草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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 いつも絶望感が私を襲う

2009年07月17日 09時20分03秒 | 
 算数というのはxは使わない。しかし, 未知数を1として解くことがある。これなどは実質xを使っているのと変わりはない。最終的にその1にあたる実際の数を求めることになる。1に関する等式をつくり, 移項類似の処理もする。
 しかし, この解き方は実はまずい面もある。これに慣れてくるとどうしても知らず知らずのうちに方程式的思考がとられてしまう。端的にある数をxなどとおく子も出てくる。xの代わりに□やら○を使うのも同じ発想である。
 しかし, 算数とはもともとそのような方程式発想とは一線を画するものである。割合などでも算数的発想では変化する量と一見変化しているようで実は変化していない数があり, 変化していない数というのは全体にたいする割合が変化しているだけで, 実際量は変化していない。そこでみかけの数の変化と実際量の関係から全体の量を読み解くということをする。これが算数の頭であり, つまりは変化する数・変化はするがその変化はみかけの変化にすぎない数を正確に判別し, 後者の「みかけ」から実際量に迫るというのが算数的処理である。最近このへんのところで頭が混乱している小学生が出て私を慌てさせている。  算数の問題といのは様々な知恵を試しているわけである。割合の算数的思考が鍛えられて, 算数一般に対して知恵が働かせられるようになればこれにこしたことはない。
 しかし, 現実には少しでも問題にひねりが入るともう思考停止してしまうという子が実は多数派である。実はひねりにもなっていない。たとえば「15%の食塩水500gがある。これに水を一定の割合で入れていく。12%になるまで5分かかった。毎分何g流入したか。」「さらに10%になるまでに何分かかるか。」。
 この程度で思考停止してしまう。この問題が「15%の食塩水500gに水を入れたら12%になりました。何gの水を入れましたか」だと解けるのである。少し修飾語を入れて一見複雑にするともう思考停止ないしパニックを起こす。思考としてはまだ未熟で俯瞰できていないというしかない。

 英語の文型について指導しているが, 「わからない」状況が続いている。名詞を副詞としたり, 「前置詞+名詞」 を目的語としたりするのは, 文の要素と品詞が混乱しているのだろう。目的語が動詞の次にくるということがどうしても頭には残らないらしく文の最後にある「前置詞+名詞」を目的語としたりする。形容詞句つきの名詞を訳すときも修飾関係を無視してとにかく頭から日本語に変えようとする。たぶん今の状態は混乱の中にあり, 規則性が見えないのであろう。英語でも数学でも規則性というものが理解を容易にし思考を節約してくれる。先の割合でも同じで割合という考え方の規則性が思考の節約をしてくれる。
 が, 現実には多くの小学生や中学生が規則性を見つけその規則性に即して処理するということができないで苦しんでいる。塾というのはそういう小学生や中学生に対していかなる救いの手を差しのべることができるのか。長い私の指導の歴史の中でいつも私に突きつけられてきた究極の問題であった。時間をかけて根気よく規則性とその規則性の使用の実際を説いてゆくことしか当面はないのであろうか。それにしても長時間の指導が奇跡的に突破口となることのいかに多かったことか。長い時間をかけて辛抱強く考えさせ指導し, 指導し考えさせるという地道な積み重ねが頑なで偏狭な思考の殻をいつかしか壊していくこともある。
 考えるということは, 規則性を理解することでもある。そして理解した規則性の規則にしたがった処理をすることができるということである。口で言うのは易しいが, 実は多くの子が規則性の規則たるゆえんを理解せず, したがって規則にしたがった処理をすることができない。
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