態度が作り出す、やがてはあなたを滅ぼすことになる、やっかいな魔物です。
竹の会の中1、中2は定期試験前で、試験勉強中です。中3は、13日にはV模擬がありますね。中2がW合格模擬を受けることになっていますが、中2で中3と競い合うというのも、竹の会ならではのことかもしれません。竹の会というのは、学年の境などない、とにかく前へ進められるならどんどん前へ進めればいい、という考えですから。他塾のように「中1用テキスト」とか、「中2用テキスト」などというものもない。例えば、数学なら単元ごとにレジュメがあり、そのレジュメをこなしていけばその単元は終わり、そういうことです。例えば、「文字式」のレジュメは、中1と中2で習う文字式を統一して扱っている、特に分ける必要もないから。いいのはレジュメを終わればほぼ完璧になっているほどに仕上がっていることかな。中3の「2次関数」のレジュメは、教科書で扱う基本を踏まえながら、標準的な入試問題で解いていく構成になっているから、完成すれば一気に高校入試の標準の問題はクリアしたことになる。高校受験の数学というのは、大まかに、「2次関数」、「円、2次関数と三平方の定理」、「円と相似」だけで6割とれる構成になっている。私立の数学はこれだけマスターすれば、60%はとれる、と単純に考えていい。都立共通だと、大問1番に8問ほどの小問があり、基本的なものばかりでで、サービス問題になっているから、まず40点はもらえる構成になっている。都立の数学も基本的な攻め口は変わらない。ただ私立とはちがう都立特有の、勘所というものはある。
都立でも独自問題となると、面倒くさいという難しさがある。私立難関の難しさはマニアックな難しさだが、独自問題は、時間内に解き終われるか、とにかく式は立つが計算するのに時間がかかりミスをしやすいというおまけ付きの難しさだ。
世の中には確かに驚くほどのできるヤツがいるものである。しかし、努力の人である、あなたたちの敵は実はあなたたちの心の中にいる。
本番で失敗する人には、舞い上がる、上がるという心理的蟻地獄に陥った人も多いかと思う。
が、もっとも多いのは、「焦り」でまともに思考できなかった、それで思いつきで答案をうめてきた、という人ではないか。
焦るというのは、みんなが努力しない時期に努力しなかった人の心理の行き着くところといえなくもない。夏まで部活、合宿、旅行などと勉強に身を入れてこなかった人たちというのは、傾向として、直前にもがくことが多い。親もなぜか直前に一緒になってジタバタする親が多い。夏は子どもとのんびり旅行したりする親にその傾向がある。
こういう力不足からくる焦りは、それでも「受かりたい」という心理の表れであり、そんな虫のいい話はないので勝手に焦って落ちればいいだけのことである。
問題なのは、がんばって勉強してきたのに、という子である。 夏に学校の自由研究に時間を費やして勉強できなかった、というのは、勉強してきた子ではない。勉強不足では変わりない。
力があるのに、焦る、という心理が、思考停止を招き、結局時間に追われて、思いつきの答えを書いてきてしまう、という落ちパターンとなる。
思いつきで受かれば世話はない。
藤沢周平の短編に、こけし職人が、藩に献上するこけしを競い合うとき、彩り鮮やかな、すばらしいこけし彫りをするライバルのあまりにもの見事な出来映えに心で負けて悩む場面がある。
このとき名人気質の亡き父親の遺した、地味なこけしをそのまま彫ることに迷いがあった。
が、さまざまな葛藤を経て、ある考えに目覚めるのである。
それが冒頭の言葉である。
「素朴は素朴なりで十分の力を出してみようと・・」思うようになっていた。
これである。
難しい問題を全部解かなければならない、合格するためには解かなければならない、そういう枷(かせ)をはめてしまう。
そうなると、もうとにかく「解かなければならない」が先行して、いろいろと問題文を虚心坦懐に、素直に読んで、事に即して「考える」ということが、できなくなる。事態を冷静に読み解いていなければ時間は矢のように過ぎ去る。もう、時間がない、ということになる。
そうではなかろう。今ある自分の力を最大限使い切り、それで解けなければ、それは自分の力が及ばなかっただけのことだから、潔くあきらめる、そういう心理ではないか。
わたしはそのような経験をしたことがある。
大学を出た年の司法試験であった。短答式のある前日に1か月続いた39℃前後の熱がようやく下がった、ということがあった。1か月以上勉強どころか、体力まで衰えての本番であった。おかゆも喉に通らない、そういう体調であった。わたしは3万人が受けるという、この試験に結局何もしないで、巣の力で臨むことになった。そもそも勉強不十分なので焦るということはなかったけれど、勉強できなかったという悔しさ、口惜しさは胸の底に燻った。この年はこれまでにない難問ばかりだったのが幸いしたのかもしれない。あのときわたしは、「どうせ勉強できなかったのだから、一問一問をじっくりと今ある力で考えて解いていこう」と決めていた。だから解ききれない問題が10問前後残った。これで終わったと思った。合格者は3千人ほど。
1か月後、とっくにあきらめて来年のために準備を始めていたわたしの家に、法務省から合格通知が届いた。母が騒いでいたのを今も覚えている。
焦りというのは、自分の思い上がりが作る、心の中の魔物です。 あなたの素朴を認めない態度が作り出す、やがてはあなたを滅ぼすことになる、やっかいな魔物です。